臆病者だけど、命くらいかけるよ。

なるとし

1巻

放火事件編

第1話 少し考えに耽てみよう

 すこし考えに耽けてみよう。


 俺はあぶれ者だ。


 社会における敗北者。


 スタートラインから俺の人生はくるってしまった。俺の歩んできた歴史を振り返ると一抹の希望もない。


 「性善説」をご存知だろうか。人間の本性は基本的に善であるというある種の説で日本人の大半がおそらくこの考え方を支持しているのではないだろうか。しかし、俺は違う。人間は生まれる前から腐っている悪の塊である。


 俺は幼稚園児だった頃、同級生から酷くいじめられ、精神、肉体ともに深い傷を負った。それどころか、小学生、中学生の時もひどくいじめられた。親しい友達も明日になれば顔色を変え、俺をいつも殴る集団に加わって暴力を振るう。集団暴力から逃れることはできない。なぜなら彼らがそれを楽しむから。娯楽にすぎないから。


 ローマ帝国のコロセウムは民たちに娯楽や快楽を与えるための場として重宝されてきた。奴隷を無理やり連れ込んで、何日も餌を与えてない獅子と戦わせる。結果は火を見るよりも明らか。弾く血と肉を見ながら観客は喜ぶ。

つまり、俺をいじめ、暴行を加えた連中は観客で俺が奴隷といった立ち位置だろう。


 人間は一人の例外なく腐っている。人は人が死んでいく姿を見て快楽を感じる生き物にすぎない。俺はどうなんだろう。一人の例外も認めないとしたら、俺だって腐りきった人間という結論にたどり着くわけだ。だがしかし、俺は一度も人間をいじめたことがないから、偉い立場にいながら見下したことがないから、自分は例外といったところか。


 奴隷同士でも憎しみあったり、戦ったりもするものだが、俺はそれをしない。なぜなら、奴隷と観客の立場が変わったとしたら、きっとライオンによって無惨に死んでゆく姿を見下ろしながら奴隷もまた喜ぶことを知っているから。


 つまり奴隷イコール観客である。


 俺はその輪から外れた或いは逃げている臆病者だと思う。臆病者でいい。なぜなら、持つものと持たざる者をめぐる既得権争いをしなくて済むから。ゲームで例えるなら、煌びやかな装備を纏って皆の注目を集める英雄ではなくどこにでもある石ころのような存在。存在感は皆無だが、たまに蹴られたりして、被害を被る。悪意に満ちだ人間になんの理由もなく攻撃を受けるのはよくあることだ。むしろ、俺の人生そればっかだったし。


 結論を言おう


 人間は諸悪の根源である。


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