出会い編

第9話 放火事件から一夜明けて


X X X


『いたい』


 暗がりの教室で、俺は殴られていた。足で蹴ったり、拳でぶったり、俺の教科書を投げつけたりチョークやチョーク消しなどで俺を叩く。いじめというより、凌辱といったほうが正しいかもしれない気がする。


 心地良い日差しが教室の窓に入ろうとするが、分厚いカーテンで遮られている。明かりもついていない薄暗い教室。7~8人くらいの男子生徒たちが倒れている俺の身体に乗っかって、ひたすら俺に乱暴をしていた。残りの人も俺を遠くから見つめるだけ。


『はっ!』


 俺は苦しいあまりに、呻き声をあげるが、どこ吹く風と、これ見よがしに俺に暴行を加え続ける。だが、俺はやめてとは言わない。なぜなら彼らは最高に楽しい娯楽を堪能中だから。酔っ払いに酒を取り上げたらキレるし、麻薬依存症の人に麻薬を奪ったら、殺しにかかるだろう。それと同じ論理だ。彼らは嬉々として笑いながらこの行為を楽しんでいる。昼休みが終わって、先生がやってくる頃には、この狂乱も収まるだろう。我慢しよう。我慢。が、


「あっ」


 目が覚めた。幸いなことに、昼休みが終わるまで待つ必要はなかったようだ。なぜなら、俺を殴っていた小学生の同級生はここにはいなく、柔らかい布団が俺を優しく包み込んでいるから。


 不思議なもので、夢の中では、自分が今夢を見ているという自覚がない。むしろ、夢の中のシチュエーションこそが現実であり、それ以外の選択肢は与えられていないかのような錯覚に陥りがちだ。だから、ついさっきまでは、集団暴行を受けている小学生の自分を今の自分だと思ってしまった。まあ、実際にあったことだから違うのは時間軸だけか。


 安堵のため息を吐いてから、布団から起き上がって洗面台に向かう。震える手を落ち着かせ、不規則な呼吸を整えるのにはそんなに時間はかからなかった。俺は対処法を知っている。要は規則を見つけることだ。パニック状態に陥ったら、ありとあらゆる方法を試して、少しでも心が楽になるパターンをデータ化し、それらを分析して効率のいい道を探し出す。とりあえず、頭を空にして「俺は死なない」、「今考えるのは自分にとって害しか与えない」などといった自己暗示をかけ、深呼吸をすればいい。息を吸う時は、俺を癒す良いものが入ると考え、吐く時は、俺の心のどす黒い負のエネルギーが放出されるとイメージしてそれを繰り返す。覚えとくと良いよ。


 顔を洗ってトイレを済ませてから、キッチンに向かう。トマトサラダを食べやすく皿に盛って、オレンジジュースをコップに注ぎ、それを部屋のテーブルに置いた。ついでに、リモコンでテレビの電源をつける。今日は金曜日で現在時刻は朝7時丁度。ニュースが始まるタイミングだ。


「昨日起こった三ノ宮駅放火事件で、新たな死亡者が3人確認されました。神戸市中央消防署の発表によりますと……」


 やはり昨日の出来事が大スクープになってるのか。まあ、当然といっちゃ当然か。右上のテロップには「死者53人、負傷者532人」と大文字で書かれている。ニュースには負傷者の様子の他、いまだ発見されていない人の身内のインタビューなどが流れている。


 本当に、あの子を助けた後すぐ、家に帰って大正解だったな。あんなのマスコミの食い物されているだけではないか。普通の人間には、このインタビューや事故現場の様子を悲しく感じるだろうけど。俺は違う。映像なんか所詮嘘だ。早く出世したいから注目されそうな映像ないか虎視眈々狙っている記者と、自分の悲しみを他の人に伝えて現実逃避したい当事者の利害関係が完全に一致したことによってもたらされた副産物以外の何物でもない。


「お父さんが、昨日から全然連絡がなくて…」


 目には涙を浮かべて上ずった声をだす中学生くらいの男の子がインタビューに応じている。おそらくお父さんが昨日の事件に巻き込まれたらしい。


 同情という気持ちは微塵もない。かとって呪うわけでもない。この子は同じ同級生を殴ったり、イジめたりしたのだろうか。この子のお父さんも過去に人を殴ったり侮辱したりしたのだろうか。そういう疑問だけが俺の精神を支配するだけ。


 もちろん、決めつけるのはよろしくない。それは俺がもっとも忌み嫌うものだ。ただ、そういう可能性がまったくないと否定し、決めつけるのもよろしくない。


 ニュースではずっとこの話題で持ち切り状態だったので、閉口し、テレビを切った。勉強でもしよう。

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