第56話 リスタート!


今日は入学式前の日曜日の朝。



俺はここ2週間雑用に次ぐ雑用。

そして更に雑用。



だが、今日だけは違った。

上級生達は練習試合で出かけている。



学校での練習なので、問題が起これば学校の先生に連絡すればいいので残っているのが俺だけでも問題ないらしい。




「東奈コーチも練習試合に連れていった方がいいんじゃないですか?」



こんな悪魔のような提案をした北上先輩には一瞬だけ殺意を覚える瞬間にぐっと堪えた。




「1年生たちの練習を東奈くんにお願いするから、試合にはついてこれないから最近彼に任せてる用意は各自でするように。」




「はい!」




いい返事をしていたが、舌打ちをする動作を俺は見逃さなかった。



昨日のちょっとした出来事だが、危うく練習試合に行ったらなにをやらされるかわかったものでは無い。


しかも、1年生に好きなだけ指導ができる機会がやっとやって来てそれが無くなるのがどうしても許せなかったがそれは監督によって俺の思いは救われた。



監督も俺をコーチとしてちゃんと指導をさせてあげたいという気持ちは伝わるが、3年生に俺のコーチ就任にとてつもない反対があったらしい。



だがそれを押し切ってコーチとして俺を迎え入れた。



3年に強く言えないのは俺もわかっていた。

俺は監督に従ってただ今を頑張るだけ。




9時からの練習だったが、初めてコーチをできると思ったら8時にはグランドに着いていた。




「あ、東奈くん!今日は早く来ると思った。」



「ししょー!あのシュウトメから開放されたんだね!」



グランドには美咲とかのちゃんが2人でストレッチをしていた。



挨拶する前にかのちゃんの毒舌が飛び出した。

俺に対する先輩のいびりを姑に見立てているのだろう。




「おはよう。2人とも早くから準備運動とは偉いね。かのちゃんはあんまり先輩の悪口を言わないようにね。」




「いーやーだーねー。かのんの思想の自由まではししょーでも奪えないんだよー!」




かのちゃんはどこまで行ってもかのちゃんなのか。

そうでも無いとあんなに天真爛漫に生きてはいけないのだろう。



9時になる10分前には全員集合していた。



久しぶりにグランド丸々使って野球の練習が出来る。

みんな先輩に気を使わずに野球をやりたかったのだろう。




「全員集合!!」



練習が始まる前に言うことがあったので、みんなを集めた。




「とりあえずみんなベンチに座ってくれ。」




俺がそういうとみんなキビキビとベンチの中に移動してバラバラに座った。



「今からみんなに話しておきたいことがある。というよりも友人からグランドの中ではコーチとして厳しくする為の俺なりのケジメと思ってくれてもいい。」




俺の話をみんな黙って聞いていた。

改まって話すことなんてこれまであんまりなかったから尚更だったかもしれない。




「グランドの中ではみんなのこと苗字か名前を呼び捨てにしようと思う。そして、俺の事はコーチとして呼ぶようにして欲しい。どうしても厳しい練習を課すこともあるからね。」




「コーチ。わかった。」




一番最初に返事をしたのは桔梗だった。

その一声に続くようにみんなもそれを了承した。




「あと1つ。グランド内では俺に敬語を使ってくれ。同じ学年でそこまでしなくてと思うかもしれないが、指導者と選手の関係はグランドの中ではハッキリさせないといけない。」



そういうとみんな驚いたような顔をしていた。


それまでお互いになんでも言える感じだったのにいきなり突き放されたような気がするんだろう。



俺はここ最近ずっと悩んできた。



指導はあんまり出来ていなかったが、時間があれば指導している時に気がついてしまった。




俺と1年生達とは教える前から友人として絆が生まれてしまっていた。


みんなフランクに話しかけてきて、俺も優しく指導する。それが別に悪い事だとは言わないが、果たしてそんな関係で本当の指導ができるのだろうか?



スパルタを強いる訳では無いが、どうしても選手を怒ったり鼓舞するためには嫌われる土台が必要な気がした。



仲良しからいきなり強く物事を言うのはかなり難しいと俺自身は思っていた。



これは間違いなのかもしれないし、あっているのかもしれない。



だが、俺がコーチなった以上コーチとしてのやり方を自分で決めないといけない。



もしだめだったらまた諦めて変えて選手達にお願いしたらいいのだ。





「かのん、桔梗、梨花の3人は特に俺に敬語を使いにくいだろうけど、これは俺が決めたルールなんだ。もしこのルールを守れないようだったら指導することは無い。」



ガタッ!



急にかのちゃんが立ち上がって俺の目の前までやってきた。


みんなそれを固唾を飲んで見守るだけしか出来ないほどかのちゃんの表情は真剣そのものだった。




「わかりました。コーチの言うことにかのんは従います。だからかのんに野球のことを教えてください。よろしくお願いします。」




そう一言一句俺が聞き逃さないように大きな声で、これまで聞いたことの無いしっかりとした敬語を使って目の前で宣言した。





「私もコーチの言うことに従います。」




すぐさまかのちゃんの後を追うように言い出したのは西さんだった。




みんなを1周見渡すと納得した表情で力強く頷いていた。




「最後にみんなが名前で呼んで欲しいか苗字がいいか聞きたいと思う。それくらいは聞いてあげてもバチは当たらないかなと思って。」




俺はここまで強がった発言をして、みんなに受けいれてもらってほっとした表情で質問をしてみた。




「ワシは変わらずは梨花でええ。」


「かのちゃんがだめならかのんでいいかな!」


「私は桔梗でいい。」


「はーい!私は美咲でいいよー!」


「えっと…。夏実でお願いします…。」


「ウチは雪山でいいッス!」


「私も柳生のままで構わないわ。」


「氷で。ぺこり。」


「円城寺でよろしくお願い致します。」


「ボクも月成でお願いします。」


「七瀬でいいです。」


「凛でいいけん。」



苗字5人、名前7人。



呼び方を変えて欲しいのは江波さんが夏実と、王寺さんが凛に変更してきた。



江波さんは何となく分かるが、いつもゴリゴリの博多弁の王寺さんが名前に変更したのはかなり意外だった。



他には雪山さんは名前で呼んでというかと思ったら苗字だったのも少し意外に思った。




「よし。それじゃ練習開始だ!」




「「「はいっ!」」」





俺たちは気持ち新たに1からのスタートを切ることにした。




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