第191話 六色の灯


 明日は私達が二十三歳になる日。

 そして、あなたと出会って四年目になる日。


 どんな誕生日にしようか、何をプレゼントしようか、なんて答えを出す前にあなたから……「今年は誕生日お出かけしよっか。それからプレゼントも準備しなくていいからね」と言われ、ソワソワしつつ手ぶらで迎えることになりました。


 あなたと交わる午前零時。

 鼻先を付け合いながらおめでとうの一言を同時に呟いた。

 言葉尻、再び重なる唇。

 あなたと迎える四回目の誕生日……あと何回こうして共に迎えられるでしょうか。


 この物語も……何時か迎える今世の終わり。 

 こうして歳を一つ重ねることに少しだけ寂しさを感じてしまうけれど……あなたが隣にいてくれるから、その先もあると確信出来るんです。

 なんて、ニーチェに怒られてしまいそうなことを考えて思わず笑ってしまう。


「なに考えてるの?」


「嘗ての偉人と……遠い未来の話を考えていました」


「ふふっ、そっか」


 あなたはそう微笑むと私の頭を撫で、只々甘く優しく抱きしめ続けてくれた。

 

 ◇  ◇  ◇  ◇


 明け方、柔らかくも温かな場所で目を覚ます。

 その幸せに包まれてもう一眠りしたくなってしまうけれど、名残を惜しみつつ少しだけ唇を付けて静かに抜け出した。


 リビングへ行くと、ポン助が尻尾を振りながら私を迎えてくれた。


「ふふっ、おはようポン助。私ね、今日誕生日なんだよ? 晴さんも一緒で……もし晴さんが起きてきたら、可愛く鳴いてお祝いしてあげてね」


 暗い時間はなるべく鳴いてはいけないと教えてあるので、手を擦り合せ返事をするポン助。

 頭を撫でて、台所へ向った。 


 準備をし作るのは、あなたの好きなバタースコッチブレット。

 起きてくる時間を想定してのパン作り。焼き立ての状態で食べて欲しいので少しだけ早起きをするけれど、何時もあなたに怒られてしまう。

 でもあなたが私を想って心配してくれるように、私はあなたを想って……喜んでもらいたい。


 だってほら。こうして甘く芳ばしい香りがすれば、何時だって嬉しそうな顔であなたは釣られて来るのだから。


「おはよ雫。ごめんね、寝過ぎちゃった。メッチャいい匂いする……もしかしてバタースコッチブレット?」


「ふふっ、おはようございます。大正解です。珈琲とミルク、どちらにしますか?」


 そう言いながらも、自然とコーヒーミルに手を伸ばしてしまう自分に顔が熱くなっていく。 

 

「珈琲お願いしてもいいかな? 顔洗ってくるね──」


 洗面所へ向かうあなたへ飛びつくポン助。

 可愛らしく少し甘えた声で「キャン」と鳴く。


「ふふっ、おはよポンちゃん。お祝いしてくれてるの? ありがと♪」


 湯煙昇り、カタカタと鳴くヤカン。珈琲豆を挽きながら、只々……この幸せな景色を噛みしめる。

 台所からのこの眺めは、私だけの特権。

 思えば……お母さんもよく台所から私とお父さんを見ては、優しく微笑んでいた。

 ねぇお母さん、私の幸せも……とっても素敵でしょ?


 ◇  ◇  ◇  ◇

 

 食後、晴さんとポン助はマッタリな時間中。

 私は今日着ていく服を選んでいる。

 外で食べるって言ってたし……素敵なお店を予約してあるのかな。

 ドレスコードなるものを纏った方が良いのだろうか……


「何悩んでるの?」 


「晴さん……その……着ていく服をですね……この以前買っていただいたお洒落なアフタヌーンドレスがいいのかなと……」


「ふふっ、そんなに堅苦しくなくていいけど……でもその服凄く似合うし可愛いから、それに合わせて私とお揃いのコーデにしよっか。おいで」


 鏡の前まで手を引かれ、私が座りやすいようにあなたは椅子を少し引いてくれた。

 軽く目元周りを施された後は、終わるまで目を瞑る。

 初めは恥ずかしくてずっと目を瞑っていたけれど……今はそれだけじゃなくて、開けた瞬間……鏡に映る私を見れば、まるで魔法にかけられたみたいな気持ちになれるから。

 

「ふふっ、可愛い。ねぇ、今日は雫も私にメイクしてくれる?」


「ふぇ!? む、無理ですよ?! わ、私なんかが……」


「お願い、ダメ?」


 …………そんなに可愛いお願いをされたら断れないじゃないですか。

 何もしなくても可愛いあなただから……どこをどうしようか悩んでしまう。

 どんなあなたも好きだけど、素顔のあなたが一番好き。もっと苦労するかと思ったのに、自然とお化粧は完成していた。

 

「ど、どうでしょうか?」


「…………雫にはどう見える?」


「あの……その…………笑いませんか?」


「うん、笑わない」


「…………わ、私好みの……その……素敵な顔です」


「凄く嬉しい。ねぇ……私、可愛い?」


「……世界で一番可愛いです。そ、その……仕上げをしますね──」


 何時もあなたがしてくれるお化粧の仕上げと同じ様に……優しくキスをして、世界一可愛いあなたが出来上がった。


 ◇  ◇  ◇  ◇  


「そろそろかな? 雫、外に出てよっか」


「はい……あ、あの……本当にポン助も連れて行っていいんでしょうか?」


 以前作ったタキシード風の衣装を纏いハーネスを装着したポン助。

 あなたは何も言わずただ優しく微笑むと、私のおでこにキスをして、優しく手を引いてくれた。

 

 玄関ドアを開けると、タイミングよく現れた一台の車。若葉マークが貼られたその運転席には……


「あ、彩ちゃん? 免許取ったの!?」


「ヘヘっ、コッソリ取ったんだ。初めて助手席に乗せるのは雫って決めてたから。さ、乗って乗って」


 妹の彩ちゃんが嬉しそうな顔で助手席のドアを開けてくれた。

 晴さんをチラッと見ると、少し拗ねながらも頷いてくれた。

 どこか嗅いだことのある……新車の匂い。

 ピカピカの車内。ハッピーバースデーと描かれたクッションと彩ちゃんの笑顔が私を出迎えてくれた。


「ふぇぇ……凄いですねぇ……新車ですか?」


「うん、パパに買ってもらったんだ。軽自動車でも良かったんだけど、家族皆んなで乗ると五人でしょ? だから普通車にしなさいってパパに言われてこれにしたの。カッコイイでしょ?」


「彩、寝る前に毎日お父さんと電話してるんだって。ふふっ、雫を私に取られちゃったからお父さん寂しいのかもね」 


 …………三年前の私にこのことを話したら、どんな反応をするだろうか。

 きっと、理解出来ずに固まってしまうだろう。

 私を取り巻く、大切な人たち。

 世界で一番可愛い人とお付き合いをし、更には母と妹ができた。

 お父さんが……お母さん以外の人に心を開いてくれた。

 ふふっ、信じられないよね?

 見上げれば眩しい程の冬晴に小さく手を振って、車は動き出した。


 ◇  ◇  ◇  ◇


《横浜市内 日向邸》


「雨谷さん、本当によかったんですか? 少し彩に甘過ぎる気が……」

「………十年以上、私は父として何一つ為せていませんでした。あの子達が……晴と彩が、私と雫に足りなかったものを、持たなければならなかったものを抱えきれない程持ってきてくれました。今更父親面をするのは滑稽だと理解しています。只どうにも……娘にいい格好をしたいというのは中々、馬鹿げた理由です。本当に……子育てに関して浅学菲才な限りです」


「…………雨谷さんが二十三歳の頃は、今の雨谷さんから見てどう映りますか?」

「大学を出て一年目でしょうか。思えば随分小生意気な青二才でしたね。二十三年しか生きていないのに……何を知った気になっていたのかと、他者から見れば随分と嘲笑者だったでしょう」


「そう、でしたら……こう置き換えてみてはどうですか? 私達はまだ人の親として二十三年しか生きていないんです。分からないことも沢山ありますし、子から教わることだって沢山あります。私達はまだ二十三歳なんです。ふふっ、まだまだ……これからですよ?」

「…………本当に、教わることが多いですね。子供たちが帰ってきましたよ」


「お邪魔しま……ふぇ!? ど、どうしてここにお父さんがいるの!?」


「おかえりなさい。ふふっ、雫さん言い方間違ってるよ?」

「……雫、おかえり」


「…………うん、ただいま」


 ◇  ◇  ◇  ◇


 リビングは可愛らしい飾り付けで彩られ、机の上には卒業式に撮った家族写真が美しい花と共に顔を覗かせていた。

 私の肩を抱き寄せて、少し俯向きながら晴さんは呟いた。


「女優として売れ始めた頃から……彩と母さんとは中々時間が合わなくなって、雫をここに連れて来るまでは結構ギクシャクしてたの。誕生日も仕事の人たちとか……同業者にもお祝いしてもらってたけど、何を祝ってるのか分からなかった。多分そこに意味が無かったからそれが凄く気味悪くて……あの日、一人で缶チューハイを飲んで酔っ払ってた。でもね、雫が買ってきたあの小さなケーキに蝋燭を立ててお祝いした時に……私の中で芽生えたの」


 あなたはそう言いながら、人目を憚らずおでこに口づけをしてくれた。 

 私なりの精一杯のお返しに、あなたの服の袖を強く握りしめる。


「何が……芽生えたんですか?」


「ふふっ、ここに沢山あるものだよ?」


 そう微笑みながら、私を抱き上げてくるくると回る。

 そのままお姫様抱っこをされ、真っ赤になった私の頬にキスをすると……鼻で笑う彩ちゃんが、沢山のお料理を持ってきた。

 

「雫、私とお母さんとパパの三人でご馳走を作ったよ。この料理も飾り付けも……パパも晴姉も、今の私も……みんなみんな、雫が連れてきてくれたんだよ。雫じゃなきゃ……雫だから、雫がみんなを笑顔にしてくれる。ありがと、雫。それから、二十三歳おめでとう。これからもよろしくね──」

 

 お皿を机に置くと、流れるように私の頬へ口づけをする彩ちゃん。

 少しはにかみながら指でピースサインを作るその姿がとても愛しかった。

 思わず目が丸くなってしまいあなたを見上げると……舌を出しながら彩ちゃんをいたずらっぽく睨んでいた。


「彩、私にもおめでとうは無いの?」


「ついでに晴姉もおめでと」


 私を間に挟みながら和気あいあいと姉妹喧嘩する二人。

 その心地良さに思わず頬が緩んでしまう。

 あなたの言っていた意味が、芽生えたものが、私を温かく包みこんでくれる。


「彩、早く準備しちゃいなさい。雫さんと晴は座ってて? 主役なんだから……はい、これ付けてて待っててね」


 お母様はハワイアンレイを私達の首にぶら下げてくれた。

 私の花はチューベローズ。晴さんの花はラナンキュラス。それはどちらも私達の誕生花。


「ふふっ、晴さんにピッタリの花ですね」


「雫のだってその通りだと思うよ?」


 チューベローズの花言葉は“清らかな心”。

 ラナンキュラスの花言葉は“晴れやかな魅力”。


 互いの花を見つめ合っていると、照明は消え……カーテンを開けたまま彩ちゃんがケーキを運んできた。


「先にご飯食べたいけど、これやんないと始まった感じしないでしょ?」 


「ふふっ、そうですね。カーテンは閉めないんですか?」


「ママも一緒がいいじゃん? ね、パパ」

「…………あぁ、そうだな」 


 六本立つ蝋燭が、涙で滲んでいく。


「人数分用意したんだし、せっかくだから一人ずつ吹いちゃおうよ」

 

 そう言って彩ちゃんは笑いながらいの一番に一本を吹き消した。

 お母様も楽しそうに吹き消し、彩ちゃんに催促されながらお父さんも吹き消した。

 絡まる指先を強めながら、ポン助を間に挟みあなたと吹き消す……四年目の蝋燭。


 そして一本余ったケーキ上の蝋燭。

 お母さんの……蝋燭。


「パパ、吹いて」

「…………いや、全員で吹こうか」


 あの日あなたと私の間で芽生えた一つの灯が、色や形を変えて私達を明るく照らしてくれている。

 ふふっ。二人だけで始まったお誕生日も、随分と……賑やかになりましたね。 

 あなたと寄り添いながら見るこの景色は、六色の灯が揺れる幸せの陽炎。

 皆で吹き消すと、照れくさそうに笑うお父さんの横……蝋燭の煙の向こう側では、そんな陽炎が見せてくれるお母さんの笑顔が寄り添っていた。

  

 お母様、彩ちゃん、出会ってくれてありがとう。

 晴さん、生まれて来てくれてありがとう。

 お父さん、育ててくれてありがとう。

 お母さん……生んでくれて、ありがとう。

 

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