第1話:閑話【倫理学】
現在私は、倫理学の授業を受けている。
堅苦しい格好をした男性教師が教鞭を執っている。あの教師ががクロッカス寮の主任をしている教師だ。
「では倫理学の基礎について教えよう」
なんでも魔術と倫理は切っても切れない関係らしい。正直魔術だろうが何だろうが倫理観は大事だと私は言いたい、特に根拠は無いが。
授業を聞く限りだと、倫理学の授業は世界史も交えて幅広く扱うとのこと。
私は特に何とも思わず、普段通り退屈な態度をとっていた。
しかし、隣に座っていた桃色の少女は黙っていなかった。
「先生! 質問良いですか」
「質問がある時はまず手を挙げろと言っただろう、なんだ?」
「倫理学って何の役に立つんですか?」
早速ぶっ込んだ質問したな、と講義室に居た誰もが思っただろう。
いや、正確には教師以外の誰もと言うべきだったかもしれない。
「役に立つかどうかで言えば、役には立たないかもしれんな」
教師は不敵な笑みを浮かべつつ、そう語った。今の少女による質問へと重ねるように、教師の言葉も意外だった。
周囲では苦笑いを浮かべた生徒もちらほらいるあたり、少し気まずい空気なのではないかと察せられる。
私は目付け役になったつもりもないのだが、桃色の少女を制止しようと手を伸ばす。
しかしそれは、教師の発言により打ち消された。
「いや当然の質問だろう。この学園で一年次から学べる、倫理学以外の科目を脳裏で並べてみるんだ」
まず魔術基礎学に魔法力学、これらは魔力を操作するにあたって精通しているに越したことはない。
次に幻獣学、自然学や調合学。これらも日常にはびこる危険や、日常を壊しかねない危険を察知するためには欠かせないだろう。それらを利用したければ、更に欠かせないと言える。何より、一番仕事になりやすいはずだ。
そして最後に火術学だが、これは魔力を操作して水を精製したり、草木を芽生えさせたりといったものとは別で、この世界の誰しもが持ち得る才能『火を生み出す』という能力を育てる学問だ。
生活に欠かせない重要な火を扱う為、これも魔術師ないし現代人として必須の技能になる。
「では倫理学はどうだろう」
歴史とは言わず、文学ではなく、法学ともまた違う、ただただ倫理を求める学問。
今挙げた歴史文学法学などは二年次、三年次からのみ学べるのだが、それを差し置いて倫理学を一年次から学ぶべき基礎として採用した学園の意図は……たしかに気になる。
単純な道徳心を育てる為だろうか。
もしくは思考力を身に付ける為だろうか。
「それは、魔法使いになる為だ」
魔法使い、という言葉を受けた生徒諸君は一斉に騒つき始めた。
「ねぇニアさん、魔法使いってなんなの?」
唯一、隣の少女は理解が追いついていない様子だが、そんな彼女に構っていられないほど、私だって困惑と興奮が抑えられないでいる。
教師は我々へ背を向けて、チョークを手に黒板へと体を向ける。
黒板には『魔術』と『魔法』という二つの単語が並べられた。
「魔術と魔法では決定的に違う」
その理由は分かるかと質問を投げかけた教師を遮って、前列に座っていた賢そうな少年が手を挙げる。
「魔法とは、それまでの歴史上一度も発明されなかった新しい魔術のことです」
「ふむ、たしかにそうだが……倫理学の授業という点では惜しいな」
教師は未だ我々に背を向けたまま受け応えしている。そして、再びチョークを手に取って腕を踊らす。
魔術と魔法という並びの真ん中に、左向きの矢印が描かれた。
つまり【魔術←魔法】という構図である。
「いや、先程の少年が言った説明も正解としよう。だがその上でもう一歩踏み入った答えを言おう」
そう、魔法というものが新魔術のことを指すのであれば、今我々が行使し、使用し、理解し、共にしている魔術の全てが、元々は魔法だったのだ。
魔法は先ではない、我々の後に存在しているのだ。
無いものを魔法と言うなかれ、今ある全てが、過去の魔法だと思うのだ。
それが倫理的な魔術への考え方なのだと言う。
私や他生徒にとってはあまりに壮大な話で、ふと呆気にとられていた自分に気付く。
「倫理とは、歴史であり文学であり法学でもあると私は考える。そうやって人類が積み上げてきた数々、積み重なって完成した今ある魔術。その数々を理解することが倫理——」
いや、それこそが魔術倫理である。
そう言葉を続けた教師は、いつの間にやら私達の方へ身体を向けていた。
だからこそ、倫理を理解できる者にのみ魔法を発明できるというのである。
「やっぱり少し納得いきません……」
隣の少女がそう呟くが、まあ気持ちを理解することはできる。
壮大なようで、結局結論が出ていないような気もする。
しかし、最強の錬金術師を目指す私にとってはどこか、納得しなくてはいけないような感覚を抱かされたのだ。
ちなみに私のみならず、多くの魔術師にとって魔法使い(魔法を開発したり、十分に操作できる人間)へと至ることは、文字通り至高とされている。
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