第129話 怒る藤本悠太

 可能性?このおじさんは一体何を言っているんだ。おっさんご自分の目的を達成するための可能性とでもいうつもりか。だったら、可能性ではなく生贄いけにえとはっきり言えば良いだけだろうが。


「話が抽象的すぎて何をおっしゃっているのか、まるでわかりませんが」


 俺は語気を強めてそう伝えると同時に煽るような視線をおじさんに送った。おじさんは、相変わらず動揺した表情を浮かべて、くちびるを噛み締めている。おじさんのこんなに当惑している様子を見るのは初めてだ。大企業の副社長らしからぬ反応を俺に見せてまで何伝える気か。全く見当もつかない。


 俺が顔をしかめておじさんを見つめていると、彼は予想外のことを口に出す。


「一週間後、刹那と雪菜と藤本くんと3人で別荘に行ってくれないか?」


「はあ?」


 なんの脈略もなく、とんでもないことを言われてしまった。話の流れ的にはもっと言い合いが続きそうな感じだったが、おじさんは突然、提案をしてきた。実現不可能な提案を。だから余計に腹が立つ。


「俺は単なる家庭教師以外の何者でもありません!なんで俺がお宅の娘たちと一緒に行くんですか?俺みたいな怪しいやつを手塩にかけて大切に育てた愛くるしい自分の娘に近づけるなんて、本当にどういう神経しているんですか!」


 なんで俺はこうも怒っているんだろう。怒りという感情は理性という大きな器に全部捨てたはずなのに、どうして俺は言葉の限りを尽くしてこのおじさんを罵倒しているんだろう。


「本当にありえない!俺は、俺は、すごい人間なんかじゃないんだ!コンビニで日銭を稼ぐだけのあぶれ者だ!敗北者だ!」


 なんで


「だから!だから!俺は…」


 なんで俺は、こんなに喉が痛くなるまで叫んでいるの?


 この感情は一体何?


 得体の知れない謎の感情に翻弄ほんろうされていると、いきなりおじさんは立ち上がり、俺を指で差す。


「お、お、いや、君には、これっぽちも期待なんかしてないんだ!」


「え?」


「もう一度言う。君には、全く、これっぽちも、期待なんかしていない!わかったか!」


「あ、あなた…」


 西園寺京子さんの言葉を最後にこの部屋に静寂せいじゃくが訪れる。だいぶ大きな声でしゃべったので、耳鳴りがするほど頭がジンジンする。


 おじさんは、目を見開いて俺をものすおい表情で見つめている。まるで、大衆の前で宣言でもするかのように、背後には悲壮感がただよっているように見えた。


 にしても、期待してないか。




 ふと、昔の記憶が勝手によみがえる。



『藤本くんは、表情は暗くても、いつも成績優秀だから本当にすごいよ。だから先生はいつも期待してる』


『へえ、また学校一なんだ。お母さん見直したよ。これからも期待してるよ?』


『最大手商社への就職おめでとう。いやー君は今まで見てきた学生の中で一番優秀だった。プログラミングの腕は教授の私でも脱帽だつぼうするほどだからな。きっと社内でも期待されると思うよ』


『藤本くん、これは君のためなんだ。もっと頑張れるよね?期待しているよ』


『新入社員なのに、こんなでかいプロジェクトをメインで仕切るなんて、本当化け物ね。まあ、君しかこの言語を知らないからしょうがないけどね。みんな君に期待しているよ』


『期待してるよ』


『期待し』


『藤本くん』


『ふじ』


『期…』


 嫌な響きだ。


 何が期待だ?自分の私欲を満たすためだけだろうが。だとしたら、いじめと何が違うんだ?同義語じゃねーか。


 本当に虚しい人生を送ってきたと思う。虐められて、期待されて、使いつぶされて。


 だから、このおじさんの発した言葉は、プロボクサーの腕から放たれたパンチばりに俺に、ものすごいダメージを与えた。


 シーンと静まり返るこの広い部屋の中で、黙りこくった3人。しかし、俺は口を開かずにはいられなかった。


「す、す、す…素晴らしい」

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