第四話

 4:

 夕方になって駅に戻ってきた時、駅の前には秦太郎の車があった。

 地元を離れられない事情があったのだが、急な予定変更で迎えに来たのだ。

 また県を二つまたいで戻ってきて、帰宅した頃にはもう、夜になっていた。


「燕さんは?」

 源之助が聞く。

「ようやく寝た」


 燕の部屋のドアを後ろ手で締め、居間に戻ってきたところだ。


 急な予定の変更。ここでは話せない。燕が起きてきて、聞いてしまうかもしれない。源之助と番太を呼ぶ。


「お前ら、燕から絶対に目ぇ離すなよ。お前たちはここに残ってろ。いいな」

 源之助と番太が、「うす」と小さく強く答えた。

 秦太郎と一緒に、静かに外へ出て行く。

 


 アパートの真下まで降りた二人――

「ほれ」

 秦太郎が、自分の煙草を一本、こちらに差し出してきた。


 煙草を受け取り口に咥えると、秦太郎が火の着いた煙草を近づけてくる。


 秦太郎の煙草の火で自分の煙草に火を着けた。


 お互いに紫煙を吸い込み、ひと吹き。


 秦太郎が真っ暗な空を見ながら。


「あの野郎、かなり頭にキテるみたいだ」


 肩をすくめ。


「だろうな。オトモダチ共を全滅させてやったしの」

「……まぁ、あれは仕方ないな」


「お前よぉ。今さらだが、車に乗ってそのまま逃げる事もできたって、愚痴らねぇの?」


「俺だって肉親にああいうことされたら、肉絨毯の一つでも作りたくなるってもんだ……頭に血が上っちまってたさ」


 秦太郎にヤクザ口調は無かった。気が緩んだ声音。


「俺の妹なんだがなぁ……」

「からかうなよ、兄弟」


 苦笑して、秦太郎が不機嫌に鼻を鳴らした。

 秦太郎も燕の事を、妹のように思っていた様子。

 だがそれも悪くない。


「妹ってのは、可愛ええの~」

「だなぁ」


 軽口のつもりだったが、秦太郎が短く肯定してきた。

 二人してまた、煙草の紫煙を吐いた。

 白に近い煙草のけむりが夜闇を上ろうとして、静かに広がって消え去る。

 秦太郎と共に外に出たのは、妹談義を聞かれないようにするためではない。

 母親に会いに行った事の顛末はすでに話している。


 だからあえて、二人の話題には出ない。


 秦太郎が口を開いた。


「整理するぞ、あの族どもを束ねていたのは伊佐美勝彦。お前がウチに入ったときに、親父のタマ狙ってきた伊佐美組の組長の、一人息子だ」


 秦太郎がさらに付けたした。


「かなりの馬鹿なんだとよ」

「ちげぇねえ」


 シシシと笑う。


「俺たちが伊佐美組をぶっ潰した後、あの馬鹿息子は隣町の、虎鉄組の一部に取り入って、俺たちへの復讐の機会を狙っていた」


 静かに聞き入る。


「そしてお前を狙っていた……なんだかんだ言っても、お前があの時の決め手だったからな。お前がいなかったら、あの時親父もタマ取られて、潰されたのが俺たちだった。逆恨みと言っちまえば、それまでだが……目の敵にされるのは、当然だな」


「ああ、そうだな」


 さらに、燕が狙われた。こっち側の縄張りにちょっかい出していた手下共が、こっちの縄張りのカタギ(住人)に嫌がらせするつもり……だったようだが、その相手はよりにもよって妹の燕だった。


 あの一件で伊佐美の馬鹿息子に、龍之介には妹がいたということを知られてしまった。


 そして高校の入学試験の日の、あの事件が起こる。


 燕をさらって弄ぼうとした手下共を、龍之介と秦太郎が全滅させた。


 相手側は、いくらオツムの足りない馬鹿息子と言えど……いや、馬鹿さ故だろう。かなり憤っているらしい。二度も思い通りに行かなかったことに。


「はぁーあ」


 龍之介が、気だるそうにため息を漏らす。


 これ以上無駄にこちらを、刺激するだけの悪戯で終わるとしたら、伊佐美の馬鹿息子を抱えている虎鉄組の幹部も、面白くはないはず。


 致命的になればよかったのだろうが、失敗続きで神経を逆なでするだけなのだとしたら……虎鉄組の幹部も、伊佐美の馬鹿息子との繋がりを断つだろう。


 見方を変えれば、伊佐美の馬鹿息子も後が無い、という事でもある。


 だからこそ、まずい。


 相手が手段を選ばなくなってきている。


 しかも諦めを知らない、ここまでの馬鹿。


 今まさに、その馬鹿息子が集会を開いている。


 より大きく過激な手段を実行される前に、出向く必要があった。


「あぁー……あ」


 秦太郎が疲れたように呻きながら、ゆっくりと首を回した。

 これは警察の範疇には無い。法律と警察は事件が起こった後でしか動かない。


 出向いて決着をつける必要があった。


 これ以上過激な手段を行ってきたなら、おそらく燕もこれ以上の――


「だりぃな」

「だな」


 心底めんどくさい顔をする龍之介に、秦太郎があっさり同意した。


 あたりまえだが肯定されない。否定されるだろう。


 はっきりと言えば『悪』だ。どちらも悪行である。


 しかし自分達が『悪』だという事に、弁解も泣き言も開き直りも――無い。


 龍之介。


「馬鹿の相手は疲れるし、諦めが悪い分ウゼーんだよなぁ」


 秦太郎。苦笑して。


「お前が言うか」

「なら伊佐美の馬鹿と俺の馬鹿、どっちがええんじゃ? 兄弟」

「お前のほうが、ほんのわずかにマシだ馬鹿野郎。ほんのわずかに、だがな」

「あーそーかい」


 煙草はとっくに火が消えていた。


 少しばかり長く話しすぎてしまった。吸殻を床に捨てて靴底と草履で踏み潰す。


 辺りはしんと静まり返り、龍之介と秦太郎の周囲には、静かでピンと張り詰めた空気が漂っていた。


 秦太郎が言う。


「いくぜ、兄弟」

 龍之介が答える。

「おう、兄弟」

 同時に並んで、歩き出そうとし――


 龍之介が、秦太郎の腹へ拳を叩き込んだ。


「な……」


 秦太郎の隙を突いた龍之介。

 信じられないとばかりに、秦太郎の表情に驚きと苦悶が入り混じる。


「すまんな、兄弟……」


 龍之介が呟いて、前屈みになった秦太郎の後頭部へ手刀を叩き込んだ。

 秦太郎が気を失い、龍之介が秦太郎を抱える。


「燕は、俺の手で……守りたいんや」


 気を失った秦太郎を抱きかかえた龍之介。


 龍之介は秦太郎が気を失っているのにも関わらず、秦太郎の「大馬鹿野郎」という声が聞こえた気がした。

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