第40話 青山かほの誘い

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 火曜日


 俺が家庭教師となって、ゆきなちゃんに初めての授業を行ってから一日が過ぎた。今日は、窓から差してくる光は見当たらない。代わりに、どんよりとした空模様だけが今日の天気を知らせてくれている。一雨来そうだな。


 俺は横たわったままスマホの天気予報アプリを開くと、10時からずっと雨マークがついている。願わくば、この雨が、暑さと、憂いを洗い流してくれんことを。


 コンビニ行くか。


 朝ごはんを食べ、身支度を整えてから出発進行。

 

 鬱陶しい空とは裏腹に元気よく挨拶する店長に軽く返事をし、連絡事項を聞いてから、いつものパターン。

 

 スイッチを切って、コンビニ店員という名のロボットになりきっている自分を見ていると、なんだか不思議な気分だ。高校生の時から養ってきた卑屈な接し方はだいぶ板についている。


 ここは、基本、俺一人だから、暇になったらボーどしていてもいいし、人の目線を気にしなくてもいい。要するに俺にとっての天職だ。故にロボットになったという事は、俺が完全にこの仕事に馴染んでいるということ。別に無理していい会社に就かなくてもいいんだ。

 

 フリーターのままだと、転落人生を歩むことになるんだよと、会社の上司に言われたことがある。裏を返せばこう言い換えることも可能であろう。転落人生を歩むことになるから、『俺みたいに、他人を徹底的に利用して、責任を擦りつけて、他人の失敗を喜んで貶して、上に上り詰めればいいんだ』と。


 確かに、人が集まれば、そういう血生臭い戦争が起こるのは自明の理だ。人間は根本的にそういう生き物だから、それに対して異議を唱えるつもりは毛頭ない。 


 でも、その争いを避けて、それなりに満足して生きている人を頭ごなしに否定するのは、見当違いだ。


 仮に、上司の御子息が干からびるまで吸い取られたとしたら、あの人はどういう行動に走るんだろう。自分がやる分には全然いいけど、他人には絶対させないという矛盾した欲望を剥き出しにするのか。まあ、すでに済んだことだ。仕事に集中集中。


 いつもと変わらぬ時間が流れるが、雨は午後から急に降り出し、大ぶりになった。傘を買う客が殺到し、捌いていくこと数時間。


 これは余談だが、天気予報で雨が降るって言っても、傘持ってない人って案外多いよね?


 この状況も想定内だ。いつもの場面やシチュエーションの数々は俺の脳内に積み重なってビックデータになっている。だから、この、いつもと変わらぬ風景は俺を安心させてくれているのだ。しかし、最近、俺の持つビックデータをもってしても解明できない現象が起きてしまっている。そろそろ、その問題の発生源がやってくる頃合いだ。


 と深々とため息を吐いてから時計を見ると16時40分。俺の期待を裏切ることなく、彼女は自動扉からやってくる。


 青山かほ。


 今日はいつもと比べて派手な服装ではないのだが、レースアップサンダルにデニムショートパンツと、Vネック半袖Tシャツ。肌の露出が多い彼女の登場に俺は思わず、肩を竦めて若干後ずさってしまう。引き締まった太ももとすらっとした美脚。上に行くにつれてくびれのある体つきがより目立つ。特に胸あたり。


「藤本先輩」


「うん?」


「胸、好きですか?」


「ああ。あ?ち、違う!」


 いつの間にやら青山かほは、俺のいるレジまできて俺にジト目を向けている。近くでみると、明るい系の金髪が少し濡れていて、しずくがぽつりと垂れ落ちている。雨足が強い時は、傘をさしてもどうしても濡れてしまうものだ。


 彼女をよく見ると、濡れているのは髪だけではなく、Tシャツにも大雨の偉大なる力は如実に現れている。胸元のところの一部が雨で濡れて少し透けて見えてくるのだ。そこからは、禁断の領域でたわわに実った二つの果実を包んだブ、


「先輩えっち」


「あ、ごめん」


「まあ、いいっすけど」


 おっと。またもや、セクハラで訴えられるところだった。幸いなことに、青山かほの突っ込みのおかげて無事に我に帰ることができた俺は、気を取り直すための咳払いを一つしてから視線を彼女の胸から顔にシフトさせる。


 すると、青山かほは、身を捩りながら何かを言おうとするそぶりを見せている。俺は気になり、視線だけで続きを促した。


「先輩って今週の土曜日か日曜日、時間空いてるんすか?」


「え?」


 思わず上擦った声が出てしまった。側からみれば、ラノベ主人公専売特許の「難聴」というスキルを決め込んでいるように見えなくもない。でも、俺ははっきりと聞いたのだ。


 俺の間抜け面なんか気にせず、青山かほは続ける。


「空いているなら、付き合ってもらっていいっすか」


 いつもはズボラな性格だが、今回ばかりは真面目くさった表情で俺を見つめている。心なしか、頬には朱がさしているように見える。俺は予想外の行動で迫ってくる青山かほの漂わせる謎のオーラに当てられてしまった。


「い、いいよ休日なら空いてるし」


「お!本当にいいっすよね?!んじゃ連絡先交換しましょっか」


「お、おう」


 なんで、俺はこんな合理的ではない判断をしてしまったんだろう。ああ、あれだ。俺はこと、自分のことに関しては論理的だが、対人関係においては難ありのコミュ障なのだ。


 今更吐き出した言葉は、取り消せない。でも、青山かほが純粋な笑顔で俺の携帯に自分の連絡先を入れるところを見ると、なんだか、断る気もなくなる。


 何より、胸、たくさん見たしな。

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