第二話
2:
「――という事でやす」
「…………」
何がどうしてどういう事なのかと、言い返してみたかったが、
「……はあ」
という相槌しか出なかった。
今はもう帰宅していた。部屋の中だ。
「では、改めて――」
秦太郎さんが口を切り直し、
「お控えなすって。仁義を切らせて頂きやす。手前、生国を発しますは生まれも育ちもこの深義町、世間の波に、乗れず馴染めず合わせずと、世知辛い世に反発しては、ケチ者札付き者と後ろ指……荒れに荒れての親不孝、流れに流れ、人並みの扱いを頂いたが武玄組。不肖不器用不出来ながらも、恩を受けては恩で返すが任侠道……武玄一家が一人……姓は宇道、名は秦太郎と、申しやす。お見知りおかれましてはお取立ての程、よろしくお願い申し上げます」
こんな自己紹介は映画の中だけでよかった!
「ご丁寧に、どうも……柴田改め、飛高燕ともうします」
「これはこれはご丁寧に、ありがとうございやす、ありがとうございやす」
こ、この空気に何をどうすればいいのか!
「俺は飛高龍之介だー、お前の兄じゃき。よろしくなー妹よ」
「龍之介! ちゃんと挨拶ぐれぇしろや!」
すっごくテキトーだったけど、その適当さが逆に休まりますお兄さん。
と、まったく昨日と雰囲気ががらりと変わっている兄。
おとなしそうで優しそうな姿がきれいさっぱり無くなっている。
「あの、お兄さん。ひょっとして今まで施設に挨拶に来たり……その、今までのって……」
「おう、演技じゃ。ようバレんかったなあ」
分かっていたことだったが、実際に言葉で聞いて頭を抱える。
あの、大人しい風で少し頼りなさそうだけど、優しい兄の姿はやっぱり演技だったのか。
今の兄の雰囲気は、子供をそのまま大人にしたような……というよりも、しっかりと社会に立たず、ちゃらんぽらんになった大人にしか見えなかった。
なんだか憤ることもできず。脱力。
「燕さん、始めに言っておきやすと、辛く悲しい事実かもしれやせんが……龍之介は本物の馬鹿です」
「分かりました」
「馬鹿は認めるが妙にムカつくなぁ……」
兄がぼやくが、秦太郎さんが無視したので流すことにした。
「己を馬鹿と自覚しながら、馬鹿な事をしているほどタチの悪い馬鹿はおりやせん。こいつはその類なんです」
「……おい」
兄がうめくも、秦太郎さんはあくまで無視の様子。
「んで、そちらの二人は、あっしの子分なんでやすが、半ば龍之介に付いているようなものでもあります」
ソファーに座った私に向かい合って座る、兄龍之介と秦太郎さん。そして私から見てテーブルの左側に並んでいる、チンピラが二人。
「只野番太と、雁谷源之助と言います」
小太りパンチパーマの番太さんと、角刈り長身の源之助さんが、先ほど秦太郎さんがしたような自己紹介をしようとして――
「ケチな未熟者の二人。以上でごぜえます」
秦太郎さんが先に言ってしまった。番太さんと源之助さんが同時に肩すかし。
「し、秦さん……」
「俺たちの自己紹介……」
「テメェらには十年早ぇ」
秦太郎さんが即座に言い放つ。
「ひ、ひどいっす」
「黙れ。大の大人が二人もいて燕さんを守らず、俺たちに電話掛けるたぁ情けねぇってもんだ」
あの時、曲がり角でぶつかったチンピラ二人が彼らだ。そして秦太郎さんと兄に連絡を入れたのも――
「あの時は急にぶつかってすいませんでした」
再度ぺこりと二人に頭を下げる。言うなれば、彼らは恩人でもあるということだ。
「いえいえ、俺たちこそ怒鳴ったりして……それに、柔らかくて髪とかが良い匂いで――」
とっさに胸を両腕で隠した。
えへへという笑みで顔を赤らめる番太さん。
「うるぁっ!」
兄が弾かれたような勢いで立ち上がると、そのまま小太りパンチパーマの番太さんを殴りつけた。
さらに兄が番太さんの胸倉をつかんでガクガクと振り回す。
「おいテメェ! 俺の妹のどーこが柔らかかったんじゃああん! どこじゃ? どこに当たったんじゃ! テメーの触れた部分を抉り取ってやらぁ!」
「アニキ! 事故です! 落ち着いてくだせぇ!」
角刈り長身の源之助さんが割って入った。
「そうです! こいつがいくら太ってるとはいっても、捌いたってチャーシューにすることもできませんぜ!」
「んだとごるぁ!」
源之助さんに怒ったのは番太さんだった。
余計なセリフが多い子分さんだ……。
「やめねぇか! 燕さんの前だぞ!」
一喝したのは秦太郎さんだった。
「燕さん。失礼しやした」
「い、いえいえ」
どうやら秦太郎さんという人は、この兄と子分さんたちの調停者。の立場らしい。
なんだか気苦労が多そうだなあ。
まだ初手の段階だが、このやり取りだけで心境を察する。
「燕さん、番太にはどうか小指で勘弁してやってくだせぇ」
「いやいやいやいやいやいや!」
手を思いっきり振って遠慮する端っこで、番太さんがびくりと硬直して左手の小指を隠した。
「ですが、それでは燕さんに恥をかかせたケジメが――」
「私そっちの人じゃありませんから! 小指とかケジメとかの必要は無いですって! むしろやめてください!」
やだ秦太郎さん、頭固い!
「そうですか……番太! わかったか! 燕さんの情けに感謝しとくんだぞ!」
秦太郎さんの喝に、番太さんが「申し訳ありませんでした!」と手を床について謝ってきた。
これではまるで秦太郎さんは調停者というよりも、猛獣の調教師のようでもある。
どーしてもう少し程良い具合の罰則とかが無いのかなぁ……。
冷や汗。
そして置いてけぼりを食らった、兄の龍之介はというと――
いつのまにかその場から一人離れ、鼻歌交じりに本棚から漫画を取り出していた。
この状況で。
「ん?」
視線に気づいた兄。
「いやー自己紹介も終わったし、暇だから読みながらでもと思ったじゃけぇ」
――自由すぎる!
「お、ま、え、はああぁぁぁ!」
秦太郎さんの雷が轟いた。
兄の顔にアイアンクローをする秦太郎さん。子分の番太さんと源之助さんが止めに入り、なんかもう部屋の中がぎゃあぎゃあになってる。
――私の生活は、これからこんな調子なのかなぁ。
力が入らなくなり、私はこてんとソファーに倒れた。
ようやく会えた兄との期待の生活は、初日の夜に早くも崩壊。
生き別れの兄は、ヤクザ――悪党だった。
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