第五話
5:
「お」
正面方向にコンビニエンスストアの看板を発見。
そういえば、兄は仕事に出かける際に、自分のお財布にいくらかお小遣いを入れてくれていた。
まだ春の気配には少し遠い風が吹く中、野暮ったいジャンパーに入っている財布を確認する。
なんだか微妙に分厚いんだけど……。
いくら入れてくれたのかなー?
表に出てしまいそうな含み笑いを我慢しながら、お札口を開いて覗く。
中を見て――
「え?」
一、二、三、四……九、十、十一、十二の――
「な……え? はぁ?」
福沢諭吉さん1ダース分。が入っていた。
「…………」
やばい。
やばいやばい。
やばいやばいやばいやばい――
危機感が訳もなく沸いてくる。
髪を振り回しながら周囲を見回す。
この財布の中身を、通りがかりでちらり見た人はいなかっただろうか? もしかして見た人がいてあれやこれやな――
どうしよう!
むしろ道端で財布を開き見て挙動不審になった時点で自分自身が怪しい。むしろこの挙動不審さでこっちを気にした人とか、自分の財布なのに中身を見て驚いているのを通りかかった警察さんに発見されて気になってあれやこれやなどれやな。
どうしよう!
なんでこんな大金を兄は何も言わずに入れていったのか? ああそうかこれはきっとアパートの家賃を払っておいて~とか光熱費が振込用紙払いだから、もしくは通販で品物が届くから~的な事を、兄は出掛けに言い忘れていたのだ。きっとそうだそうに違いない!
どうし――
「落ち着け私!」
勢いあまって大声を上げてしまった。
足元にいたコジローがびくりとし、さらに車道をはさんで、反対側を歩いていたスーツの男性がこっちを見た……見られてしまった。
――と、とりあえず!
小銭で飲み物を買おう。うん、喉が渇いただけだから、ミネラルウォーターとか紙パックの安いやつにしよう。
私の節約の心は頑なだ。決してびびってなんかない。ないない。
たくさんあるからって。使ったらもったいない! もったいないと思え!
胸を手に当て、なんとかコンビニエンスストアの看板まで歩いて行く。
アスファルトの上にこぢんまりと置いてある看板を目指して向かい、半ば覗き込むような気持ちでコンビニエンスストアの敷地内へ――
「いっ!」
コンビニエンスストアの建物を視界に納めた瞬間、反射的に看板の影へ逃げ込んだ。
「…………」
小ぢんまりとした看板を盾にして、体を丸めてしゃがみこむ。
「ええぇ……」
あまりのことに、口からうめき声が漏れた。
コンビニエンスストアの建物を視界に納めたら、建物の入り口付近に、ありえない集団を発見してしまった。
(あれって、『ぼーそーぞく』っていう人たちだよね……)
コンビニエンスストアの手前には車を停められるスペースがあり、その半分近くのスペースに、改造された二輪自動車と……明らかに特殊な服装をした集団が固まっていた。
一瞬だけ見えたが、大体五、六人が縁石を椅子代わりにしたり、足を開いたしゃがみ方をしたりして、
エグゾーストノイズ世露死苦ワールドになっていた。
私はどのあたりから道を間違えて、警察が二十四時間戦う世界へ迷い込んでしまったのだろうか?
足元に居た小型でしかも子犬のコジローが、何事かと看板の影から先を覗き込むと――腰を抜かして、尻を擦りながら後退した。
生まれて間もない子犬ですら、この危険度の高さを本能で理解したらしい。
コジローが再確認してくれたのだが、看板を影にして再々度頭だけを出して確認する。
うん、いる。あそこだけ巨大なテレビのスクリーンになっていて警察二十四時が放映されているわけではない。
本物だ。マジもんだ。
だって気合が見えるんだもん。
やたら長い白や黒や紫一色の服には、常用漢字や辞典の記載を超えた字面が入っている。
今は昼間だが、夜ならば彼らの周囲にはきっと、パラリラバラリラリラとか、ぐおんぶんぶおーんという音が流れていたに違いない。
――あ
彼らの中の一人が、こっちに気づいて目が合ってしまった。ばっと看板の影に逃げ込むも、もう遅い。
って、なんでそもそもが自分がこんなにもびくついて隠れてしまっているのか。
――この財布のせいだ!
いつものように財布の中に野口さんとか小銭だけが入っていれば、きっと「おっかないなぁ」ぐらいの気持ちで、ちょっと距離を取りつつ、素通りできたのかもしれないし、今考えてみれば、動揺せずに演技してでも平然とした足取りで通ればよかったじゃないか!
――この財布のせいだよ! お兄さん!
ポケットの中に収めなおした分厚い財布を、ジャンパーの上からぐっと恨みがちに力を込めて握る。
またも取り乱しそうになって……コジローが足元でくぅんと擦り寄ってきた。
くしゃっとした顔に大粒の瞳をもったコジローの顔は、どこか哀愁を漂わせている。
もう一度コジローがこちらを見上げてくぅ~んと鳴き、実際は頭を動かしただけなのだがどこか、そっちへ行かないでと首を振ったようにも思えた。
(ああそうか、別にこのまま方向転換して離れれば良いんだ)
ようやく落ち着いてきたのか慣れてきたのか、ただ単にここから離れれば良いだけの話だったことにようやく気づいて安堵する。
(よし、ここから離れよう。なるべく早足で)
燕はそのまま立ち上がろうとして。
「おいテメェ」
びくり!
コンビニエンスストアの看板を挟んで、ものすんごく近い距離から声をかけられた。
「なに俺ら見て隠れてんだコラ」
語尾のコラがまるでオラァの発音とも取れる力んだ声音。
恐る恐る振り返ってみると、
「そいつぁちょっと、失礼なんじゃねぇのか? あぁ?」
硬直。
「…………」
先ほど看板から顔を出して眺めたときに、中の一人と目が合っていたことを忘れていた。
コンビニエンスストアの看板を挟んで、喧嘩上等やら爆走野郎が良く似合う姿のパラリラさんたちが、六人も。
「あ、はははは……は」
これはもう、笑うしかないのかもしれない。
「んで? うちらに何か用なわけ?」
ないです。接点すらありません。
「それともお前、兄貴あたりに走り屋でもいるのか?」
あのお兄さんに、そんなオトモダチがいるようにも見えません。
「なんか答えろや!」
苛立ちが隠せなくなった一人が、コンビニエンスストアの看板を蹴った。
突然の大きな音に びくびくしながらも、 何とか声をひねり出す。
「えと、んと……ごめんなさい」
「謝ればすむと思ってんのか? あぁ?」
さらに別の一人が、語尾を強くした口調で脇まで寄って来ると、しゃがみながら目を見開いて下から顔を覗き込んできた。
うっわーすっごい不良。型にはまりすぎ。
「なんで隠れていたのか理由を聞きたいわけよ? わかる?」
理由はなるべく、そちら様の風体でなんとか察して欲しいのですが!
そんなツッコミ的な言葉は、火に油を注いでしまうことは明らかなわけで。
「いえ、あの……初めて見たもので……バイクとかが……」
しどろもどろになんとか言い訳をしてみる。
「バイク?」
囲んでいた特攻服姿が全員自分達の改造バイクを見る。
「俺達のバイクに興味があるんですか~ぁ? ほんとーです、か?」
さすがに苦し紛れの言い訳と分かったのか、わざわざ遠まわしに言ってくる。
「あと、そのえと……」
「だったら一緒に風切ってみますかー? 『初めて』なんでしょ?」
しゃがみながら見上げてくる一人に、他の五人が私を取り囲みながらゲラゲラと見下すように笑う。
なんでこんなイタイケな少女(自分)にここまで食らい付いてくるのでしょうか!
「ちょっと乗せてあげようか? こうやって――ばぁぁあっ!」
下から顔を覗き込んでいた一人が掛け声と共にがばっと立ち上がって脅かしてきた。
ひっ! と小さく悲鳴を上げてしまい――
「っ痛ってぇ!」
驚かしてきた一人が足元に向けてそう叫んだ。見ると、先ほどから小さく唸っていたコジローが、彼の足に噛み付いていた。
「コジローちゃん! だめ!」
噛み付いていた足が振り上げられた瞬間に、コジローはさっと離れ
――そのままリードを引きずって逃げていった。
オーマイガー!
「コジローちゃんまってぇええ!」
逃げ出したコジローを追って走り出すと、背後から「待ちやがれごるぁあっ!」という怒鳴り声。暴走族集団が追いかけてきた!
なんでこうなるのかな!
コジローを追いかけつつ、追いかけてくる背後の集団から逃げるように、とにかく走るしかなかった。
犬なのに脱兎のごとく走り去ったコジローに、ようやく追いつく。
ようやく止まってくれた。急いでリードを拾う。
肩で息を吐きながらコジローと一緒に振り返って、もう追っては来な――
来た!
「もううやだあぁぁぁ!」
おそらくコジローも同じ事を思っていただろう。一緒に脱兎になる。
直線ばっかりの逃走は駄目だ! 角を曲がって――
どんっ!
曲がった途端、人にぶつかってしまった。
「おう! どこに目ぇつけてやがる!」
ぶつかった相手は『チンピラさん』二人組みだった。
今度はこっちかあああああああ!
私がぶつかった方は、パンチパーマに派手シャツと金のアクセサリー、さらに小太りの、チンピラ代表のような男だった。
そしてもう片方は、渋い顔つきの角刈り頭。
B級映画こんにちは。
「おい番太、この子――」
「ごめんなさい失礼しました!」
四面楚歌前門の虎後門の狼となる前に、二人のチンピラさんの脇を通って走る。
長身角刈りの方が気になることを言っていたような気がしたが、そんな余裕は無い。
走って走って、曲がって走って――曲がって曲がって走って曲がって――
自分がどう進んできたのかも、ここがどこら辺かももう分からないまま無我夢中で、
「燕さん!」
――え?
背後からスーツの男に名前を呼ばれて急ブレーキ!
前を走っていたコジローが、リードを引っ張られて前足を空回しする。
来たばっかりの町で、私の名前を知っている人。
宇道秦太郎さんだった。兄龍之介の友人。
「秦太郎さん!」
声を荒げて、秦太郎さんに駆け寄る。
「あ、あのっ――」
「大体事情は察しやした、あっしも燕さんをお見かけして、追いかけてきたんでさ」
よく見れば、秦太郎さんも肩で息をしている。
声も切れ切れだ。
秦太郎さんのさらに後方から、暴走族さんたちの自分を探す荒い声が聞こえてきた。
「ここはあっしにお任せくだせぇ、燕さんはこのまま真っ直ぐに」
「で、でも――」
「行ってくだせぇ!」
一緒に逃げてくれる方が心強いのだが、秦太郎さんはさっと背中を見せて、壁になるように後方へ向いた。
「早く!」
背中越しの強い声に、「はい」と答えて走り去るしかなかった――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます