無筆の紳士

千未子

第1話手紙

祖父が亡くなってから1年、信州にも春を喜ぶ桜が薄ピンクの花びらを踊らせていた。


祖父は私が物心がつく頃にはすでに鬱をわずらっていた。いつも閉め切った部屋の襖からそっと顔を出し祖母を呼び付け怒っているというのが日常で私はそんな祖父があまり好きではなかった。



祖父は70歳を過ぎた頃にパーキンソン病を発症、追い打ちをかけるかのように認知症も進み排泄の失敗や異食を繰り返すようになり自宅での介護もそろそろ限界ではないかとご近所さんから何度も言われるようになっていた。

しかし祖父の世話している母や祖母が家に居させあげたいとの強い意志で最後を迎える日まで本当に自宅での介護を貫いた。

実際のところ肺炎になって入院を繰り返したり転んで頭を打って救急車を呼んだりとハイハイを覚えた赤子の如く大変だったらしいが母や祖母が暗い顔をしていた印象はなかったと思う。その頃の私はというと欲しいものだらけのお気楽女子高生、アルバイトに明け暮れお小遣いを稼ぐのに必死だったので祖父の介護の大変さを横目で見ながらも何処か他人事だったと今更ながら反省している。

亡くなってからしばらくして母に何でおじいちゃん施設に入れなかったの?っと聞いてみた事があった。母は満面の笑みで恥ずかしげもなくこう言った「おじいちゃんはお母さんの事を本当に大切にしてくれたんだよ。お母さんは今でもおじいちゃん以上の男はいないって思ってる。ゆきはおじいちゃんのボケちゃったとこしか知らないからねー」っと嬉しそうに話す母がファザコンなのはなんとなく感じていたけどこれで確信に変わった。お父さんがこれを聞いていたらどんな気持になるんだろうと娘心に母の無神経さを嘆いたりもした。

そんな私も今や女子大生となり実家を離れて1年になる。久々の我が家はお線香の匂いがする他には何も変わった所は無い。

お仏壇に手を合わせ私は直ぐに自分の部屋に入った、大好きだったアニメのポスターやカラーボックスに残された時代遅れのマンガを懐かしく眺める。たった一年しか経っていないのに何処か子供っぽい自分の部屋が妙に恥ずかしく思え早々に荷物を下ろし居間に行く待っていましたとばかりにおばあちゃんがおやきをお皿いっぱいに並べ笑っていた。懐かしのおやきを一口食べた所で「ゆきちゃん、おやきを食べでからで良いんだけどばあちゃんの部屋のタンスの取手が外れそうなんだけど直してくれないかなぁ?敏春さんに頼んでもなかなか直してくれなくて」

敏春とは父の事でうちの父は婿養子であるその為おばあちゃんも遠慮がちに頼んだのだが不器用な父は返事ばかりで直してはくれないし母に頼んでも後でやると言ったっきりもう二週間にもなるらしく痺れを切らした祖母が帰省した私にお願いして来たようだ。お安い御用と私は納戸にある工具箱から使えそうな道具を手に取る、木製の工具箱は祖父が長年大事にして来たもので病気になる前は暇さえあれば工具の手入れをしていたと聞いていた。確かに手入れの行き届いた物である事は素人の私でもわかるほどだ。ひとつひとつ手に取り眺めていると工具箱の一番下に古い新聞紙が敷いてある事に気がついた、もしかして私の生まれる前の新聞紙だったりするかもっと興味津々に新聞紙を持ち上げる持ち上げた新聞の間からスルスルっと薄茶色く変色した手紙が数枚落ちてきた。恐る恐る手紙を手に取ると宛名は宮坂幸三様っと祖父の名前になっていたが送り主の名前が木下佳代と書かれており祖母や親戚でも無い見かけない女性の名前があった。瞬間的に私はこれは見てはいけないモノを見てしまったのではないかと手紙を持つ手が震えていた。しかしもう一度手紙に目をやると不思議な事に気がついてしまったのであるそれは何通もある手紙の全ては未開封のままであると言うことだ。私はドキドキした気持を抑えその手紙を再び新聞紙の下に隠しとりあえず祖母のタンスの取手を直す事にした。


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