雨の怪 「影」「怪物」「雨靴」 作・皐月メイ

「ねぇ......みんなは化け物って怖い?」

 放課後の教室、集まったいつもの6人を見回したのち、小日向結花が声を潜めて話しを切り出した。いつもは溢れ出んばかりの元気を振り撒いている結花がここ数日で急におとなしくなった。教師も生徒もその話題で持ちきりであったが、本人はそのことに一切気が付いていない様子であった。否、正確には気が付く余裕さえなかったのかもしれない。それほどまでに彼女は憔悴しきっていた。


「んだよヒナタ~、いつもの元気はどうしたんだよ~」


 グループのムードメーカーである結城瑛人が揶揄うような口調で問いかける。しかし口調とは裏腹に、絶賛片思い中の彼女を一番心配しているのもまた彼であった。それは他の4人にも伝わっているのか、いつもならば瑛人を止めるはずの大石櫻まで、結花の返答を固唾を呑んで見守っていた。


「あのね、私この間からずっと変な夢を見てるの」


 しとしとと降り続く春雨をBGMとして、結花は語り始める。午後4時過ぎ、雨のせいで薄暗い教室、不気味に静まり返った校舎、そしてこの頃様子のおかしかった友達。怪談話をするにしてもあまりに出来過ぎた状況。今にも雨に搔き消されてしまいそうなほどに小さな声は、しかしどういうわけか嫌にはっきりと聞き取ることができた。


「夢の中ではね、いっつも雨が降ってて、そこに傘を差した影みたいに真っ黒な人が一人で立ってるの。周りにはいろんな色の紫陽花が咲いてて、でもその人の周りにだけ生えてないの」


 ビクビクと何かに怯え、時折窓の外を気にしながらも結花は話を進めた。いつもなら跳ね一つないきれいな髪が、雨と恐怖で荒れてしまっている。勿体ないな。早瀬薫は場違いにもそんなことを考えていた。この中で唯一、幼稚園から結花と一緒である彼はこんな状態の彼女を見たことがある。確か、学校の鏡を割ってしまった翌日からしばらくの間、今のように先生に怯えて静かであった。


「......ねぇ、結花ちゃん......もしかしてその人の周りに靴とか傘とかなかった?」


 オカルト好きな朝日夏凛が問いかける。その言葉を聞いた結花は眼を見開いて夏凛のほうを向いた。その顔には必死さが色濃く浮かんでいた。


「なんでわかったの!!ねぇ!!なんで!!」


 いつもの元気な大声とは違う、叫び声に近い声。友人のあまりの豹変ぶりに5人はたじろぐ。特に詰め寄られ肩を掴まれていた夏凛は些かの恐怖さえ感じていた。


「ゆ、結花ちゃん!落ち着いて。ちゃんと話すから、ね?」


 はっと我に返った結花はバツの悪そうに「ゴメン」と呟いて一歩退いた。しかし次の瞬間にはまた見えない何かへの恐怖に心を奪われたようで辺りを忙しなく見回し始めた。


「あのね、雨の怪って言ってね、オカルトの世界ではわりと有名な話なんだ」

「あ、それ俺も知ってる。梅雨の時期になると子供を攫いに来るってやつだろ。ネットで話題になってるぜ」


 夏凛の話を大岡翼が引き継ぐ。実際、ネット掲示板でかなりの話題となっていたため、あまりオカルトに興味のない翼の所にまで噂が広がって来ていた。しかし、子供を攫うという言葉を聞いた結花は一層怖がってしまい、もはや会話ができる状態ではなかった。


「おい、大丈夫か、ヒナタ?」


 瑛人が結花に近付こうとしたとき、俄かに雨脚が強まった。ザーザーという雨音に弾かれるが如く、結花は荷物も持たずに何処かへと走り出してしまった。


「おい、結花!!待てよ!!」


 他の4人よりも一足先に我に返った薫が廊下へと駆け出す。しかし既に結花の姿はなくなってしまっていた。当てもないがとりあえず走りだそうとした矢先、背後から肩を掴まれた。


「こら、廊下を走るんじゃあない」


 クラス担任がいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべていた。その笑顔がいつになく無機質に感じられた薫は多少強引に先生の手を払い除けて振り向いた。


「小日向結花さんが荷物を忘れて帰ってしまったので急いで追いかけようと思いまして」


 普段は優等生の彼がイライラを隠しもせず話すのを見て、先生は少しだけ戸惑いを見せたが、出来る限り平静を装って話を進めた。


「小日向さん?そんな子がうちの学年にいましたっけ?それとも多学年の子ですか?」

「何をふざけてるんですか先生!!うちのクラスの結花ですよ!!小日向......」


 結花、と続けようとして言葉に詰まる。はたして、小日向結花とは誰であったか。そんな人物が身近にいた気もするし、いなかった気もする。

 ぐにゃり、と視界が歪む。少しふらついて倒れそうになったが先生が支えてくれた。視界の端で影が動いた気がした。


「大丈夫ですか?何か悩みがあるのならばお聞きしますよ?」


「いえ、大丈夫です。すみません、少しどうにかしてたみたいです」


「いえいえ。それにしても、あなた方5人は本当に仲がいいですね」


 教室内で談笑する残りの4人を見た先生が話しかける。


「えぇ、自慢の友達です」


 しとしと、ザーザー、サラサラ、ぽつぽつ。

 雨の止まない世界の中、影だけが彷徨い続ける。トモダチを探して今日も、次の雨の日を待ちわびている。


「ねェ、わタシとあそボウよ?」

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