賢者タイム中にしか賢者になれない賢者

青水

賢者タイム中にしか賢者になれない賢者

 世界にはジョブと呼ばれる概念が存在する。これは職業というよりかは、その人に与えられた能力、あるいは役割とでも言うべきものである。

 この国では一三歳になった少年少女に『ジョブ鑑定の儀』を行う。この儀式によって、少年少女に発現したジョブがわかるのだ。


 どんなジョブが発現するかはわからない。完全な運――というよりは、その人の性格や個性に合致したものになる可能性が高い。

 ジョブによって就ける職業が変わってくる。ジョブの当たり外れによって、その後の人生が大きく変わってしまうのだ。


 もしも自分が外れジョブだったら――。

 そう思うと、不安で夜も眠れない。


 しかし、どんなに苦しもうと、生きている限り人間は年を重ねる。気がついたら俺は一三歳になり、さらに気がついたらジョブ鑑定の儀当日になっていた。


 俺の住む村に、鑑定屋のおじいさんがやってきた。一三歳になった村の子供たちが列を作る。もちろん、俺もその列に加わる。

 おじいさんが子供の頭の上に手をのせ、発現したジョブを読み取り発表する。そのたびに、歓喜と落胆の声が聞こえてくる。ジョブ鑑定の儀は、一大行事なのだ。お祭りにも似た喧噪と熱狂。


 やがて、俺の番がやってきた。

 鑑定屋のおじいさんが、大きな手を俺の頭の上にのせた。白くて温かな光が一瞬放たれる。俺のジョブを読み取ったおじいさんの顔が、なぜか大きく歪む。

 これは……どっちなんだ?


「こ、これは……すばらしいっ! ディック、君のジョブは〈賢者〉だ!」


 ◇


 〈賢者〉。

 それはありとあらゆる魔法に対する適性を持つ、魔法系最強ジョブ。〈賢者〉のジョブを持つ者は、宮廷魔導師最上位である賢者になることができる。否、なることを義務付けられている。


 ジョブ〈賢者〉=賢者。

 あの日、俺の人生は大きく変わった。王国辺境の小さな村から〈賢者〉のジョブを持つ者が現れた、というニュースは、あっという間に王国中に拡散された。

 そして、俺は英雄になった。


 現在、〈賢者〉のジョブを持つ者は、俺を含めて二人しかいない。もう一人の賢者ナオンは俺と同い年の女である。ナオンは俺と違って、高貴な家柄――つまり、貴族だ。

 ただ、俺とナオンでは賢者として大きな差がある。『全力時』では実力は同等(多分)なのだが、俺は常に全力――あるいは本気ともいえる――を出すことができない。


 俺には誰にも言えない秘密があるのだ。

 その秘密がバレたら、きっと俺は英雄ではいられないだろう。それどころか、軽蔑――いや、嘲笑――いや、馬鹿にされる……。

 俺の秘密というのは――


「賢者ディック、大変です!!!」


 年上の部下であるホットスが、俺の部屋のドアをぶち破って入ってきた。鍵がかかっていたから、ぶち破った。理にかなっているようで、なかなかクレイジー。

 魔法職とは思えない筋肉だるまは、俺のプライバシーを無視しやがる。


「どうしたんだよ……?」

「大変なんです!!!」

「だから、何が大変なんだ?」

「アーマー・ドラゴンが王都にやってきて、人々を襲っているのです!!!」

「大変じゃないか!」

「だから大変だって言ったでしょう!!!」


 ホットスはいささか大げさな男で、大したことではなくても「大変です!!!」と慌てて、俺のもとへとやってくるのだ。嘘をついているわけではないものの、『あー、またかー』となってしまう。

 しかし、今回はマジで大ごとだ。大変だ。


「今すぐ、アーマー・ドラゴンを討伐しに向かってください!!!」

「え、今すぐ?」


 それはちょっと……。

 俺には、『準備』が必要なのだ。


「もちろんです!!!」

「ちょっと……待ってくれ」


 準備が……。


「悠長にしているような時間なんてありませんッ!!! 事は一刻を争うのです!!!」

「そ、そうだ! ナオンはどうした?」


 あいつがいれば何とかなる。

 存分に準備をする時間が確保できるはず……。

 しかし――。


「賢者ナオンはですね……」


 現実は残酷だ。


「休暇を取って、共和国へと旅行に――」

「クソッ! あのアマ!」


 どうしてこんな時に限っていないんだ!? 

 思わず汚い言葉を吐いてしまった。すまんな、ナオン。

 反省反省。クールに行こうぜ。


「わかった。すぐに向かう。だが、少しだけ準備がしたい。お前は先に向かって、ほんの少しでいい。アーマー・ドラゴンの攻撃を食い止めてくれ」

「わかりました!!!」


 暑苦しく大きな声でそう言うと、ホットスは一礼して去って行った。

 本当に行ったよな? 

 俺は壊れたドアを直しつつ、廊下をよーく確認した。よしっ、ホットスはいない。『行為中』にあいつにやって来られたら、言い訳のしようがない。


 俺はトイレへと向かった。深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着かせる。

 リラックス。精神統一。

 賢者になる準備を始めよう――。

 いざ!


 ◇


 スタート。

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 フィニッシュ。

 賢者タイム、スタート。

 ジョブ〈賢者〉が解放されました。


 ◇


「賢者ディックはまだかっ!?」


 魔法使いのチェリオは叫んだ。

 彼もディックの部下である。歳は三五。彼は世界に滅多にいない、進化型のジョブを保有している。


 何らかの条件によって、ジョブが進化することがある。だがしかし、それは極めて珍しいことで、基本的に発現したジョブは変わらない。

 進化条件を事前に知ることは基本的にできない。進化した後に、「ああ、あれが進化条件だったのか」とわかるのだ。しかし、自分と同じジョブを持ち、それを進化させることができた者が、条件を世間に明かしていれば、それを知ることが可能だ。


 チェリオのジョブはかつて〈魔法使い見習い〉だった。しかし、条件を満たすことによって三〇歳にして〈魔法使い〉へとジョブ進化を果たした。

 伝え聞いた情報によると、四〇歳までとある条件を満たし続ければ、〈賢者(亜種)〉へと進化することが叶うらしい。


 〈賢者(亜種)〉はディックとナオンが持つジョブ〈賢者〉よりかは幾段か劣るらしいが、世界でも屈指のジョブとのことだ。このジョブを得るために、チェリオは数々の厳しい修行を日々積んでいる。


「もうすぐ、来るはずです……っ!!!」


 ホットスが答えた。

 彼のジョブは〈熱血魔導師〉。暑苦しいホットスにあったジョブである。


「うおおおおおおおっ!!!!!!!」


 ホットスは熱血の鎧を身にまとって、アーマー・ドラゴンへと大きく跳躍、突進した。しかし、アーマー・ドラゴンの肉体には、ほとんど傷がつかない。


「ギャアオオオオオオ――ッ!」


 アーマー・ドラゴンのテイルが、ホットスにぶつかった。

 ホットスは勢いよく吹っ飛んだ。民家の壁を瓦を割るかのように破壊していく。


「ま、まだか……!?」


 王都が破壊されていく。

 この状況を打破できるのは、賢者しかいない――。


「ディック! ディィィィィィィィィィィィィッッッック!」


 チェリオの叫びに、


「呼んだか?」


 異常なほど冷めた声で返答する男。

 彼は民家の屋根に立っていた。


「「「「「賢者ディック!」」」」」


 王都の誰もが待ちわびた賢者の登場。


「待たせたな」


 ディックはアーマー・ドラゴンに向かって、数多の魔法を同時展開。カラフルな魔法陣から現れた色とりどりの魔法が、アーマー・ドラゴンへと飛んでいく。


 ディックの魔法は圧巻だった。

 すぐにアーマー・ドラゴンが地に落ちた。

 自慢の双翼を無残に破られたアーマー・ドラゴンは、その後あっという間に調理された。ディックの一分クッキング。


 賢者さえいれば王国は永遠に安全なんだ――。

 王国に賢者が二人もいる幸せを噛みしめながら、民衆はディックコールを行った。


「「「「「「「ディック! ディック! ディック! ディック! ディック! ディック! ディック!」」」」」」」


 ◇


「わたくしがいない間、お勤めご苦労様」


 奴隷を労わるくらいの調子で、ナオンが言った。

 それは、心のこもっていないうわべだけの――いや、むしろ、皮肉を感じさせるようなセリフだった。いや、わざとか?


「お前、肝心なときに限っていないよな」

「そんなことありませんわ」ナオンは微笑んで首を振る。「はい、これお土産」


 渡されたのは、クッキーだった。

 共和国産クッキー。一枚五〇〇ゴルド也。

 なかなか高級な――少なくとも村人には購入できないような――クッキーだった。


「クッキーかよ」

「嫌なら、わたくしがすべて食べてしまいますわ」

「いや、いただく」


 不満げな顔をして見せたが、実は俺、このクッキーが結構好きだったりする。しかし、シンプルに喜んでみせると、この女はつけあがるのだ。だから、意地悪をする――とまではいかないものの、あまのじゃくな対応を織り交ぜたりするのだ。

 俺はクッキーを一枚、口の中に放り込んだ。


「いかがですか?」

「うまい」


 感想を口にする。


「サンキュー」

「どういたしまして、ですわ」


 ナオンがにっこりと微笑んだ。

 こんなことを思ってしまうのは、非常に非常に癪なのだが、滅茶苦茶かわいい。天使のような、という比喩を使ってもいいくらいに。


「それじゃ、俺はこれで」


 俺は立ち上がって、部屋を出ようとした(そう、俺は今、ナオンの部屋にいるのだ)。

 だがしかし――。


「お待ちなさい」


 ナオンが俺を呼び止める。


「なんだよ?」

「実はもう一つプレゼントがありまして……」


 ナオンは珍しく恥ずかしそうにもじもじとしながら、


「ああ、他にもお土産があるのか?」

「いえ、お土産ではありませんわ」


 そう言うと、ナオンはテーブルの下からスパンコールなどの装飾が施された、キラキラとまばゆく光り輝く小箱を取り出した。


「なんだこれ?」


 宝石でも入っているのか?

 ぱかっとナオンが小箱を開けると、そこには――。


「クッキー?」

「ええ」

「また?」

「こっちはわたくしの手作りですわ」


 先ほどの高級クッキーとは天と地ほどの差がある、不揃いクッキー。色も形も焼き具合も、何もかもがばらばらだ。バラエティに富んでいるとも言える。


「どうして、手作りクッキーを俺に?」

「そ、それはですね……」


 ナオンは目を泳がせながら、


「べ、別にあなたのために作ったわけじゃありませんから。分量を間違えて作りすぎてしまったので、同僚であるあなたにも差し上げようかな、と……」

「ふむ」


 正直、そのクッキーがおいしそうには、とても思えなかったのだが、ナオンの好意を無下にするのはよろしくない。褒められたことではない。なので、ありがたくいただくことにした。


「いただきます」


 そう呟くと、俺はクッキーを口の中に投げ込んだ。

 もぐもぐ……、もぐ?

 ざりざりと、砂のような荒い感触。これは砂糖か小麦粉か、それとも砂なのか……。味は決しておいしいとは言えないものの、それを素直に口に出すのは憚られる。


「いかがですか?」

「うん。いいと思う」


 曖昧な、ぼかした表現で乗り切ることにした。


「作ってくれてありがとう」

「ど、どういたしまして――って、別にあなたのために作ったわけではありませんわ!」


 クッキーを食べたら、のどが渇いた。

 そう告げると、ナオンは紅茶をいれてくれた。滅茶苦茶高そうなアンティークのカップに注がれた紅茶を飲み、ティータイムを存分に満喫していると――。


「た、大変です!!!」


 怒鳴るようにそう言いながら、ホットスがドアをぶち破って部屋の中に入ってきた。

 鍵がかかっているのなら呼び鈴を鳴らそう――という思考にならないのが不思議である。


「わ、わたくしの部屋のドアが!」

「そんなことより――大変なんです!!!」

「なんですの?」


 どうせ大したことではないだろう――。

 ナオンの表情から、そんな感情がにじみ出ている。俺も同じようなことを思っていた。


「大魔女ウィチーとその配下が攻めてきましたッ!!!」

「な、なんですって!?」


 大魔女ウィチー。

 人類の天敵であり、世界征服をもくろむ魔王国の大幹部だ。種族はサキュバスであり、男を魅惑蠱惑し、そのすべてを奪いつくす。恐ろしい魔女だ。


「ですから、お二人とも早く――」

「ディック、ホットス。あなたたちは先に向かってくださいませ」

「何を悠長なことを言っておるのですか!? 事は一刻を争うのですよ!!!」

「ウィチーを相手するのには、それ相応の準備が必要なのですわ。準備なしで戦って負けてしまったら、元も子もありませんわ!」

「……わかりました! 私たちは先に向かいます!!! では行きましょう、賢者ディック!!!」

「いや、俺もちょっと準備をしなければならないんだ」

「……わかりました」


 そう言うと、ホットスは走り去った。一体、どんな準備をするんだろう、とでも言いたげな顔をして。


「ディック、部屋のドアを直してくださいませんか?」

「わかった」


 俺はドアを修理しながら、


「なあ、ナオン。準備って何をするんだ?」

「あ、あなたこそ」

「……」

「……」

「黙ってないで、言ったらどうだ?」

「あなたこそ」

「……」

「……」


 ナオンも俺と同じく〈賢者〉のジョブを持っている。そう、同じジョブ。つまり、条件は同じ……? 

 いや、俺は男でナオンは女。だから――同じジョブでも、全力を出すための条件は異なるのだと、そう思っていた。ナオンは無条件で全力を出せるものだと……。


 しかし、もしかしたら同じなのかもしれない。

 準備が必要なのだと、ナオンは言った。


 ジョブ鑑定の儀が行われた日。

 俺は緊張と不安をかき消すために、鑑定の直前にトイレに行った。そこで自らを慰め、鼓舞させた。トイレから出た俺は、まるで賢者のように悟りきっていた。

 〈賢者〉のジョブを得ることができたのは、そのためなのかもしれない。

 だとすると、ナオンもまたジョブ鑑定の儀の前に、そういうことをしたのか……?


 俺が黙ってナオンのことを見つめていると、


「な、なんですの!? 人のことをじろじろと見て」

「なあ、ナオン。お前、ジョブ鑑定の儀の前に……その、そういうことしたか?」

「そういうことって?」

「オ――」

「ああっ! やっぱり言わなくて結構ですわ!」

「で、したのか?」


 俺が問い詰めると、ナオンは恥ずかしさから顔を真っ赤にして俯きながら、


「……し、したわよ……」

「そうか。それが〈賢者〉のジョブを得るための条件だったのか」

「といっても、条件を満たせば、必ず〈賢者〉のジョブを得られるわけではありませんのよ?」

「というと?」

「その条件を満たし、なおかつ適性がなければ〈賢者〉のジョブを得ることはできないのですわ。適性を持つ人間は数百万に一人と言われていますの」

「そんなに低いのか」

「わたくしの曽祖父と曽祖母はともに賢者でしたの。ですが、祖父母、父母、わたくしの兄弟は皆、〈賢者〉のジョブを得ることは叶いませんでしたの」

「なるほど……」


 そのとき――。

 ドン! ドガン! ドオォォォオン!

 外から爆発音が連続して聞こえた。


「急がないと、ですわ……!」


 ナオンはドアの修理を終えた俺を睨みつけ、


「出て行ってくださいまし」


 と言った。


「あなたも部屋に戻って、その……準備を行ってください」

「おう」


 俺は自分の部屋に戻った。そして、すぐにトイレに駆け込んだ。


 ◇


 スタート。

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 フィニッシュ。

 賢者タイム、スタート。

 ジョブ〈賢者〉が解放されました。


 ◇


 悟りきった俺とナオンが戦場に向かうと、そこには大魔女ウィチーに敗北を喫し、仰向けに倒れたチェリオがいた。チェリオは魂が抜け落ちたかのような状態だった。精根尽き果てた、といった感じだ。


「何があった?」


 俺が冷静に尋ねると、ホットスは首を振った。


「わからないのです。私が戦場に赴いたときにはもうチェリオは……ッ!!!」


 ううっ、と弱弱しく呻く声。

 既に死んだと思っていたのだが、チェリオはまだ辛うじてだが生きているようだ。

 俺がチェリオのもとへ駆け寄ると、


「すまない、ディック」

「いや、俺こそもっと早く来れてれば……」

「俺は、守れなかった。俺は耐えれなかった。自らの欲に。俺は……失ってしまったんだ。ジョブを……」

「ジョブを……失う!?」


 そんなことがあり得るのか!?

 チェリオのジョブは〈魔法使い〉。それが失われた? どうして? どうやって、ウィチーはチェリオのジョブを奪ったんだ?


「奴は――大魔女ウィチーは、俺のすべてを奪っていった……。頼む、ディック。奴を倒してくれ……。俺はもうだめだ……。たの、んだ、ぞ…………」

「お、おい。チェリオ!」


 しかし、チェリオは返事をしない。体から力が抜けた。


「チェリオ! チェリオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!」


 力いっぱいに叫んだ俺を、くすくすと嘲笑う女が一人。

 そいつは漆黒の双翼を広げ、宙にとどまっている。

 大魔女ウィチー。


「ウフフ。見え透いたトラップに引っかかるだなんて、なんて馬鹿な男なのかしら」

「き、貴様っ!」

「私の邪魔をする者は全員ブレイクさせてやるわ。かかってきなさい」


 俺とナオンが魔法を発動させる前に、ホットスが熱血の鎧をまとってウィチーへと突撃していった。


「うおおおおおおおおお――ッッッッッ!!!!!!」

「なんて単調な攻撃なのかしら」


 ウィチーはホットスの突撃を回避することなく、正面から受け止めた。そして、ホットスの屈強な体に絡みついた。


「ぬっ……!???」


 二人が地上へと落ちていく。空き家の屋根を破壊して、その中へと姿を消した。


「追いかけますわよ」

「ああ」


 俺たちは二人が落ちた空き家へと向かった。

 木製のぼろい家だった。家の屋根には大きな穴が開いている。二人はまだ、この空き家の中にいるはずだ。

 中へ入ろうとすると――。


「ンアアアアアッッッッ――……」


 雄たけびのようなホットスの声。

 声はだんだんと小さくなり、やがて消えた。


「……? なんだ?」

「わかりません」


 俺たちが空き家に入ると、そこには――

 息絶えたホットスの姿があった。


「なっ!? ホットス!?」


 ホットスは精気が抜け落ちたかのように、肌に艶がない。髪はすべて真っ白になっている。まるでミイラのようだ。服はびりびりに破られ、半裸に近い状態だ。

 この数分の間になにがあったのか……。


「少し遅かったわね」


 ウィチーが汗を拭いながら言った。彼女の肌はホットスのものを奪い取ったかのように、つやつやとしている。


「貴様、ホットスに何を!?」

「ちょっとかわいがってあげたのよ」


 そう言って、くすりくすりとオカしそうに笑った。


「よくも二人を!」


 俺は魔法を複数同時展開した。

 ウィチーは俺の攻撃を避けながら、距離を詰めてくる。ナオンも魔法を発動させるが、ぎりぎりで避けられる。


「次はあなたをいただくわ」


 ウィチーが俺に絡みついた。

 極めてグラマラスなボディーに俺は硬直した。


「くっ……魔法が撃てませんわ」


 ウィチーに魔法を当てようとすれば、絡みつかれている俺も被害をまぬがれない。最悪、ウィチーともども死ぬことになる。

 俺が死ぬのはまずい。賢者が一人死ねば、この国の戦力は大幅に下がってしまう。魔王国の軍勢が攻めてきたら、ナオン一人で対処するのは難しい。


「うふふふふ……」


 ウィチーが俺の体のあちこちを撫でまわす。体に電撃が流れるような熱い刺激。チェリオとホットスはこの攻撃により『力』を出し尽くし、心臓にとてつもない負荷がかかって、その結果死んだのだ。


「ぐああああ――なんてな」

「――っ!?」


 俺はウィチーを引きはがした。そして、思い切り突き飛ばす。


「な、どうして……私の攻撃が効かないの!?」

「今の俺は悟りきった賢者状態だからな。こんな攻撃なんて効かないぜ」


 一般の男なら、チェリオやホットスのように、エナジーをドレインされつくして死んでいるだろう。だが、賢者となっている俺に、この手の攻撃は通用しない。


「今だ、ナオン!」

「ええ! 〈アルティメット・ファイアーボール〉!」


 ナオンの魔法がウィチーに炸裂。


「ぎゃあああああああああああ!」


 ウィチーは消し炭になった。

 脅威は去った。だが、犠牲は大きかった。

 名もなき兵士たちが大勢死に、優秀な魔法使いであるホットスとチェリオも死んだ。王国の戦力は大幅に低下してしまった。


 もしも今、魔王自ら軍を率いて王国に侵攻してきたら――。

 とてもとても、まずい。


 ◇


 一週間の束の間の平和の後、絶望がやってきたー―。


「なに!? 魔王サタニクスが自ら軍勢を率いて攻めてきただと!?」

「はい!」


 部下のクールドからの報告を聞いて、俺はとても驚いた。

 サタニクスは五〇年以上前に、当時の賢者によって重傷を負った。その傷が完全に癒えるまでは、王国に侵攻してこないだろう、と言われていたのだ。傷が癒えるまではまだ時間がかかると聞いていたのだが……。


「我々が思っていた以上に、サタニクスの治癒能力が高かったということでしょう」


 クールドは冷静に言った。


「くっ……」

「わたくしたちでサタニクスを討伐するしかありませんわ」ナオンは言った。「クールド、サタニクスの相手はわたくしとディックが務めますので、あなたたちは他の魔物どもの討伐をお願いいたしますわ」

「了解です」


 クールドが俺の部屋から出て行った。


「さてと。わたくしも部屋に戻って準備をすることにします。それでは」

「あ、ああ……」


 俺はトイレに向かった。

 果たして、俺たち二人で魔王サタニクスに勝てるのだろうか? 圧倒的不安が心を支配する。だがしかし、逃げ出すことはできない。

 なぜなら、俺は賢者なのだから。


「……よし」


 俺は覚悟を決めて――。


 ◇


 スタート。

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 フィニッシュ。

 賢者タイム、スタート。

 ジョブ〈賢者〉が解放されました。


 ◇


「よくぞ来た、王国の賢者よ。貴様らが来るまでの間に、戦場を整えておいたぞ」


 サタニクスの周囲にあった建物はほとんど崩壊していた。生きている人間の姿は見当たらない。逃げたか、死んだか。この二択だ。


「さあ、存分に殺し合おうぞ」


 俺とナオンのもとに、大量の魔法が殺到する。宙にはおびただしい量の魔法陣。

 俺は応戦しながら、圧倒的な戦力差に絶望していた。二対一だというのに、勝てるビジョンがまるで見えない。


 これが……魔王サタニクスの力か……。

 絶望しつつも、俺は――そしてナオンは――戦い続けた。俺たちの敗北はイコール王国の敗北なのだ。絶対に負けるわけにはいかない。


「「〈アルティメット・ファイアーボール〉!」」


 俺たちは同じ魔法を同時に、サタニクスへと放った。

 ファイアーボール系最強魔法。

 だがしかし――。


「ふん。〈ファイアーボール〉」


 俺たちの〈アルティメット・ファイアーボール〉はサタニクスの〈ファイアーボール〉によって相殺された。


「な、なに……!?」

「う、嘘ですわ!?」


 驚愕している俺たちに、


「これが本当の〈アルティメット・ファイアーボール〉だ!」


 サタニクスの魔法を俺たちは防御魔法で受け止めようとした。だが、完全には受け止めきれず、爆風によって俺たちは吹き飛ばされた。

 俺たちはとある民家に突っ込んだ。そこは奇跡的に、サタニクスの攻撃の被害を、ほとんど被っていなかった。


「大丈夫か?」

「ええ、なんとか……」

「お前も感じているとは思うけど、俺たちじゃサタニクスには勝てない」

「……そう、ですわね」

「昔、サタニクスに重傷を負わせた賢者は、どうやってそんなダメージを与えたんだろう?」


 不思議だ。

 彼らは俺たちと同じ〈賢者〉のジョブを有していたはずだ。もちろん、同じジョブでも実力には差があるとは思うが、それでも限度ってものがある。賢者では、魔王に重傷を負わすことなどできない。

 だとすると、彼らは〈賢者〉を超えるジョブを有していたのか?


「……前に、わたくしの曽祖父と曽祖母がともに賢者だったという話をしたのを覚えております?」

「ああ」

「実は二人がサタニクスに重傷を負わせた賢者なのですわ」

「な、なにっ!?」


 よくよく考えてみれば、賢者は各世代に一人二人程度しかいない。今は俺とナオンの二人だけ。だから、ナオンの曽祖父と曽祖母が賢者だったという話を聞いた時点で、気づけたはずなのだ。


「二人は〈賢者〉から〈大賢者〉へとジョブを進化させて、サタニクスに勝利したのですわ」

「〈大賢者〉……」


 〈賢者〉のジョブが進化するとは、これっぽっちも思わなかった。もしも、〈大賢者〉にジョブ進化させることができれば、サタニクスを倒せるかもしれない。


「ジョブの進化方法を、お前は知ってるのか?」

「ええ。曽祖父が残した手紙に書いてありました」

「それは一体……?」

「〈賢者〉のジョブを持つ者が深く愛し合うこと。それが〈大賢者〉への進化条件ですわ。だからつまり……」


 ナオンは顔を真っ赤にさせて、俺のことを上目遣いに見つめた。


「なるほど。俺とナオンがセッ――」

「言葉にしなくて結構!」


 ナオンは遮るように叫んだ。


「今ここで、それをするしかありませんのよ。ですが――」

「ですが?」

「わたくしは好きでもない人とそういうことをするのは嫌ですわ。そういうことをするには愛が必要だと思いますの」

「そうか……」


 まあ、無理強いはできないよな……。


「いえ、違いますのよ!」


 落胆している俺に、ナオンは慌てて手を振った。


「わたくしは、その……ディック、あなたのことが前々から好きでした。あなたはどうなんですの、ディック? わたくしのこと、好きですか?」


 そう尋ねられて、俺は困った。

 今まで、ナオンのことをそこまで深く意識したことはなかった。かわいいとは思っていたが、あくまで同僚で、付き合うことなど考えもしなかった。


 俺は初めて、ナオンのことを深く――ちゃんと意識した。

 好き、なのかもしれない。だがしかし、俺は生まれて二〇年間、恋愛をしたことが一回もなかった。だから、ナオンのことが好きなのか、自分でもよくわからないのだ。


 だから、正直に言った。


「よくわからないんだ」


 ――と。


「でも、ナオンのことはかわいいなってずっと前から思ってた」

「……まあ、よしとしましょう」


 そう言うと、ナオンは俺のことを抱きしめた。そして押し倒すと、キスをしてきた。それはかなりディープなキスだった。

 こういうのって、男からするのが一般的なのでは?


 ……まあ、いいか。

 俺もナオンのことを強く抱きしめた。

 そして――。


 ◇


 スタート。

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 フィニッシュ。

 大賢者タイム、スタート。

 ジョブ〈大賢者〉が解放されました。


 ◇


 いつもと違ったすがすがしい気分。体の奥底から、力が湧き上がってくる。

 俺は――いや、俺たちは大賢者になったんだ。


「ほう。まだ死んでなかったか」サタニクスは言った。「ならば、今度こそ跡形もなく消し去ってやろう」


 サタニクスは一〇〇を超える魔法を同時展開した。それらが一斉に、俺たちに襲い掛かる。

 俺たちはコンビネーション防御魔法を発動させて、サタニクスの魔法をすべて防いだ。


「な、なんだと……」


 先ほどとは様相が異なる俺たちに、サタニクスは動揺を隠せずにいる。


「それなら――〈アルティメット・ファイアーボール〉!」


 極大の炎の球が、隕石のように落ちてくる。

 衝突。

 爆発。


「ハハハハハッ! さすがに死んだだろう?」

「いいや」

「な、なにっ!?」


 大賢者となった俺たちに、この程度の魔法は通用しない。今の俺たちは、サタニクスよりも――強い。


「そ、そんな馬鹿な!? ありえない!?」

「魔王サタニクス! お前に、大賢者の――俺たちの力を見せてやる!」


 俺とナオンは手を繋いで、最強の魔法を発動させた。


「「〈マスター・エクスプロージョン〉!!!!!」」


 サタニクスを中心に爆発が起こった。天を貫くように火柱が上がる。


「ああああああああああああああああああああああああああああ――――――っ!」


 サタニクスが断末魔の叫びをあげる。この叫びは王国中に響き渡った。

 叫びはだんだんと小さくなり、やがて世界は静寂に包まれた。火柱が消え、サタニクスは消滅した。

 俺たちは絶望的な戦いに勝利したのだ。


 ◇


 それから、五年後。

 俺とナオンは二五歳になり、結婚した。


 賢者同士の結婚というニュースは大きな話題となった。ありがたいことに、たくさんの人たちが祝福してくれた。

 魔王サタニクスと大魔女ウィチーを失った魔王国は大人しくなった。この五年間、魔王国は一度も攻めてこなかった。だが、これからどうなるのかはわからない。新たなる魔王が生まれ、王国に攻めてくる可能性は十分にある。

 だから、俺たちは相変わらず賢者のままだ。


 〈賢者〉のジョブ及び、〈大賢者〉のジョブの発現条件については明かしていない。明かすべきだとは思うのだが、恥ずかしくて明かせずにいる。

 賢者は生まれるべくして生まれるのだ、と俺は思っている。今までだって、王国には賢者がいたし、これからも、必要となったときには〈賢者〉のジョブを持つ者が現れるはずだ。


「曽祖父が残してくれたように、わたくしたちも〈賢者〉や〈大賢者〉のジョブを手に入れるための条件を記した手紙を残しておくべきかしら?」

「そうだな」


 俺は紙とペンを持ってきて、まだ見ぬ誰かに手紙を書くことにした。


 〈賢者〉のジョブを手に入れたい者へ

 〈賢者〉のジョブは、君が思っているほど素晴らしいジョブではない。このジョブは賢者タイム中にしか真価を発揮できない。

 賢者タイム中にしか賢者になれないなんて馬鹿馬鹿しいだろう? 

 そんなふざけたジョブだとしても手に入れたいと思うのなら、これから記すことをジョブ鑑定の儀の前に行ってみるといいだろう。

 実に簡単なことだ。

 それは――


 ◇


 五〇数年後。

 少年は自宅の屋根裏部屋で手紙を見つけた。

 手紙を記したのはディック――確か、先日亡くなった曽祖父だ。


 少年は一時間後、ジョブ鑑定の儀を受けなければならない。自分にどんなジョブが発現するのか、不安でいっぱいだった。

 もしかしたら、曽祖父の手紙にジョブに関して何か記されているかもしれない。

 そう思った少年は、手紙の封を解いた。

 そこには――。


「……よし」


 少年はトイレへと走っていった。





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賢者タイム中にしか賢者になれない賢者 青水 @Aomizu

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