第1話:閑話【幻獣学】

「ニア……ニア・エージェント! 遅刻理由を述べな!」


「は、はいぃぃい!! えっと、寝坊しました!」


その後、教師から苦しくも許しを得られた私は、幻獣学の授業へと無事参加することになる。


いや、教師から一発食らったので無事ではない。しかし初日から遅刻した私のような生徒でも、拳骨ひとつで許してくれるこの教師はきっと優しいのだ。


まだ頭が痛いし、なんならジワジワ来るタイプのやつだから、今も痛みは増している、いや痛いぞこれ、しかしこれも優しさなのだろうな。


痛む頭を抑えながらも、必死に教師の授業へと耳を傾ける。


女性で『竜族』の血を引く教師らしく、尻からは立派な尻尾が伸びている。

それとこれは竜族だからなのか、それとも彼女の趣味なのかは分からないのだが、かなり露出の多い服装をしているのが教師として不安になるほどだ。


このように学園、いや、この孤児院には何名もの教師が所属している。


個性豊かで、それぞれが様々な能力に秀でたプロ集団だと思ってもらって構わない。


しかし私もそうだったのだが、教師陣と言われてもパッとしない。


私はともかく、大半は孤児で構成されている学園では、教師という概念にすら疎い者も居るだろう。


この世界には、学校と呼ばれる場所が少な過ぎたのだ。

私の知る限りでは王都にいくつか、各主要都市にあるかないかだ。

普通の孤児院なら多いとは言わないが、平然と各地に存在するし、敬虔なシスター達が泊まり込みで祈りと奉仕を捧げる聖堂や、それこそ探究心の止まらない学者達が集う大学、研究所なる場所があるのは知っている。


だが、学園のような魔術に特化した育成機関というのは稀だ。それだけ見れば、世界を見ても片手で足りるほどしか存在しない。


しかしそれも、若者向けの教育をここまで整えているのは、我らが魔術学園しかないのではないか。


とはいえ平和な世界に感謝だ。


こうして潤沢な設備と知識を十分摂取でき、必要な人材は揃えられており、叱られることと言えば私のような遅刻くらいである。


実に平和だ。


「えー、それで皆知っていると思うが、生物とは全て魔力無しでは生きられない。そしてそれと同じくらい、空気や食料、水、日光なども欠かせないものだ」


そして退屈である。


私が受けている幻獣学という科目の授業なのだが、座学が基本の授業らしい。

手元にあるまっさらなメモ用の木版も、先程から何の変化もしていない。


この木版は魔法植物由来の製品で、魔力を込められると変色する特質を持っている。

ふと隣の子を覗き込むと、必死な形相で木版に文字を起こしている様子が見えた。

その子は自身の杖を木版に擦り付けているが、別にあれは手癖などではない。


例えば魔力を一点に集中させて込めると、その一点のみが変色する。

だからあの杖だってそれの延長線上なのだ。

杖をペンに、自身の魔力をインクに、木版を紙として使う。


これが現在の、学園ないし世界に流通する最も簡易な記録方法である。

魔力さえ抜けば何度も使えることから、使い切りで産地によって価値も大きく変わってしまう紙より便利なのだ。


しかし、欠点もある。


「そこの男子! 居眠りは厳禁だぞ」


教師が指先から炎を出しては、男子生徒に忠告する。

その炎が男子生徒の目の前まで迫り、鼻先で消える。


「だは!? な、ビックリさせないでくださいよ!?」


驚くと同時、男子生徒は手元の木版が目に入る。

その木版は全面が変色してしまっており、もう書き込めない状態だった。

口をあんぐりと開けて驚愕している男子生徒の様子に、流石の周囲も笑いを堪えられなかったらしい。


からかいと労いの混じった笑いが場に溢れる。


それらの笑いが一通り過ぎ去ると、竜族教師はそれらを一括するように場を収める。教師たるに相応しいカリスマなのか、もしくは先程の炎などもう見たくないという生徒達の怯えがそうさせたのだろうか。


まあ私含め、隣で必死に板書をしている生徒なんかは見向きもしていないのだが。


「その木版も表したように、この世界を埋め尽くす魔力とは常時形を変え、何かしらの作用を起こしている。そして、その魔力の影響とは生物だろうと平等に受けるのだ」


とは、教師の言葉である。


「その際、とあるアクシデントが起こることがある」


教卓に立っていた竜族教師は、どこからか木箱を取り出す。

その木箱の中からは「キーッ!」という奇妙な鳴き声と、明らかに何か居るのであろう、物音がしている。


そして、木箱の蓋をゆっくりと開け片手を突っ込んだ。


錬金術にしか興味のない私も、思わず目を細めてしまった。

隣の子は……相変わらず板書しているようだ。

というか、もしやとは思ったがこいつ落書きしてるだけじゃないか?


「見たまえ、これが幻獣というものだ」


いつの間にやら、木箱から手を引き抜いていた教師の手に、一匹のネズミのような……ウサギのようでもある変わった生物が握られていた。


「こいつの名はドライラット。通称、貪欲な鼠だ」


掌大の生物だが、遠目からでも分かるほど牙を剥き出しにしており、今にも暴れ出しそうだ。

というか教師の力が強いだけで、実際は必死に暴れているのだろう。


最前列で授業を受けていた生徒諸君、特に女子生徒が分かりやすく悲鳴をあげている。


「こいつは一般人にとってなら非常に危険な幻獣だな」


そんな危険生物を余裕の笑みで握っている教師が普通じゃない、ということだな?


「こいつは生まれ自体は普通のネズミだった。しかし魔力を受けたことで生態を大きく変えてしまったのだ」


元は穏やかなネズミだったそれは、地下に溢れた魔力を吸い過ぎたことで凶暴化し、その形や性質すらも変えてしまったということだ。

例えば元の状態よりも日光に弱くなってしまったり、水を摂取しなくても良い身体になったらしい。


試しにと講義室の窓から、日光の差し込む場所へとドライラットごと移動する。

すると、ドライラットのより甲高くなった叫び声が響き渡り、ある生徒は耳を抑えるような素振りも見せた。


すぐさま竜族教師は身を引いてドライラットを落ち着かせるように撫でる。


「つまり幻獣とは、一般に存在する生物の突然変異のことを広義的に表現した言葉だ」


一匹の生き物があまりにも必死にしているものだから、それを受けた講義室内は静まり返ってしまう。


「まあ、例外もいるが、今回はそれは無しにして授業を続けようと思う。くれぐれも生徒諸君は、この授業が生物を、命を扱っているということを忘れないでくれよ。命を粗末にする者や、道端に咲く花も踏みつけていくような輩は、いつだってまともな最期を迎えてないんだ」


どこか説得力のある言葉に聞こえた。

加えて昨日のイロハ先輩に言われたポエムも想起してしまったからか、唐突に恥ずかしさが舞い戻ってきてしまった。

すると突然、隣の子が立ち上がって叫んだ。


「できた!」


木版を両手で掲げているが、どうやら渾身の落書きが完成したらしい。


「ソフィア=ウイリー! お前は初日から居残りだ!!」


「な!?」


やはり落ち着かない学園であった。


「というかウイリーってまさか、あの十二聖座のウイリー?」


思わず私は言葉を漏らしてしまった。


「そういうあなたは、もしや昨日の食堂の?」


食堂で変人と仲が良かった女子生徒なんて、断じて私のことではない!!

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