第82話 時任氷!



「おはよぉ…。ねむねむ。」



一昨日に大会が終わって学校へ行くと氷がとても眠そうに俺に挨拶してきた。

確か昨日は自主練だったので、氷のことだからそこまで激しい練習をしていないと思うが…。




「おはよう。今日は一段と眠そうだけど昨日は遅くまでなにかしてた?」



「うぅん。何もしてない。寝すぎて寝るのが当たり前になってるかも…。」




「練習休みだろうけど、少しは練習しないとダメだぞ。」




「おっけー。そこらへんは大丈夫。スカウトするんだよね?面白い選手知ってるよー。ちょっと遠くなるけど見に行ってみる?にこにこ。」




満面の笑みで俺の事を見てきたので流石に断る訳にもいかないし、逆に氷と2人で出掛けてみて色々と話を聞いてみるのもいいかと思っていた。




「氷が面白いっていうならちょっと気になるから見てみようかな?地元に戻るなら電車で1時間くらいかかるよね?」




「そうだねぇ。今日少しだ早く学校終わるんだよね?ならいこいこ。寮に帰ってくるのにも間に合うと思う。れっつーごー!」




そういうとカバンを持ってさっそく行こうとしている。



「おいおい。今から学校だから終わったら行こうな。」




「はーい。…しゅん。」



少しだけ寂しそうな顔をしてすぐに席に座ってまた寝てしまった。


ということは柳生も知ってるだろうか?

ちょっと早めに情報を仕入れておいてもいいだろう。




「柳生。後輩とか一個下で知ってるいい選手とかいる?」



「ん?後輩でいい選手?まぁ知らなくはないけど、ポジションはどこなの?」



「うーん。氷がその選手見に行こうって誘ってきたから行くんだけど、氷が面白い選手って言ってたんだけど心当たりある?」




「え?氷が面白い選手って言ったの?あの子の野球観がよくわかんないのよね。私が知ってる良さげの選手は覚えてる限り教えてあげるから。」




そういうと元々用意してくれていたであろう紙を俺に渡してくれた。


可愛い犬のメモ帳を丁寧に破った紙を2枚受け取って中身を見ると、苗字、チーム名、ポジション、アピールポイントをざっくりまとめてあって凄くきれいな字で書かれてあった。




「ありがとう。有効に使わせてもらうね。」




「いいえ。お礼なら私の打撃向上を手伝ってくれたらそれでいいよ。」



柳生はしっかり者で案外世話焼きなんだろうが、それを知られたくないのかいつもツンツンしているような気がする。




チャイムが鳴ったので席に着いて隣を見たら、目を閉じたまま前を向いている氷は先生に直ぐにみつかり怒られていた。





「コーチ。早く行かないと時間なくなるから行こ。」



「そうやね。あんまりだらだらしててもあれだから氷の気になる選手見に行こうか。」




放課後になって急に眠気から解放されたみたいに元気よく起き上がって、俺の事を引っ張ってでも連れていこうとしている。




「東奈さんと氷さん。すごく仲良くしてそうですけど、今からお二人でお出かけですか?」


「えー!遊びに行くなら私と緒花ちゃんも連れて行ってよー。」




周りから見ると小さい氷が俺のことを一生懸命引っ張ってるように見えて、イチャイチャしてるように見えるのだろうか?


円城寺と夏実が俺たちのそばによってきて何事か気になって近寄ってきた。




「こら。氷、女の子が相手がコーチとはいえあんまりベタベタしたらだめよ?」




「愛衣ちんはいつもうるさい。べーだ。」




氷と柳生はいつもこんな感じで、柳生が注意したりするがそれをちゃんと聞いてると思うのだが、氷はいつもいたずらっ子ぽく受け答えしてするするっと逃げ出している。




「今日は氷とデートしに行く訳じゃなくて、氷が面白い選手知ってるって言うからその選手を今から見に行くんだよ。もし、3人でなにかピンと来る選手がいたら一緒に行ってもいいよ。」





「わかりました。もしよさそうな選手を見掛けましたらお伝えしますね。」



「はーい!私も元々居たチームに顔出そうと思ってたから聞いてみるねー!」




「私はあのメモでいいよね?それじゃ頑張ってね。」




みんな状況を納得したようで、同じクラスの4人は積極的に手伝ってくれるようだ。




「本当にありがとう。助かるよ。」



こういうお手伝いが1番助かる。



選手たちを指導するのが俺の役目で、選手たちは上手くなって試合に勝ってもらえばそれが一番いいことだが、もし俺に何かしてくれるなら後輩とか知り合いのコネを使って白星をオススメしてくれると有難い。




俺と氷はクラスの注目を浴びながら教室を出て、1番近くの箱崎駅で電車に乗って門司まで移動した。

監督に昼休みにお願いしに行って、2人分の移動費を経費としてお願いしてきた。


2人分というのがかなり渋い表情をしていたが、スカウトの為ならとお金を出してくれた。



もしかしたら経費で落とせずに氷の移動費だけは自腹になるかもしれないが、それは子供の俺たちが考えることではないと思うしか無かった。





「帰りはマミーが送ってくれるから、監督の自腹にならなくて済むかもね。にこり。」




それはよかった。

少し前に考えないようにしようと思ったが、片道だけなら俺が往復で1人で乗ったことにしたら大丈夫だろう。




「きっと監督も涙流して喜んでくれるよ。にやり。」




俺は氷の真似をして笑わそうと思ったが、既に話を聞いていなかったためなんとも虚しいモノマネになってしまった。




電車の中で2人で打撃に関することを沢山話していた。

氷もそれが一番食いつきも良かったし、やっぱり打つことは誰よりも好きみたいで自信満々の様子だった。




「桔梗がね、やっぱりコーチの教えを前から知ってるせいか分からないけど、似たようなこと言ってた気がする。それも正解と思うけどー。氷はあんまり納得いかないかなぁ。はてな。」



最後のはてなは、なんのはてなか分からなかったが、打撃理論の話だろうけど桔梗や俺みたいな強打者といわれるバッターと、好打者といわれる氷みたいなバッターは違うのだろう。




「みんながね、氷にバッティング聞きに来るけど教えることは同じ。打ちたい場所に打つ練習をしたらいいと思う。コーチはどう思う?はてな。」




「多分、それをする為にどんな練習をするのか、なんでそれを会得出来たかっていうやってきたことを教えてあげたらどう?」




「それは少しだけ教えてあげてる。けど全ては教えてあげない。氷はこう見えて幼稚園の頃から野球してたんだよね。運動神経がよくなくていつもベンチで応援してたの。けど、野球は大好きだから試合に出たいと思って、運動神経がよくない氷が試合に出る方法を探したの。」




氷は昔のことを話し始めた。


俺も氷がここまでの打撃技術を会得するのにどれだけかかったのか、なんでそういう考え方になったのか気にはなる。





「そう思ったのが小学生2年生の頃。」




「そうなのか。かなり早くに負けず嫌いになったんだね。」




「ふふ。そうだよね。けど、今も同じ気持ちなんだよ。3年生がいても押し退けて試合に出たかった。氷の方が打てるって自信はあったよ?けど、3年生達と比べると総合力が足りてないってのが自分でもよく分かってる。」




氷はいつも眠たそうにしてたり、何考えてるか分からない感じはするが心の中は1年生でも屈指の負けず嫌いなのかもしれない。




「今の氷の総合力が50だとしたら、守備もプラスくらいまでには上げれるように頑張るけど、守備0、走塁-50、打撃150にして総合力100にしちゃう。にやり。」




やっぱり打撃中心になるのか。

俺はそれでもいいと思っているし、桔梗が高校通算で.450くらい打てると考えている。



それくらい打てないと多分プロ野球選手になれても活躍できないだろう。



氷には5割以上を期待しようと思う。


半分以上打つなんて無理と思うかもしれないが、相手の投手はみんながみんなちゃんとした高校レベルとは限らない。



この前の右田さんは1年生で、下の上から中の下の高校の3年のエースと同等のレベルがあるだろうし、逆に言えば俺達が3年になった時に相手のエース投手のレベルもそれくらいだということもあるなら、ヒットを打つことくらいは難しくないというのが俺の考えだ。



「話ちょっと逸れちゃったけど、野球の本を沢山読んだよね。どれもこれだってやつがなかったけど、パピーとマミーが沢山本を借りてきてくれたけど、返却期限もあるから早く読まないといけないから、その為に速読術っていうのをパピーとマミーと一緒に頑張って覚えたんだ。」




なるほど。

速読術、楽読術ともいうのか。

俺は小さい頃から姉の球や家にあるバッティングマシーンで速い球を見続けてきたから、その成果なのか動体視力はいいと思う。



氷は野球を上手くなるための情報として、野球の本を沢山読もうとしたが、結果的に本を沢山読むための能力の速読術という1番の重要なことを両親から教えてもらったみたいで、氷の今の打撃の根本になっているものを偶然か、親はわかってて氷に授けたのかは分からない。




「なるほどね。動体視力の良さはそこから来てたのか。後はバットコンロールの練習も相当やってみたいだしね。」




「パピーがパチンコの球持って帰ってきて、細くて少し長めの鉄の棒でトスバッティングずっとしてたんだ。あの小さな球を当てに行かずに自分の目とバット操作して100玉連続で打ち続けるのに4年かかった。」




かなり特殊な練習方法だが、鉄の棒と言ってるけど素振り用の少し重たい細いバットでトスバッティングしていたのだろう。



パチンコ玉を細いバットで簡単に打てるようになったということは、普通のバットで大きなボールを打つのもそんなに苦戦しないのだろうか?




氷の手は手全体がマメだらけかと思ったが、そうでも無い。


重心が先っぽにあるバットを使い、力を抜いてそれを最大限に生かすスイングをしているから、体が強くなくても強いスイングを可能としている。





「そういう訳で、氷の打撃技術が手に入ったのです。だから簡単にそこまでは来れないと思うから、少しだけ教えてるんだ。その次のステップをクリア出来たら次のことを教えてもいいかなって。こくこく。」



自分で言って自分で納得して頷いている。

氷は天才肌と思っていたが、努力してその天才的な技術を手に入れたのを今知ることが出来た。




「そんなに頑張ったんだな。これからもその努力を怠ることなくまずは桔梗よりも打率が良くなるように頑張ってみたらいいよ。」




「負けないよー。ホームランとかは絶対無理だけど桔梗よりヒットは打って、桔梗が氷を簡単に返してくれることを期待してる。びしっ。」




足が早くないから桔梗にホームランを期待するのはおかしいことでは無いが、最初から他人任せなのは氷らしいといえば氷らしい。




駅に着いて、すぐに駅を出るとブルーのエコカーみたいな車が止まっていてそこからこちらに手を振っている人物がいた。



「氷ちゃーん!こっちこっちー!」




多分氷のお母さんだと思うが、よく良く考えれば俺はどんな顔して氷のお母さんに挨拶したらいいのか分からずに少し汗が出てきた。





「あ、あの。白星高校で氷さんとかを指導しているコーチの東奈です。よろしくお願いいたします。」





「あらー。あなたが東奈コーチさんなのね!私は氷の母の冬華です。冬華お姉さんって呼んでいいからね?」



そういうと満面の笑みで断りずらい雰囲気を醸し出していて、俺はそれに仕方なく乗ることにした。




「冬華お姉さん、今日はよろしくお願いしますね。」




「あら!よく分かってる子ね!こんな所でお話するのもあれだから車に2人とも乗ってちょうだい。」




俺と氷は素早く指示に従って車に乗り込み、よろしくお願いしますともう一度お礼をしておいた。




「マミー、朝送ったメッセの通りに小倉西のグランドに向かってくれる?」




「小倉西のグランドね?りょーかいです。びしっ。」




氷の話し方のルーツはここだったのかもしれない。

まだまだかなり若く見えるからお姉さんでもあながち間違えじゃないと思えてきた。




「氷ちゃんは白星で上手くやってますか?この前試合を見に行って、惜しかったけど1回戦で負けちゃって残念だったけど、氷ちゃんもベンチ入りして試合にも出れたみたいだけどこれからはやっていけそうなのか心配で。」




純粋な親心なのだろうか?

氷は両親と仲良さそうで練習にも沢山付き合ってもらったと言っていたから、気にはなるのだろう。




「マミー。氷は大丈夫。ぶぃ。」



にっこりとした顔で母親に向かって大きいVサインを作ってアピールしていた。





「簡単なことは言えないんですけど、外野のレギュラー争いには間違いなく入ってくると思いますよ。監督がどうするか分からないけど、打撃力が欲しければレギュラーだろうし、守備面を強化するなら厳しいかもしれないっていう俺個人の意見ですが。」





「あら。素直なのね。ちゃんとした客観的な意見を聞けて安心した。手放して氷ちゃんがレギュラー取れるっていったらどうしようかなって思っちゃった。それなら氷ちゃん頑張らないといけないね。」




俺は軽く試されていたのか。

やっぱり高校生の同級生のコーチをしているとどうしても大人に試されることが多くなるなと感じていた。




俺たち3人は野球の話以外にも学校の話とか昔の話をワイワイと話していたら、目的である小倉にある結構小さめな球場に着いた。




氷のオススメの選手はどんな選手か楽しみだ。




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