第128話 藤本悠太の過去の片鱗

 部屋の中には、褐色を基調とした高級木材で作られた家具やら高そうな絵画やらが置かれている。まさしく金持ちの部屋って感じだ。


 部屋の片隅に置かれているゴルフドライバーなんか俺が10年間コンビニで働いても買えなさそうだ。


 そして、ふと目に入る50センチほどの額縁。


 最近撮ったと思われる家族写真だ。中にはイケメン中年おじさん、二人の子を産んだとは思えないほど美しい女性。そして真ん中にはこの両親の素晴らしい遺伝子をそのまま引き継いだ眩しいほど綺麗で可愛い二人の姉妹。

 

 隣におじさんがいることも忘れて、俺はこの家族写真をずっと見つめている。


「最近撮ったやつだ」


「あ、すみません」


 俺は頭を少し下げて謝罪のジェスチャーを見せる。すると、おじさんは顔を横に振って、この家族写真に視線を送った。そして独り言のように話し始める。


「生きているのが当たり前だと今までずっと思っていた。でも、あの一件で全てが変わった」


 あの一件というのは、間違いなく約一ヶ月前に起きた地下鉄放火事件のことだろう。


 ゆきなちゃんのみならず、俺もこのおじさんもいつ死ぬか分からない。だから、死んでしまう前に、なるべく証拠や思い出を沢山残しておきたかっただろう。


「そうですか」


 俺は無味乾燥な返事をした。すると、突然、おじさんは俺の顔を見る。また俺に何かを試すような表情で。


「藤本くんも、家族との思い出、たくさん作った方がいい」


「…」


 俺は思わず唇を強く噛み締めた。顔はとっくに歪んでいて、側から見れば完全に怪しい人間に映るだろう。


 俺に家族と呼ぶべき存在はいない。あんな地獄のような環境を俺に与えた忌まわしき存在。俺が死なない程度に飼い殺した母。そして、いつも母親を殴って家の中のありとあらゆる家具を壊した父ならわかるが。


「デザート持ってきたわよ」


 この部屋の沈黙を破ったのは、美味しそうな果物と菓子と飲み物がのっているトレーを持っている西園寺京子さん。


 「座ろうか」


 おじさんは視線で真ん中にあるソファーを指し示した。だが、表情がおかしい。試すような表情ではなく、若干動揺しているのがわかるほど、俺を見ているおじさんは顔をこわばらせていた。


 この変わり様は一体。


 まあ、とりあえず座ろう。


 俺がソファーに丁寧に腰掛けると、夫婦は向いにあるソファーに座った。つまり対面している。


 西園寺京子さんが前のテーブルにトレーを置くと、おじさんが、美味しそうな桃をフォークで刺して口に運んだ。

 

「藤本くんも遠慮しないで食べてね!」


「は、はい。お言葉に甘えて」


 そう言って俺も、フォークで桃を適当に刺して口に入れる。


 もぐもぐすると、果汁が口の中にふわっと広がり、甘味が溢れ出す。俺が利用する業務用スーパー近くで売っている安物とは比べものにならないほど芳醇ほうじゅんだ。


 でも、緊張したせいで、正直美味しいとは思わなかった。


 広い部屋に死んだ魚のような目をした青年と、最上流階級の夫婦との対談。このおかしい組み合わせはなかなかお目にかかれない光景だと自負して良いだろう。


 桃を食べ終わったおじさんが口を開く。


「この間の行われたゆきなちゃんの小テストの点数だが」


「はい」


「平均50点だ」


「良かったですね。おめでとうございます」


 俺が少し間を置いてから無表情で答えると、西園寺京子さんが前のめり気味に上半身を乗り上げてなげく。


「なんでそんなに他人事のようにいうの?!藤本くんが優秀だからあのゆきなの成績が上がったのよ!あの平均9点のゆきなが!」


「い、いや。そう言われてもですね。実際頑張ったのはゆきなちゃんだし、俺はただ教えただけなんで…」


 そう。やる気を出して一生懸命頑張ったのはゆきなちゃんだ。俺は手助けをしただけだし、別に褒められる筋合いはないと思います。


 だが、おじさんはそう思っているわけではないらしく、無表情の俺に無表情で話しかけてくる。


「ありとあらゆる優秀な家庭教師を呼んでみたが、全部失敗した。成績を上げたのは君だけだよ」


「そうですか」


「ああ。あんな短期間で成績を大幅に上げるとは正直思わなかった。だから教えてくれ。ゆきなちゃんが動いたきっかけを」


 と、おじさんは真面目な顔で俺にたずねてきた。でも、素直に答えることはできまい。


 俺はゆきなちゃんとある契約を交わしたのだ。


 平均50点を超えたら、ゆきなちゃんの今後を一緒に考えてあげると。そこに両親の影響力や意思が混ざってはならない。


 そう考えた俺は卑屈ひくつな笑みを浮かべて話し始める。


「運がいいだけです。たまたまゆきなちゃんがタイミングよくやる気を出してくれたおかげと言いますか…」


 これでいいんだ。丸く収めればいいだけの話。俺が心の中でドヤ顔をしながらいると、突然、西園寺京子さんがソファに座り直し、二人とも俺を冷たい表情でにらんでくる。


 うん?なんか予想した反応と違うけど?俺がキョトンとしていると、おじさんが唐突に口を開いた。


「小学生中学生だった頃の成績はいつも最下位だったが、高校に進学した途端にいきなり学校一に踊り出だ。それから今刹那が通う大学を卒業するまで一度たりとも一位の座を譲ったことがない」


「え?な、何を言って!」


「それから君は、うちのライバル会社である最大手商社に新入社員として就職をし、システム開発者としてありえない活躍をする」


「ちょっと!」


 なんでこの人が知ってるんだ?


「アメリカの年寄りの技術者や教授にしか読めない古いマニアックなコードによって作られた社内会計システムを全部一新するという超巨大プロジェクトに君がメインとして参加していたらしいな」


「待ってください!なんであんたかそれを知っているんですか?!」


 俺の問いに答える気配を見せまいとするおじさんは、尚も話を続ける。


「新入社員だから、表面上は見習い扱いだったが、そのプロジェクトを全部仕切っていたのは他でもなく藤本くんらしいね」


「…誰から聞いたんですか?」


「とある消息筋からとでも言っておこう」


 と、おじさんは、またもや試すような表情で俺を見つめる。


「プロジェクトは順調に進んでいるように見えたが、突然君がやめることになる」


「…」


「君の抜けた穴を補うべく日本で名の知れた開発者が20人以上も投入されたが、結局プロジェクトは大失敗。社内の人間は君の存在を必死に隠そうとしていたが、その開発者たちは口を揃って君がいたら、そのプロジェクトは大成功間違いなしとまで言ってたな」


「本当にすごいね藤本くんは」


 西園寺京子さんお褒めの言葉をいただいたのだが、俺をあわれむように見ている。褒められれば気分がいい。だが、今はとても不愉快だ。


「この家の人たちはストーキングが得意ですかね。だったら趣味が悪いな」


「変なお邪魔虫が多くてね。でも藤本くんはお邪魔虫なんかじゃない」


「だったらなんですか?」


 過去が明るみにでたことによる恥ずかしい気持ちと怒りで感情コントロールができずに、唇を震わせている俺の問いに、このおじさんもまた動揺する。


 そして放たれた言葉。


「君は、一つの可能性だ」

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