第135話 千代の想い


「これは私が二歳の時ですね……縁側で父と── 」


 時刻は午後十一時五十分。

 ベッドの上で彼女の幼き頃の写真を眺めている。

 珠のように可愛い彼女に胸を鷲掴みにされてしまい……アルバムのページを捲る度に、彼女と甘く触れ合ってしまう。


 寝室にある鳩時計が知らせる一音。

 私達は同時に口を開いた。


「雫、誕生日おめでと」

「晴さん、お誕生日おめでとうございます」


 その言葉に吸い寄せられるように互いの唇が触れ合い、二十二歳最初の愛を抱きしめた。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 鳩が二回鳴く音が聞こえ、漸く我に返る私達。ふと彼女を見ると、艶やかに微笑みながら私の名前を呟いていた。

 優しく頭を撫でると、嬉しそうな顔をしながらその手に顔を擦り付けていて……ふと、考える。


「ねぇ雫……私が雫のお母さんと一緒の名前だって事……」


 その事実は彼女から直接聞いたわけじゃない。でも、この前彼女が母校で講話した時にその話題に触れていたし……私が知っている事を……彼女は知っている。

 彼女のことだから、私に黙っている筈は無いし……


「……クリスマスの日、母が夢の中で教えてくれたんです。晴さんは父から名前の事を聞いたと。ですからその……わずらわせてしまうかなと思い、晴さんにお伝えしなかったのですが……」


 生きていれば不思議な出来事なんて幾らでもあるのかもしれないけれど……いざ目の前でサラッと出てくると、一瞬思考が止まってしまう。


「……晴さん?」


 デリケートな話だから彼女の口から出る言葉だけを受け取ってきたけど……


「ねぇ雫……お母さんの事、もっと教えて?」


「は、はい! 母は── 」


 気を使っていたのは彼女も同じなのだろう。止めどなく溢れてくる言葉と想い出……こんなに嬉しそうに話す彼女もあまり見たことがない。

 少しだけ興奮している姿が堪らなく愛しくて、時折優しく頭を撫でる。

 鳩が四回鳴いた頃……お母さん、と呟きながら彼女は眠りについた。

 私も早く寝よう。

 今日は誕生日。いつも以上に、素敵な日になりそうだから──



 ◇  ◇  ◇  ◇



「来る前は連絡しろと何回言われれば分かるんだ……?」


「可愛い娘二人の誕生日ですよ? もう少し嬉しそうにしてみては?」


「……茶でも淹れてやる。適当に寛いでなさい」


 人里から山三つを越えた場所にある彼女の故郷。いつも通り玄関先で愚痴を聞きながら靴を脱ぐと…………香る、伽羅きゃら

 それは、彼女の母が好んでいたお香。

 調べたらとても希少で高価な物らしく、日常的に焚ける代物では無い。

 彼女も気が付いたようで、涙を流していた。

 お父さんとお母さんに祝ってもらえて良かったね、雫。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 居間に行くと、熱せられた湯呑に沸騰させたお茶を注ぐお義父さん。


「熱い方が美味い。今飲みなさい」


 娘の誕生日、妻と二人でコッソリ祝っていた事が余程恥ずかしかったのか、照れ隠しに無理難題。

 思わず笑ってしまう。


「ふふっ、じゃあお義父さんが飲んでみてくださいよ」


 そんな私達の掛け合いを見て笑う彼女。

 伽羅の香りが、優しく私達を包み込む。


「お父さん……晴さんと一緒にお母さんに会いたいの。ダメ……かな?」


「……好きにしなさい」



 中庭にある、小さな池に小さな鳥居。その隣には雨谷と書かれたお墓が存在する。

 

「雨谷家のみなし墓地ですが……母が亡くなった時に、中に入っていたものは全て父が他所へ移してしまいました。ですから、ここにはまだ母しかいないんです」


 線香の束に火を灯し、半分を私に渡し共に供え……艷っぽく微笑むその姿に、何度も心を奪われる。


「理由は分かりませんが、父はああ見えてロマンチストなので……ふふっ。母と素敵な約束をしているのかな、なんて最近は思ってます」


「…………やり方が正しかったのかどうかは懐疑的だけど、お義父さんも雫の事が大切なんだよね。愛する人と紡いだ命が……こんなにも愛々しく輝いてるんだから」


 肩を寄せ合うと、彼女は含羞はにかみながら微笑んだ。絡ませた指は、優しくて温かい。


 遠い先……いつの日か、二人揃ってそちらの世界へお邪魔します。

 その時は、どんな馴れ初めだったのか……どんな愛を語ったのか、教えてくれますか?その時のお義父さんの反応を見て……みんなで笑い合いたいですね。

 

「父はきっと、この中に入りたいんだと思います。いつか私達も…………同じ場所で眠れれば…………なんて、贅沢な事ですよね」


 彼女と付き合うと決めたあの日……悲しい気持ちにさせる事もあるだろうけれど、それ以上に笑わせようと思っていた。

 でもそれは可笑しな話で……こんなにも愛し愛されているんだから、余計な事で悲しい気持ちになんてなる必要もさせる必要も無い。


 幸せで……私で埋め尽くすって、誓ったんだから。

 

 ここへ来る道中、立ち寄った野原で彼女に内緒で作った花冠。

 優しく彼女へ被せると……愛らしく、紅く染まりながら、花開く。


「ふふっ、可愛い花嫁さんだ。意味……分かるよね?」


 少し震えながら唇を噛み締めた彼女は、一瞬お墓の方を向き……見えるはずのない誰かに頷いて、微笑んだ。


 辿れど続く、終わりの無い花の輪。

 それは永遠の愛を意味する……特別な誓い。


「健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も……める時も貧しい時もあなたを愛し敬い、慰め助け……この命が……ふふっ、あろうが無かろうが関係ありません。どの世でも、あなたに全てを捧げる事を誓います」


 繋がる唇、絡まる指先。

 辿れど続く……永遠の愛。

 

 誓いの口付けを交わすと、触れた花冠から落ちたノースポールが私達の鼻先で祝福していた。



 ◇  ◇  ◇  ◇


 

「この辺でいいかな?」


「はい。では始めましょうか」


 お墓から少しだけ離れた場所……スコップで地面を掘り、持ってきた苗木を優しく植えていく。

 これはお義母さんへ向けた、私達の供花くげ

 今はまだ小さな苗木だけど……いつの日か、決して無くなる事のない千代の想いと共に、美しい花を咲かせるだろう。


 私達が植えた小さな金柑の苗木。

 それは、私達の誕生花。

 花言葉は……想い出と感謝。

 二人寄り添い手を合わせると、優しくなびく風と共に漂ってくる伽羅の香り。

 彼女によく似たその微笑みに一つ涙をし……晴天せいてんを見上げて、私達も微笑んだ。

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