第32話 姫子の目標

「正直言うと、存在自体が人の記憶から消されちゃったと思ったのよね。あなたに再会するまでは」

「ああ」

「最初は一方的にこっちが気づいただけですけど!」

「ごめんなさい」


 改めて言われてみると、オークスからダービーまでの1週間で何か牧野姫子の話題を出したことはないし、思い浮かべた覚えもない。あくまでこの世界に来たから記憶に蘇った可能性も全く否定はできない。


「あのね、この世界に二人が来たことって運命かなって」

「え・・・」

「べ、別に変な意味じゃないわよ。プロのジョッキーになってからはライバルとして同じ舞台に立ちたいって。ただ、あなたみたいな天才的なセンスは無いから、親から受け継いだ、その・・・」

「アスリート能力ね」


 駿馬は”剛腕”と出かかった言葉を咄嗟に飲み込んで、もっともらしい言葉を繋いだ。


「腕力が強いのは事実だから、素直に言ってくれていいんだけど。女が強くたっていいでしょ」

「全然いいと思います」

「こらっ、そこでなぜ敬語?」

「ああ、確かに」


 思い返せば姫子とこんなに話した記憶が無い。バレンタインデーにチョコを出されたときには成り行きで断ってしまったが、申し訳ない気持ちになったし、折を見て謝ろうと思ったこともあった。

 しかし、あの時はプロの騎手になることに必死で、姫子も真剣に打ち込んでいる姿を見て、直接会話をかわさないまま男女に関係なく、一人のライバルとして意識するようになっていた。ただ、しばらくは姫子の態度を少しひねくれた意味で取ってしまっていたことは素直に謝りたい気持ちだった。


「もう元の世界のことを気にしてもしょうがないから・・・今はこの世界で精一杯、目標に向かって行こうかなって」

「目標?」

「うん。RRCのジョッキーになって、ラヴリービズとロイヤルオークスに優勝すること」

「あ・・・」

「ん?」

「俺もハヤテオウと・・・」

「もう、はっきりしなさい。まあ、そう言うところも駿馬の可愛いところだけど」


 そう言うと姫子は両手で駿馬のほっぺたを掴んだ横に引っ張った。


「アイタッ、剛腕」

「コラッ!」


 軽く頭を小突かれたが、それは痛くなかった。駿馬は少しだけ気持ちよくなった事実を隠すことはできなかったが、すぐに思い直す。確かにダービーに優勝することは自分とハヤテオウの大きな目標だ。しかし、それは愛子とフラワースマイルのためでもある。


 仲良く水を飲む二頭を眺めながらその思いを反芻する。もちろん、そのことは姫子に言い出すことはできなかったし、言う必要も無いと考えていた。


「そう言えばレースに出ていたグランドシャーク・・・あんなに強い馬がなぜ独立レースに?」

「ああ、彼は生まれつき内臓に疾患を抱えていて、RRCのメディカルチェックに引っかかってしまったんだって」

「そうだったのか」

「レースを走るのは問題ないんだけど、練習量をかなりセーブしないといけなくて・・・あ、負けた言い訳じゃないのよ」


 それはもちろん駿馬にも分かっているが、こんな会話の中でもそうした言葉が出てしまうのは姫子の性格、そして一流ジョッキーとしてのプライドなのだろう。


「能力的には種牡馬になってもおかしくないぐらいなのに、RRCの公式戦にも出られないんじゃ、繁殖牝馬も付かないからね」

「そうだよな」

「ただ、独立レースでも大きなところを勝ち続ければ子供の価値を上げることはできる。そうすれば鮫島さんが何とか自分のところの繁殖牝馬を・・・」

「鮫島ファームの社長さん?」

「うん。この世界に来て何の身よりもない私とラヴリービズを受け入れてくれて」


 少し赤くなった姫子の顔を見て、駿馬とハヤテオウにとっての愛子のような存在なのかなと勝手に想像してしまった。鮫島ファーム・・・『ダービーミリオネア』に登場するのか覚えていない。イベントではスマイル牧場からスタートしたが、いくつか選べる拠点の1つにあったかもしれない。


 レースで騎手の登録名が有馬芳だった理由も聞いてみたら、それほどのことではなかった。最初は鮫島ファームのスタッフである有馬芳が騎乗する予定だったが、社長がグランドシャークの調教を手伝っていた姫子の能力を見込んで、乗り替わりを申請したらしい。電子版の最新リストには反映されていたそうだが、そこまで気にして確認していなかった。ちなみに有馬芳は男性だそうだ。


「姫子さん」

「だから姫子でいいわよ」

「ああ、姫子・・・『ダービーミリオネア』と言う競馬のRPGを覚えてるか?」

「名前は聞いたことあるけど、私ゲームを全くやらないから。それがどうしたの?」

「じゃあ中身のことは知らない?」

「全く」


 姫子は『ダービーミリオネア』の内容を知らない・・・それならば「ここがどう言う世界だと思ってる?」と駿馬が聞くと姫子は素直に答えた。


「夢の中の世界に来たのかなって。ただ、いつまで経っても覚めないし、何度寝ても同じ世界があって、異世界・・・?」

「ああ、うん」

「それもあんまり詳しくないんだけど、ただの夢ではないことは何となく確信できていて。あなたと再会してダメ押しって感じかな」

「ところで馬との心の会話ってできる?」

「何を言ってるの・・・できないわよそんなこと!」

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