第158話 正しい者と罪科の多い者

 麗奈の歩き方はどこかぎこちない。俺の肩に寄りかかって歩いているため、動きが全部伝わってくるのだ。


 まあ、麗奈の家はここから歩いていける距離だから、しばらくこのまま進むとしよう。と、思った俺は、麗奈の家目掛けて足を動かした。


 それにしても、木曜日だというのに、人が結構いるな。俺は普段コンビニに行くことを除けば、夜中どこかほっつき歩いたりしない。だから、この喧騒は俺にとっては、新しい世界のように映る。


 朝はスーツ姿の男性、女性が仕事のためにごった返しているこの三宮駅周辺も、今となっては、完全に歓楽街と化した。


 仕事から解放されたOLとリーマンはさも楽しげに談笑を交わしながら街に繰り出している。そして、そういう社会人集団を見逃すまいとする居酒屋キャッチのお兄さんが熱弁をふるっている。


 離れたところから彼らを眺めていると、俺がとても小さな存在のように思えた。ああやってリア充のように話し合って、掛け合いをするスキルを俺は持っていない。


 ちなみに、あの社会人とみられる男女二人の顔や表情を見てみると、おそらく両思いのようだ。だが、両方とも独身だとは限らない。片方が恋人か配偶者を持っている可能性もあり得るし、もしかしたら両方が持っていることだってある。


 要するに、清くない男女関係を好む連中である可能性が高いわけだ。つまり俺の敵。


 あの男女に威嚇的な視線を送ってやると、すぐ気付かれちゃった。男女は何か後ろめたことでもあるのか、俺の顔を見るなり後ずさる。やがて二人は、キャッチのお兄さんにペコペコ頭を下げてそのまま走り去った。

 

 ほお。やっぱり後ろめたいことあるじゃんか。いや、ただ単に俺の目が怖いから逃げただけだよね。ごめんなさいキャッチのお兄さん。


「ねえ、悠太何してる?」


 途中、たたずんであのカップルらしき男女を見ていた俺を不審に思ったのか、麗奈がたずねてきた。


「い、いや。なんでもない。行こうか」


「う、うん」


 俺たちは人気の少ない路地裏へとやってきた。もちろん怪しい意味で言ってるわけじゃない。ここから5分ほど歩いたら、麗奈の住む家に到着するわけだ。


「悠太〜頭痛い〜」


「いや、体押し付けんなって」


 冷たい風に当たれば酔いが多少は覚めるんじゃないかと思ったが、麗奈のスキンシップは次第に激しくなっていった。麗奈は俺の肩に体を密着して俺にかなり自分の体を預けている。


「もっど、ぐっつこう!」


「いや、お前がちゃんと歩けないから俺に寄りかかっているだけだろ!」


「今日家、誰もいないから、泊まっれもいいよ…人間に勝つ方法、色々教えりゅから…」


「呂律も回らないのに教えられるわけねーだろ。飲み過ぎだ」


 俺は麗奈を離そうとしたが、これ見よがしにもっと体重を俺にかけてくる。俺が無理やりひっぺがそうとしたらきっとこけるだろう。


 俺は不本意ながら仕方なく麗奈をもっとギュッと抱えて歩く。


「これからいっぱい悠太に奉仕してあげないといけないの」


「寝言は寝てから言え」

 

 全く、さっきから奉仕奉仕うるさいね。だいたい、俺をずっとののしってきたくせによくいうよ。


 俺はため息混じりに言ってから、麗奈に視線を送ると、今まで俯いていた彼女は突然顔を上げて俺を見つめてきた。顔はまだ上気していて目は潤んでいる。


「だって、小学生だった頃、私、何もできなかったから…悠太を守れなかったから…」


「っ!」


 昔話を持ち出してくるなんて。本当、嫌なやつだ。過去のことなんて別に掘り返さなくても良かろうに。ほうむり去って、見て見ぬ振りをすればいい。


「別に俺は大丈夫だ」


「悠太が大丈夫だと言っても私は大丈夫じゃない」


「ものすごい独善的な考えだな」


 俺は目を細めて麗奈を睨んだ。が麗奈は微動だにしない。むしろ、俺がもっとも恐るキーワードを彼女は口にした。


「富山真司って知ってるでしょ?」


「ん!」


 小学生だった頃、俺をもっともひどくいじめた奴。あの名前を聞くだけでも鳥肌が立ってくる。


「風の噂で聞いたんだけど、富山くんって誰もが入りたがる大手商社に入社して、輝かしい人生を送っているそうよ」


「…」


「そんなのおかしいでしょ!ずっと悠太に酷いことをして、一生消えない傷まで負わせたのに、加害者は知らないふりをして誰もが恨むような人生を歩んでいるなんて…そんなの、そんなのありえないのよ!」


 いつしか麗奈は、俺から離れて立っていた。だが、依然として顔は赤く、よろめいている。


 あいつ、いいところで働いているのか。


 今まで麗奈が独善的な態度を見せてきた原因を垣間かいま見た気がする。


 俺は空を見上げてため息をついた。LEDの街灯が発する光が邪魔して星が見えないから余計もどかしい。


 俺は視線を再び麗奈のところに戻して、俺の胸の内を打ち明けることにした。


「正しいものは裁かれ迫害され、罪科つみとがの多いものは成功する。それがこの世の中のルールなのさ」


「そんなの、認めないわ。罪ある者は裁かれるべきよ!」


「一体誰が裁くんだ?」


「それは…」


 正直、素面しらふではない相手に対して真剣に話すのはちょっとどうかと思うんだが、状況が状況だけに、この際はっきりと言っておいた方がいいだろう。


「人を裁ける能力も権力もない被害者ほど無能で惨めな存在はいない。それが俺に対する世間様の評価だよ」


「…」


「まだ酔ってるだろ?家までは送るから、ほら、こっちきて」


 落ち込んだ麗奈に肩を貸した俺はそのまま、何も言わずに麗奈の家まで行く。


 見慣れた三階建ての五十嵐家に到着した俺たち。


「送ってくれてありがとう」


「ああ。あとお酒はほどほどにな」


「悠太がいないと飲まないわよ」


「…まあ、なんだ、一応、金沢と連絡交換はやったから、今日麗奈が出してくれた依頼はクリアした」


「そ、そう…よくやったわね…」


「詳細は後で連絡して伝える。んじゃまたな」


「ちょ、ちょっと!」


 俺はそろそろ家に帰ろうとしたんだが、麗奈がそれを止めた。


「うん?」


 俺が視線で続きをうながすと、麗奈は切ない表情でその小さな口を動かしながら、言葉を発する。


「いずれ、悠太が必ず報われる日がおとずれると、私は信じているの!」


「ありがとう」


 と、言ってから俺は踵を返して、五十嵐家を後にした。


 人に希望を与えて奈落ならくへ突き落とすタイプの人間はザラにいる。それが本意であれ不本意であれ、与えられるダメージはそう変わらないのだ。


 だが、彼女が時間を割いて俺のために色々考えてくれたのは事実だ。その事をないがしろに、十把一絡じっぱひとからげにして非難するのは間違っている。


 俺は果たして、人間に勝てるのだろうか。


 そんな小さな疑問が俺の心を駆け巡る感覚に陥りながら、俺は自分の家へと向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る