第141話 三千年草


 早咲きの桜と梅が咲き誇る庭。

 今日は日向家と雨谷家、それに栞と葵を呼んで我が家で花見をしている。

 ……前述の通り来訪した雨谷家の長は、腕を組み居心地悪そうな気を放ちながら紅茶を飲んでいる。

 

「雫パパ来るなんて珍しいね。厄災の前触れかな?」


「一度は断られたんですが……ふふっ、父も社交的になってきたのでしょうか?」


 彼女の言葉を聞いたお義父さんに何故か私が睨まれる。

 きっと、そんな理由ではないだろう。お義父さんが何かする時の理由はいつだって同じ。

 答え合わせをするように和風が私達の前を横切ると、思わず笑ってしまった。


「ふふっ、お義母様が理由なんでしょう?」


 お義父さんは一瞬目を見開き、含笑いを隠すよう空を見上げた。

 対する彼女は、見開いた大きな瞳が閉じることはなく……美しい長春色ちょうしゅんいろに滲んでいる。


「こんな所に来る気など更々無かったが……“墓守よりも子守”と発破をかけられてはな」


 一度駐車場へ戻り……大きな段ボール箱を幾つも持ってきたお義父さん。

 慣れた手付きで飾っていくそれは── 


「お父さん……それって私の雛人形?」


 花々咲き誇るかぐわしい木陰の下、綺羅びやかなお雛様達が顔を出す。

 

「にしても雫パパ手際良いね。毎年出してるのかな? でももう雛人形飾るっていう歳じゃないしなぁ」


「……親思う心にまさる親心。これは吉田松陰辞世の句だが…………幾つになっても、親にとって子とは変わらぬ存在なのだ」


 そう言いながら、真新しい段ボール箱から可愛らしい吊るし雛を三個出し、木々へ吊るしていく。


「幾つになっても……な」


 私と雫、それに彩をチラッと見て……照れ隠しに腕を組み空を見上げた父。

 駆け寄って抱きついた彩を邪険にすることはなく……不器用に頭を撫でたその姿と吊るし雛達が、春風に乗せられ優しく揺れていた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「シオちん見てみて、この写真めっちゃ映えてない?」


「映え? ババァだな葵……もう映えるなんて死語に近いんだけど」


「なっ!? っていうか同い年なんだからシオちんだってババァじゃん!!」


「あぁ? 私は可愛いからいいんだよ。雨谷さん、春っぽいポン酒持ってきて」


「雫ちゃん、私だって可愛いよね!?」


 酔っ払い二人に絡まれる彼女は何故か嬉しそうな顔をしていて……「少し待っていて下さいね」と微笑みながら家の中へ入っていった。

 暫くすると……カラカラという氷がぶつかり合う音と共に、母親から譲り受けた訪問着を身に纏った彼女が姿を現した。


「桜と梅の花を塩漬けにしたものです。お好みの量を入れてロックで召し上がって下さい。淡く可憐な桜は葵さん、強く美しい梅は栞さん。ふふっ、どちらも素敵な女性だと私は思いますよ?」


 百点を超えるその回答と笑顔に、流石の二人も魅入ってしまう。

 気が付けば、自然と彼女は輪の中心にいて……私の視線に気付き微笑み、名を呼ぶ景色は花鳥風月。

 堪らず強く抱きしめて……口を塞いで三拍子。軽やかなステップで踊る、春の円舞曲ワルツ

 酔っ払い達のズレた手拍子が、やけに心地良く感じた。 


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



 焼肉奉行の栞と葵が炭に火をつけている最中、その後ろで揺れる二つの木々を見つめ彼女は呟いた。


「梅と桜。いつか私も……あなたと此のような関係になりたいものです」


 淑やかに微笑むその理由が分からなくて口を開きかけたその瞬間、彩が私の袖を引っ張って耳元で囁いた。


「無学な晴姉に教えてあげる。梅と桜っていうのはね、美しく素敵なものが並んでいることの例えだよ。雫は謙虚の極みだからああ言ってるけど……ふふっ、花客かかくになってるのは……さてさて、どっちなんだろうね?」


 その微笑みはまるで彼女のように淑やかで……いつの間にか立派な花を咲かせていた妹に、背中を押された。


 梅も桜も、どちらも素敵な花だけど……

 私達に相応しい花を思い描き、思わず頬が緩む。


「ねぇ雫……せっかくなら、二人一緒のお花にならない?」


 彼女の肩を抱き寄せ、少し屈んで目線を合わせた。

 その先にある蕾を目にした彼女からは、幸せな吐息が漏れていた。


 彼女と出会って三年目。

 繚乱りょうらんの愛……ようやく実らせた果実は──


「酒が進むなぁヒナ。あー楽しい」

「ヒナちゃん雫ちゃん、お肉焼けたよー」


 愛しき友人と──


「雨谷さん、そんな隅にいないでこちらにどうです?」

「そうだよパパ、一緒に食べよ? あ、私が食べさせてあげよっか?」

「その言い方はやめなさい……」


 愛しき家族と──


「晴さん、あーん…………お味はどうですか?」


 愛しき恋人が寄り添ってくれるから……その実は甘々と、香ってゆく。


「ふふっ。美味しい」


 春待つ三千年草みちとせぐさ

 やがて美しき花を咲かすその先は……この恋を映し出すように、どこまでも甘い実を結ぶ。


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