第114話 雀色時百千の恋


 今日はタンデムツーリングで遠出のデート。目的地なんて無い、私達らしいプチ旅行。

 前日に降った雨が富士山を鮮やかにメイクして、私達を出迎えてくれた。


「ふぇぇ……日向さん、桜エビというのぼりが沢山なびいてますよ。ふぇぇ……桜エビですか……」

 

 彼女は抱きつきながら私の服を摘んでいる。それは彼女も気づいていない彼女の癖で……いつも自分の意見をしまい込んでいる彼女の心の中の意思表示。


「お腹減ったし、せっかくだから食べよっか」


「ふふっ、楽しみですね」


 喜ぶ顔が見たいから知らない場所へ連れていきたいし、喜ぶことを知っているから口いっぱいに頬張って食べる。

 

 嬉しさから余計に食べ過ぎてしまい、近くの浜辺に座り込んだ。苦笑いする私を心配して涙目になる彼女。

 柔らかな膝の上を借りて、横になる。

 涙で滲む瞳、その背景で暮れゆく世界。

 波の音が、その境界線を少しずつぼかしていく。


「天が回るのか、地が回るのか……それさえも些細な事と思えてしまう程美しい景色なのに……ふふっ、駄目ですね私は。あなたの事しか考えられないんです。好きになるって……幸せなことですね」


 触れ合う指先の鼓動に、彼女を感じる。

 ……私が問うことの理由なんて本当はどうでもよくて、只々彼女がいるこの世界を感じていたい。


「綺麗だね……夕と夜が混ざってるこの景色は何て言うのかな」


 少し口を開いた彼女は……小さく首を横に振り、愛らしく微笑みながら私の肩にもたれ掛かってきた。


「そうですね……ふふっ、何て言えばいいんでしょうか」


 空の色とか地球が回ってる理由なんてどうでもよくて……

 私がいて彼女がいて、気が付けば空の色は変わっていき……気が付けば、世界は回っている。


 ◇  ◇  ◇  ◇

 

「寒くない?」


 海沿いを走る国道、すり抜ける浜風が私達を見送っていく。少しだけ身体を震わせた彼女は、私の言葉と同時に強く抱き付き、私の背中へとヘルメットを擦り寄せていた。

 暫くすると、星の煌めきを掻き消すように眩いホテル達が何件も見えてきた。

 あれって……そういうホテルなんだよね?

 立ち寄ると、どのホテルも青いランプが光っていた。どうやら空いているみたいだけど……


「ふぇぇ……ハイカラな建物ですね。休憩、三時間、フリータイム……宿でしょうか?」


 私の服の袖を握る彼女。

 その愛しい仕草が、いつもとは反対に私の背中を後押しする。

 私も初めてだからドキドキしてるけど、このドキドキは沢山の想いで淡く滲んでいる。


「この駐車場はカーテンが付いているんですね。これなら誰にも……」


 ヘルメットを外した瞬間、恋する匂いと共に柔らかな感触が唇に響いた。

 彼女の冷たい鼻先が触れると、それを優しく擦り付けて愛らしく微笑んでいる。


「ふふっ、暖かいです……」


 寒い季節なんて嫌いだったのに、いつの間にか好きになっていた。

 この温もりが、より強くなるから。

 この匂いが、より濃くなるから。


 女優なんて大層な仕事をしていたくせに……いくらでもそれっぽい言葉を知っているくせに、いざという時は何も言えなくなってしまう。


「……ふふっ、そうだね」


 精一杯の言葉を、精一杯の愛で抱きしめてくれる彼女は、私の手を優しくとって部屋まで連れて行ってくれた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「ふぇぇぇ……広いお風呂ですね……ふむふむ、岩盤浴……ベッドも大きいですねぇ……ふぇっ!? 日向さん!! このテレビはカラオケ機能が付いてますよ!! 初カラオケですね……こちらは何かのゲームでしょうか? 絵柄が並んでいますが……ふぇぇ……凄い宿ですね……」


 全ての反応が可愛すぎて何も言えない。

 私と彼女の新しい初めてを、只々目に焼き付けている。

 

「ルームサービス……日向さん、焼きそばかアイスクリームかお菓子が無料でいただけるみたいですよ。どうしましょう?」


「小腹も空いたし、焼きそば頼もっか」


「この電話で頼むのでしょうか…………もしもし、二号室の雨谷と申します── 」


 真面目な姿も好き。驚く顔も好き。

 電話越しにお辞儀している姿も大好き。

 大好きな好きが溢れて、止まらない。

 受話器を置いた彼女を、そのままベッドへと押し倒した。


「日向さん……?」 


「好き、大好き。止まらないの」


「……止めなくていいですよ。私に全て下さい。一つ残らず、余す所無く私のものにしちゃいますから」

  

 無邪気に笑うその顔に、百千ひゃくせんの恋をしている。


 彼女はいつだって、私が欲しい時に欲しいモノを与えてくれる。

 私にも、彼女しかしらないような仕草があるのだろうか……

 もしそうなら、少し恥ずかしいけど嬉しいな。


 おでこ同士をつけ見つめ合うと、自然と鼻先が触れ合った。その柔らかな温もりに、思わず擦り寄せる。


「暖かいね……」


「ふふっ……そうですね」


 私がいて彼女がいて、気が付けば世界は回っていて、気が付けば焼きそばが冷めている。私達は手を繋ぎながら、それを温める。ただ、それだけ。

 それだけで、私達は幸せ。

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