ニートの俺が初恋の子と再会した結果

青水

ニートの俺が初恋の子と再会した結果

「はあっ……」


 平日の昼間から、俺は近所の商店街をぶらつく。

 日の光を浴びていると、少し気分が落ち着く。やはり、俺の肉体は日光を求めているのだ。ニートといえども、早寝早起きを心掛けるべきなのだ。朝に寝て夕方に起きるような生活は、体内時計が狂う。少なくとも俺は、昼夜逆転生活をできるタイプの人間ではない。

 平日の昼間の商店街は、空いている。人はまばらだ。学生は学校に行き、会社員は会社に行く。平日休みの会社員や学校サボりの学生くんもいるが、少数派だ。


 まさか、俺がニートになるとは……。夢にも思わなかった。小さなガキの頃は、この世界にどうしてニートという存在がいるのか不思議でならなかったものだ。大人になれば両親のように、きっちりと働くのだと、漠然とそう思っていた。

 どこで失敗したのだろう。どこでレールから外れてしまったのだろう。大学を中退したときか、いやもっと前――大学受験に失敗したとき、高校受験に失敗したとき、あるいはもっともっと前からほころびが生じていたのか……。


 わからない。だが、俺が失敗してしまったことだけはわかる。

 大学中退、高卒。高卒で働いている人もたくさんいる。だから、俺が働けない道理はない……のだが、俺を採用してくれる会社は今のところ一社としてない。


 就職が難しいのなら、フリーターになればいいじゃない。だが、残念なことに、アルバイトもろくに受からない。それはきっと、俺の面接態度に問題があるからだろう。具体的にどのような問題があるのか、俺自身はわかっていないのだが、ここまでバイトに落ちまくるということは、何かしらの問題があるのだ。それは間違いない。

 問題がある。面接官から見て、俺の挙動はいささか以上に不審なのか。あるいは、全身から無能オーラが放たれ、拡散しているのか……。

 もちろん、中には俺を採用してくれる店もあった。ありがたいと思って働き始めるのだが、どうももたない。半年たたずしてやめてしまう。気力や根気といった成分が著しく不足しているのだろう。なるほど、確かに俺は無能だ。


 失敗しているうちに、ニートをしているうちに、内面からじわりじわりと腐っていったのかもしれない。人生において、ある種の負のスパイラルに陥っている。これはどこかで断ち切らねばなるまい。

 とりあえず、外に出て日光を浴びることから始めよう。というわけで、平日の昼間から商店街をぶらついているわけなのだが……。


「疲れたな」


 独り言を言ったところで、誰も俺のことなど見ていない。

 本屋で小説を一冊購入して、喫茶店に入った。ニートでも金は消費する。そろそろどこかで働いて小金を稼がなければ……。


 アイスティーを購入し、ミルクとシュガーを入れると、隅の席に座った。平日の昼間の喫茶店は空いている。当たり前だが、学生はほとんどいない。一応、大学生らしき若い男が一人、マックだったか……アップル社のノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを打っている。ちなみに、俺のパソコンはアメリカ製だ(質の割には安い)。

 アイスティーを飲みながら、小説を読む。俺は読書が好きで、マンガやライトノベルといった読みやすい小説から、純文学やSFやミステリーまで様々なジャンルを読む。ただ、恋愛小説はあまり読まない。そもそも好きじゃないし、それに自分の学生時代と比較して悲しくなるのだ。

 読み始めたのはいいが、なかなか集中できない。小説の世界に入り込めない。まあ、こういうときだってあるさ、と本を閉じて辺りを見回す。


 客は近所の老人方が多い。喫茶店が憩いの場なのだ。入口に目を遣ると、若い女が入ってきた。年齢は俺と同じくらい――二〇代半ば。綺麗な女だ。どこかで見かけたことがあるような気がするが、それはきっと気のせいだ。

 彼女はコーヒーとショートケーキを買うと、こちらへと歩いてくる。目が合ってしまった。勝手に気まずくなって、俺が目を逸らそうとすると、「鈴木くん」と言った。


「鈴木くんだよね?」


 確かに俺の名字は鈴木なのだが、世の中には鈴木という名字の人はたくさんいる。とはいえ、俺に対して「鈴木くん」と呼んだのだから、おそらく人違いではないだろう。


「えっと……どなた?」

「私だよ。佐藤だよ」


 鈴木と同様に、佐藤という名字を持つ人間も、この日本にはたくさんいるぞ。


「わからない? 佐藤千代だよ」


 フルネームで言われてようやくわかった。

 どうして、気づかなかったんだろう? 佐藤千代は俺の初恋の人だっていうのに……。もちろん、小学生中学生のときとまったく変わってないなんてことはない。あの頃より美しく大人になっていた。


「あ、ああ……。久しぶり」

「久しぶり。ここ、座ってもいい?」

「ああ、どうぞ」


 佐藤さんは俺の向かいの席に座った。いい匂いがする。香水だろうか。俺は香水をつけたことも、香水をつけた子と付き合ったこともないからよくわからない。


「俺のこと、よく覚えてたね」

「鈴木くんって全然変わってないからすぐわかった」

 微妙に会話が噛み合ってないような気もする。

「本当、全然変わらないね」

「はは……」


 誉め言葉なのか、皮肉を言われているのか、よくわからない。きっと、思ったことをただ口に出しているだけなのだと思う。


「えっと……一〇年ぶりくらいだっけ?」

「そうだね」俺は頷いた。


 中学を卒業してから会っていない。高校時代、地下鉄の駅で見かけたことがあるが、会話はしていないので、それらはカウントしない。


「今、何してるの?」


 そう尋ねられて、俺はどう答えようか非常に悩んだ。見栄を張るべきか、正直に答えるべきかということ。すぐにばれるような見栄を張ってもしょうがない。


「実は、ニートなんだ」

「え、ニート……?」佐藤さんは大きく目を見開いた。「それって働いてないってことだよね?」

「そういうこと」

「どうして――あ、いや、鈴木くんにもいろいろ事情があるよね」

「気を使わなくてもいいよ。ただ単に働く気力がないというのと、あと、なかなか採用されないってのもあるかな」

「そうなんだ」

「佐藤さんは?」

「うん。……会社勤め。いわゆるOLってやつ、かな」

「へえ」


 まあ、俺と違って働いているよな。佐藤さんもニートだったら、俺はとてつもなく驚いていただろう。

 俺は話を広げることができず、アイスティーを飲んだ。佐藤さんもコーヒーを飲んで、ショートケーキを一口上品に食べた。

 近年、家族以外の相手と話すことは少ないので、なかなかうまく話せない。地元の友人と稀に会って、「そろそろお前も働けよな」と言われ、曖昧に笑うくらい。

 我ながら怠惰で虚無的な日常を送っているな、と思った。


「ねえ、鈴木くん」

「ん?」

「私ね、中学生のとき、鈴木くんのことが好きだったんだよ」

「……そうなんだ」


 俺は口の中のアイスティーを吹き出しそうになった。それは、佐藤さんが俺のことを好きだったという衝撃的な告白によるものだ。どうして突然そんな話をするんだろう? なんとなく、だろうか。


「鈴木くんはどうだった? 私のこと好きだったり……した?」

「え、ああ。うん。まあ、そうね」


 この年になっても、彼女のことが好きだった、とカミングアウトするのが恥ずかしい。ある意味、子供のまま大人になったような、俺はまだピュアな――あるいは初心な――人間なのだろうか?


「そっかー。両想いだったんだー」佐藤さんは寂しそうに言った。「じゃあ、もしも私が告白していたら、付き合ってくれた?」

「もちろん」

「もし私たちが付き合っていたら……きっと今頃、二人とも全く違う人生を歩んでいたんだろうね」

「うまくいったかはわからないけど」

「それでも、今よりずっとよかったのかも……」


 もしも、俺が佐藤さんと交際していたら、俺はニートにならなかっただろうか? わからない。でも、ならなかったんじゃないかと思う。

 バタフライエフェクト。佐藤さんに告白するか否かが、人生においての岐路だった可能性は大いにあり得る。別れた二つの道は、最初は大した差ではなかったが、やがて絶望的なほどの差へと変わる。

 俺は佐藤さんと交際し、結婚する可能性の世界を想像してみた。それがどれほどすばらしいものなのかはわからない。案外、不幸せかもしれない。だけど、ニートの今よりは確実にいいものだろう。


 はあ、と佐藤さんは大きくため息をついた。彼女もまた、俺と同じように今の人生に大きな不満を持っているのかもしれない。事情を聞いてみようかとも思ったが、藪蛇というかパンドラの箱というか、彼女の深刻な境遇を知る勇気がないので、結局聞かなかった。

 自分のことを世界一不幸だとか、世界一のダメ人間だとか、そういうことは全然思わない。俺は職こそないものの、自由(時間)はあるし、家族もいるし、借金もない。世の中には追い詰められて、自殺するしか選択肢がない、という人だっているのだ。そういう境遇の人と比べると、自分はなんて幸せなのだろう、と思わなくもない。


「私ね……いや……」


 話そうと開いた口をつぐむと、佐藤さんはショートケーキを食べ、コーヒーを飲んだ。俺はアイスティーを飲み終えた。


「私、そろそろ行くね」


 そう言うと、佐藤さんは立ち上がった。


「鈴木くんに会えてよかった。今日はハッピーな日だな」

「俺も佐藤さんに会えてうれしかったよ」

「じゃあね」


 佐藤さんは去っていった。


 ◇


 後日、中学時代の友人と飲みに行ったとき、佐藤さんの話を聞いた。彼女は交際相手の男に暴力を振るわれ、なおかつ騙されて借金を負わされたらしい。借金の額は正確にはわからないが、千を超えてるんじゃないか、と友人は言っていた。

 佐藤さんはそういう店で働いているとか。正直、その話を信じたくはなかったけれど、そういう店に行った友人本人の情報なのだから、確定である。「お前も行って来たら?」と酔っぱらった友人が言ったが、「行くわけねえだろ」と俺は冗談めかして答えた。


 あの日、平日の昼間に喫茶店に来ていた彼女は、仕事までの空き時間を潰すことを目的にしていたのだろうか? 会社勤めというのは嘘だったのか、それとも会社勤めをしながら、そういう仕事もしていたのか……。

 はあ、と俺はため息をついた。


『もし私たちが付き合っていたら……きっと今頃、二人とも全く違う人生を歩んでいたんだろうね』


 そうだろうな。もしも佐藤さんが俺と付き合っていたら、最低な男と付き合うことはなかっただろうし、借金を負うこともなかった。

 俺は鏡の前に立ち、ネクタイの位置を調整しながら、佐藤さんのことを考えた。彼女は今も借金を返済し続けているのだろうか? 佐藤さんと比べれば、きっと俺のほうが幸せで、甘えた生活を送っていたのだろう。俺は今まで甘えすぎていた。そろそろ、ちゃんと働かなければ。


「よしっ」


 スーツを着た俺は、リュックを背負って家を出た。面接の対策はできる限り行った。今度こそ採用されたいものだ――いや、絶対に採用を勝ち取るぞ。そう決意して、歩き出した。

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