マウンテッドマンション

青水

マウンテッドマンション

 僕は最近、引っ越しをした。引っ越してきたマンションは25階建ての綺麗な高層マンションだ。家賃は結構高いけれど、3LDKでそれなりに広いし、駅まで徒歩5分と近い。最寄り駅周辺はかなり栄えている。悪くない。むしろいい。

 友人のYにそのマンションに引っ越したことを告げると、彼は「ああ、あそこに引っ越したのか」と微妙な顔をした。


「え、幽霊が出るって噂でもあるの?」

「いや、そういうわけじゃない」彼は否定した。「あそこのマンションの住人は、こう、なんていうか……マウントを取ってくる奴が多いんだ」

「マウント?」

「ああ。マウントっていうのは、醜い行為だよ。他人と比べて、いかに自分が優れていて、いかに相手が劣っているか。それを実感して、悦に入る。うん、醜い。でも、人間っていうのはとかく他人と比べたがる。他人と比較して、自分は優れている劣っている。他人のことなんてどうでもいいじゃないか。なあ?」

「はあ……」


 なあ、って言われてもね。

 僕の部屋は702号室。空いている部屋の中で一番安かったのが、この部屋だったから選んだ。階が高ければ高いほどいいってものではない、と僕は思う。正直、1階だろうと25階だろうと大して変わらない。外の景色なんてあんまり見ないし、景色がよくてもすぐに飽きる。まあ、強いていうのなら、25階だとエレベーターに乗っている時間が長くて、少し面倒かも。

 とりあえず、隣の部屋の住人くらいには挨拶しておくか、と思い、僕はまず701号室のインターフォンを押した。

 ピンポーン。

 出てきたのは、僕と同じくらい20代後半と思しき、眼鏡をかけた男だった。雰囲気的に、どこかの外資系企業か超一流企業あたりのサラリーマンだろうか。平安時代だったら、とてもモテていそうだ。


「どなた?」

「隣に引っ越してきた佐藤です」


 僕がちょっとしたお菓子を渡すと、彼はどうでもよさそうな顔をして受け取る。


「それでは」


 特に話したいこともないので、頭を下げると703号室へと行こうとした。しかし、彼に呼び止められる。


「ねえ、君」

「はい?」

「大学どこ出身?」


 どうして、そんなこと尋ねるんだろうと思いつつ、僕は答えた。


「私立のT大学です」

「ふうん」


 僕の卒業したT大学は、決して偏差値の高い大学ではない。真ん中か、それより少し下といったところ。並程度の頭脳があれば、まず落ちない。


「僕はね、東京大学」

「はあ……」

「あ、もしかして、東京大学知らない?」

「いや、知ってますけど」


 東大を知らない日本人を僕は見たことがない。日本で一番の名門大学と言えば東京大学。東大を出たということは、相当に頭がいいのだろう。


「ちなみに僕は東京大学に『現役』で入学したんだ」

「そうなんですね」


 すっごーい、とでも言ってほしいのだろうか?

 まあ、確かにすごいとは思う。だけど、彼が東大を出ていることは、僕の人生に何一つかかわりがない。彼が東大卒だろうと、ハーバード卒だろうとどうでもいい。


「まあ、僕の家族は皆東京大学出身でね。だから、東京大学に進学することは、僕にとってとても自然なことに思えたんだ」

「はあ」

「でもね、僕は出来損ないだから、首席で卒業することができなかった」

「そうなんですね」


 彼は僕の反応に不満な様子だった。話を変える。


「ところで、君、年収はどれくらいなんだい?」


 初対面の人に年収を尋ねるのは非常識だろう。初対面じゃなくて、そこそこ仲が良くても、答えたくはない。彼は頭がいいが、常識に欠けるのかもしれない。数学や英語を勉強する前に、まずは常識を勉強するべきだろう。


「いやあ、まあ……」


 僕が答えずにいると、彼は勝手に自らの年収を言う。


「僕は2000万弱ってところかな」

「はあ……」


 高いとは思う。

 年収2000万円を稼ぐ人は、世の中にそうはいない。だけど、このマンションに住んでいる人は、おそらくそれくらいの稼ぎはある。いや、まあ、人によるとは思うけれど……。でも、年収300、400万じゃこのマンションに住むのは厳しい。


「僕の友達で起業している奴がいてね、そいつは年収億あるらしくてね。まったく、うらやましい限りだ」


 彼はその後も、自らの学歴と年収をそれとなく僕に自慢した。だけど、僕の限りなく薄い反応が不満だったようで。


「まあ、隣人としてよろしく」


 最後にそう言うと、ドアを閉めた。


 ◇


 ピンポーン。

 続いて、703号室。

 出てきたのは、僕と同じくらいの年齢の男だった。長い髪は金髪で、絶望的に似合ってない。まったく売れていないロックミュージシャンみたいな風貌。枯れ木のように細く、背はかなり高い。


「……誰?」

「隣の702号室に引っ越してきた佐藤です」


 僕はお菓子を渡した。


「ああ、どうも」

「よろしくお願いします。それでは――」

「あのさあ」


 自分の部屋に戻ろうとしたところ、話しかけられた。さっきと同じ展開だ。――ということは???


「はい?」

「あんた、身長何センチ?」

「165くらいですかね」

「俺さ、190センチあるんだ」

「へえ。それは大きいですね」

「そうなんだよ。大きいんだよ。大きすぎるんだよ。だから、服とかも、サイズが合わなかったりしてさ、街を歩いていても『あの人大きいね』とか言われたりするんだよ」

「はあ」

「まじさ、190センチもいらねえわ。もっと、背が低い方がよかったわ。お兄さんくらいだと、まじ生活しやすいんだろーなー」

「そうですね。日常に不便はありませんな」


 僕に謙遜してほしかったのか、彼は不満そうな顔をした。『いえいえ。背が低くても、いろいろと不便なんですよ』みたいな。


「日本人の平均身長って170くらいだろ? 190センチって巨人じゃん。スポーツやってたのとかよく聞かれるんだよね」


 彼のスマートな体形は、とてもスポーツをやっていたようには見えない。激しく運動したら、ぽきっと折れてしまいそう。


「スポーツやってたんですか?」

「何やってたと思う?」


 知らねーよ、と思いつつ、僕は答えた。


「バスケとか?」

「そう。学生時代、バスケやってたんだわ」


 一試合40分くらいはあるはずだ。その間、動き回れるほどの体力があるようには見えない。ジャンプ力も低そうだ。ダンクはできなさそう。


「ポジションはセンター。でかいからって理由で」

「はあ……」

「将来はNBAかっていじられたわ。懐かしいわー」


 意味不明である。


「190センチだと、アメリカでセンターをやるには小さすぎますよね」

「…………」


 彼は何も答えなかった。

 アメリカでも190センチは高身長だが、日本より多いだろう。彼がアメリカでバスケをやったら、試合開始1分で骨を折って病院行きだ。


「やっぱり、190センチあるとダンクとかできるんですか?」

「…………」


 気になって尋ねたのだが、彼は何も答えなかった。答えないってことは、できないってことだろう。ちなみに、僕もダンクはできません。


「あ、そろそろ仕事の準備しねえと」


 そう言われたので、僕は頭を下げると部屋に戻った。


 ◇


 次の日。

 スーパーに買い物しに行こうと、エレベーターに乗ると、40代と思しき主婦が乗っていた。先客ということは、彼女は僕より上の階の住人なのだろう。香水のにおいがきつい。狭い空間にきつい香水は、かなりきつい。


「こんにちは」

「こんにちは」

「見かけない顔ねえ」

「つい先日、引っ越してきたばかりなんです」

「あら、そう。7階の方?」

「ええ」

「私ね、25階に住んでるのよ」

「最上階ですね」


 それ以外に答えようがなかった。

 このマンションは階層が上がれば上がるほど家賃が高い。景色がいいからだろうか。景色代を取られるのなら、低めの階層のほうがいいだろう。


「そうよお。最上階よ。エレベーターに乗る時間が長くって嫌になっちゃうわあ。まあ、景色はすばらしいけど、洗濯物を干すのも大変だし、家賃も高いし……あー、7階の1.5倍くらいだったかしら。いやあ、本当高いわあ」

「なるほど」


 エレベーター内なので逃げ場というものがない。早く一階につかないものかと、表示を睨みつけていた。頭が痛いのは香水のせいか、彼女に話を聞かされているせいか……。


「低い階層のほうがよかったわあ」

「あ、確か、空き部屋か何個かありましたよ。よかったら、引っ越してみては?」


 ささやかな助言をすると、彼女は顔をしかめた。顔をしかめたいのはこちらのほうだ。自分の臭いがわかってないのか?


「ま、まあ、いまさら引っ越すのはちょっと面倒ですからね。まあ、今の階のままでいいかしら、うん」


 エレベーターが一階に到着した。

 僕のほうが位置的に前に乗っていたのだが、彼女が豚のような豊満なボディーを揺らして、先に降りた。その後に僕が降りる。

 彼女が向かっていったのは、僕の行こうとしていたスーパーの隣にある超がつくほどの高級スーパーだった。オーガニックとか、なんとか、体とか環境とかにいいものばかりを取り揃えている店だ。しかし、その店で食材等を購入している彼女は、とても健康には見えなかった。


 ◇


「君の言う通りだった」


 そのマンションに引っ越して一か月ほどして。

 僕は友人のYと喫茶店でおしゃべりに興じていた。彼は金銭的に余裕があるはずだが、安い木造アパートに住んでいた。何度か行ったことがある。いささか壁が薄いことを除けば、住むのにいいアパートだと思う。隣人も変わっているがいい人そうだったし。


「住人に会うたびに、マウントを取ってくるね」


 学歴マウント、年収マウント、身長マウント、住んでいる階層マウント、お洒落マウント、恋人マウント、愛人マウント、セフレマウント、友人の数マウント、顔面マウント、芸能人と知り合いマウント、出身地マウント、結婚マウント、筋肉マウント、幸せマウント、不幸マウント、幸運マウント、多忙マウント、ブラックマウント、セックスマウント、喧嘩マウント、酒マウント、薬マウント、マウントマウント…………。

 何でもありだ。マウントゲシュタルト崩壊だ。


「もう一周まわって面白いだろ」

「うん。ポケモン勝負を挑まれたような気分になるよ、毎回」


 僕の喩えが伝わらなかったのか、彼は首を傾げた。


「これを見てみろよ」


 そう言って、彼はスマートフォンの画面を僕に見せる。

 そこには『住人がマウントを取ってくる!? マウント民が引き寄せられるマンション。その名も、〈マウンテッドマンション〉』と書いてあった。ネットのちょっとしたニュースである。ネットの掲示板にスレッドなんかもあった。


「やれやれ」僕は言った。「あのマンションに住んでいる僕も、もしかしたらマウント民なのかねえ……?」

「よし、今から俺にマウントをとってみてくれ」

「勘弁してくれよ」


 僕はそのマンションに一体いつまでも住み続けるのか。住んでいく中で、僕の性質も変化していき、彼らのようになるのだろうか?

 それはまだわからない。


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マウンテッドマンション 青水 @Aomizu

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