第105話 エッチな事するわけないでしょ!

 靴を脱いでいるうちに、ピザ独特のチーズとパンと肉の香ばしい匂いが漂ってきた。


 俺と五十嵐麗奈は控えめな歩き方で移動し、リビングに繋がるドアを彼女が開けた。すると、ソファーとキッチン、テレビといった、ごく普通の一戸建ての居間が現れる。


 テレビはつけられていて、亜麻色の短い髪をした男が座っている。その男は首だけ回して俺の存在を確認してからほっこり笑い、立ち上がる。


「君が藤本悠太くん?」


「は、はい」


 突然名前を呼ばれて、肩をすくめる俺。そんな俺の様子などお構いなしに、暖かい笑顔を崩さずに続ける。


「僕は五十嵐純圭作いがらしけいさく。麗奈の兄だよ」


 そう簡潔かんけつに言い終えると、落ち着いた様子で俺を見つめる。


 背は俺と同じく180センチほどで、すごくスタイルがよく、顔も五十嵐麗奈と同じように整っている。


 小柄な五十嵐麗奈と並んだら、確かに凸凹するが、この兄妹は似ている。


 人気男優のような雰囲気を醸し出す五十嵐圭作さんに圧倒される俺。その瞬間、穏やかだった彼の表情は変わり始める。

 

 彼は視線を一瞬逸らしたが、やがて俺に再び固定させ、疑問に満ちた瞳で俺を捉える。


 詮索せんさくかそれとも粗探あらさがしか。


 いや、どっちも違う。俺をいじめていた連中が見せた類のものではないんだ。あれは。


 なんで林檎りんごが落ちるんだろうと悩んでいだニュートンのように、透き通るような五十嵐圭作さんの目は、俺を射抜いぬいた。


 妙な沈黙が数秒間続く。


「ピザは私の部屋で藤本くんと食べるから、兄さんの分は先に取っといて」


 居たたまれなくなった五十嵐麗奈はそう伝えて、キッチンに行って取り皿を一枚手に取り、それを五十嵐圭作さんに押し付ける。


「え?僕、藤本くんと一緒に食べたかったのに」


「いいから!」


 五十嵐麗奈は力を込めて無理矢理自分のお兄さんの手に皿を持たせた。五十嵐圭作さんはため息をついて残念そうな顔でピザを3切れを自分の皿にのせる。


 だが、皿に移しえた西園寺圭作さんは、いきなり物凄いスピードで広角を釣り上げて、五十嵐麗奈の顔に自分の顔を近づける。


「部屋で男女二人っきりで、何をする気?」

 

 明らかに面白がっていやがるな。このお兄さん。おかげさまで、五十嵐麗奈の顔は次第に赤くなっていく。


「な、何を言っているのかしら!エッチな事するわけないでしょ!」


 そう言いながら五十嵐麗奈は、自分のお兄さんを手で押そうとしたが、失敗。五十嵐圭作さんが俊敏しゅんびんな動きでけたからである。


 五十嵐圭作さんは、目尻まで釣り上げて、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ふふふ、誰もえっちとは言ってないよ。麗奈(笑)」


 爽やかに笑みを浮かべて諭すような口調で言っている自分の兄に怒りに燃え盛る眼差しを送る五十嵐麗奈。


「んんんんんんん!!」


 悔しそうに自分の兄を睨め付ける五十嵐麗奈。顔はもうすでに上気していて、このままだとヤバい気がする。


 これ止めに入った方が良くないか。でも、俺に仲裁ができるコミュ力なんか存在するはずがないから、ただ見るしかないよね。


 俺の赤ちゃん並みのコミュ力に絶望していると、横にいた五十嵐圭作さんは、突然、自分の皿をソファにそっと置いて、俺に近づいてきた。それから、彼は俺の背中を優しく押す。


 押された俺は吸い込まれるように、五十嵐麗奈と密着してしまう。


 俺の腕が五十嵐麗奈の胸に触れた。ほっそりとした体つきだが、ムニムニと、その柔らかな二つの形は俺の腕をつつましく包み込んだ。


「五十嵐さん!な、ないを?!」


 俺はあわあわしながら背中を押した犯人である五十嵐圭作さんにたずねた。だが、彼は素知らぬ顔で口笛を吹く。いや、とぼけんなよこの野郎。


 俺は戸惑いつつ、腕を動かそうとする。


「はん!」


 すると、突然、五十嵐麗奈は奇声を上げてきた。


「ご、ごめん。すぐどくから」


 俺は素早く五十嵐麗奈から離れた。それから彼女に怪我はないか確認するため、様子を見たが、酒でも飲んだみたいに、上半身が桜色に染まっている。そして向けられる視線。


 いや、なんでそんな親の敵を見る目で俺をにらんでいるの?本当に家帰りたくなるから、そんな表情はよしてくれないかね?


 まあ、でも、いくら五十嵐圭作さんが仕組んだこととはいえ、実際、彼女に不快な思いをさせたのは事実。


 五十嵐麗奈にとっての俺は、セクハラをした犯罪者なのだ。なので、二人っきりでピザなんか無理だろこれは。ていうか、これって俺の家に帰れるいいチャンスなのでは?


 危機をチャンスと捉える俺ってまじポジティブ。


 俺が頭の中で作戦会議を開いていると、五十嵐麗奈は殺人光線じみた視線を俺から五十嵐圭作さんにシフトさせる。


「兄さん。あとでしばくよ」


「麗奈。お兄ちゃんが悪かった」


「しばくよ」


「あ、あの麗奈さん…」


 五十嵐圭作さんは、冷や汗を垂らして戸惑い始める。顔なんかとっくに血の気が引いている。五十嵐圭作さんがマジでビビっていると言うことがわかる。ちなみに俺もビビってます。女の子がしばくって……


「藤本くん」


「は、ひゃい!」


 彼女の放つ物々しい雰囲気につい上擦うわずった声で返事してしまった。


「私の部屋へ行きましょう」


「はい」


 ちょっとでも家に帰れると思っていた俺の小さな希望はあっけなくくだけ、五十嵐麗奈の部屋という最終ボスが眠っているエリアにおもむく羽目となった。

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