第176話 仙人の千年、蜻蛉の一時、私達の一生
「ふむふむ…………晴さん、今日がアボカドの食べ頃なので夕飯はアボカドサラダと冷製パスタにしましょうか」
「ふふっ、ホント? 楽しみ楽しみ♪」
笑いながらお腹を擦るあなた。
いつまでも抱きしめたくなる幸せな日々に、私も微笑む毎日。
立ち上がろうと足に力を入れると、頭の中が重く回転するような感覚がし……視界が暗くなりその場に倒れ込んでしまった。
あなたの叫ぶ声が微かに聞こえ……気が付けば、寝室の天井を見上げていた。
「雫……? 大丈夫? 痛い所無い?」
「晴さん…………ふふっ、そんなに泣くとお化粧取れちゃいますよ?」
「もー…………すみれ先生呼ぼうか?」
「いえ、ただの立ち眩みだと思うのでそこまでしなくても── 」
私が上京する際お父さんに紹介された、町医者のすみれ先生。大学の近くに病院があり、娘さんが跡を継ぎ時間に自由があるすみれ先生は、電話一つで駆け付け往診してくれる。
机の角に頭をぶつけてしまい小さなたんこぶが出来た私を心配した晴さんがいの一番に電話をし、すみれ先生は十分足らずで駆け付けてくれ、笑われたのが初めての往診だった。
お母さんが大学生の時からお世話になっていた先生で、当時のお母さんと瓜二つだと優しく頭を撫でてくれた。
「でも……もし何かあったら…………」
「…………では、もう少しだけ隣で手を繋いでいただけますか?」
上京して五年。あなたと出会って二年と八ヶ月。
こうして振り返り、隣で繋がるあなたの手を見ると……まるで人生の大半を共に過ごしているような感覚になる。
「……日向さん」
「ふふっ……なぁに?」
初めてあなたを見た時……こんなに可愛い人がいるんだ……なんて、思ったんです。
名前を聞く前から……はしたなくも一目惚れをしてしまい、名前を聞いてからは運命を感じていた。
「……晴さん」
「ふふっ、はぁい?」
晴はお母さんだったのに……気が付けば、全てを抱えあなたは私の晴になってくれた。
「大好きです」
「もっともーっと大好き」
おでこ同士を擦り合わせ、あなたの胸の中で一眠り。あなたのお腹の鳴る音で目が覚めて、二人笑いながら抱き合った。
「ではご飯の支度をしますね」
「いいよ今日は。何か頼も?」
「いえ、あのアボカドは今日が食べ頃なんです。今はお月様の日なので貧血気味で立ち眩みがしてしまったのかと……それにアボカドは葉酸が含まれてますし、サラダに合わせる岩海苔も鉄分が── 」
四の五の言わせないあなたの口づけは、いつだって私を私にさせてくれる。
「じゃあ……一緒に作ろ?」
私の手を優しく取り、あなたは庭へ続くデッキの椅子に案内してくれた。
「ここで待っててね」
おでこにキスをしてもらい、ハサミをチョキチョキと鳴らしながらあなたはサンダルを履いた。
冷製パスタで使うミニトマトとバジルを収穫しこちらへ向かってくる最中……一匹のアキアカネがあなたの帽子に止まった。
犇めく東京というおまちに、物差しで使うにはズレを感じる七十二候。少しだけ気温の下がり始めた
靡く風、そのあなたの微笑みが……私の全てだと感じさせてくれる。
「見てみて、トンボ♪」
人差し指を立てあなたへ向けると、理由もわからずあなたは指を掴んだ。
「ふふっ。本当、可愛い蜻蛉さんですね」
私の言葉に頬を赤く染め照れ笑いをし、優しく唇が触れ合った。
綿雲に消えていったアキアカネ、あなたは目もくれず私だけを見つめていた。
「……蜻蛉に妬いてくれてるの?」
「…………初めて出会ったあの日、私の作ったお粥と御新香を食べたあなたの笑顔が……私を私たらしめてくれるんです。私の生き甲斐、私の全てなんです。私が隣にいる限り……あなたを笑わせる存在は私で在りたいんです。け、健康にも気をつけますし、今日みたいなことが起きないよう── 」
掴んだ人差し指を私の唇に当て、おでこにキスをされた。
「雫」と優しく名を呼ぶあなたの瞳は、嬉しくも恥ずかしい……私を好いてくれている色をしていた。
「じゃあ私は雫を毎日笑顔にさせる。そしたら……ふふっ。私達、ずっとずーっと笑顔でいられるよね」
あなたの声に、表情に、匂いに、その存在に微笑む私。それを見てまた微笑むあなた。
仙人の千年、
私達の一生は……絶えることのない笑顔で満ち溢れた、幸せな一生。
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