第77話 幸せの魔法


 季節が逆戻りしたような、少し肌寒い日。

 仕事が早く終わり昼過ぎには家についた。

 外はパラパラと雨が降っている。 


「ただいまー。寒いよー雫ちゃーん」


「ふふっ、おかえりなさい。お風呂いれてありますから、温まって下さいね」

 

「一緒に入ろ?」


「ふぇ?」



 ◇  ◇  ◇  ◇



「〜♪」


 仕事は早く終わり、肌寒い日に大好きな人とお風呂で温まる……

 自然と鼻歌が出るのも仕方がないよね。


 そんな私を見て、ニコニコと嬉しそうにしている彼女。

 湯船に浸かり、身体を密着させた。


「嬉しそうにしてどうしたの?」


「……去年日向さんのマンションのお風呂で言われたことを思い出してました。日向さんの生活の一部になれたんだなと思うと嬉しくて……」


 あの広いマンションに一人で住んでいたから…… “ただいま” も “おかえり” も言えなかったし言われなかった。

 本当はこうやって湯船に浸かるのが好きだけど、あの頃はゆっくりすると考え事が増えるだけで寂しかった。


 “どこにもいかないで。ずっと一緒にいて”


 言葉通り、一緒にいてくれたね。

 

「雫……ありがとね。これからも……ずっと一緒にいてくれる?」


「はい、嫌と言われても離れません」


 頬を重ねて、大切な日々を思い出す。

 キスをしようとして鼻先がぶつかり、なんだか可笑しくなって二人して笑う。

 幸せな時間。


「はぁ……寒かったから身体に沁みるね」


「ここ最近は花冷えですから……体調管理をしっかりとしないといけませんね」


 花冷え。

 私の知らない言葉を彼女はよく使う。

 彼女の想いを余すことなく受け止めたいのに……

 自分の知識の無さにうんざりしてしまう。


 そんな私の気持ちは彼女に届いてしまっているみたいで……

 優しく手を握り、私の肩に頭を寄せる。


「……さて、問題です。花冷えとは一体何でしょうか?」


「ふふっ、正解のご褒美は?」


「……ほっぺにキスします」


 照れているせいか、彼女は毛先を指でくるくると巻き付けている。

 好きすぎて思わずキスしそうになったけれど、せっかくのご褒美なので問題に集中する。


「んー…………花が咲く……違う……この時期だと桜かな? 桜の花が咲く頃に寒くなること?」


 頬に柔らかい感触。  

 揺れる瞳は正解でも不正解でもなく、私を求める色をしていた。

 そのまま抱き寄せて唇を重ね、逆上せるまで互いに夢中になっていた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 お風呂上がり、火照った身体を冷やすようにソファで寝転ぶ。

 彼女は外の景色を見つめ、タブレットで天気予報を見始めた。


 暫くして、彼女は私の手を取り微笑んだ。


「日向さん、屋根裏部屋へ行きましょう」



 我が家の屋根裏にはお洒落な部屋が隠れている。

 二階の天井の一部を外し、備え付けてある梯子をかけて行くその部屋は秘密基地のようで、時々二人で行ってはイチャついている。

  

「太陽の位置的に……うん、ここであってる……」


「ふふっ、どうしたの?」


「窓の外を見てて下さい」


 小雨模様、地表は明るく光照らされ薄くなった雲間からは陽の光が顔を出し始める。

 程なくして、私達の目線の先には大きな虹が現れた。


「わぁ……綺麗……どうして虹が出るって分かったの?」


「七十二候、虹始見と言いまして……」


 そう言いかけて、彼女は首を横に振った。

 私を見つめて優しく微笑むと、頬を重ねて肩を寄せ合った。


 雨粒が輝きキラキラと輝く街、それを見つめる彼女は何よりも眩しく見えた。


「……虹ってさ、なんで出来るんだろうね」


「虹は空気中の水滴が太陽光を反射して見える現象…………というのは建前でして……」


 そう言うと、彼女は照れながらも空を見つめて微笑んだ。

 

雨粒わたし陽光あなたが交わる時に出来る、幸せの魔法なんです」


 博識で現実的な捉え方をするのに、どこか詩的でロマンティック。

 その横顔が愛しくて、尊くて……口付けをして交わる。


「ねぇ、せっかくだから写真撮ろっか」


「ふふっ、いいですよ」


 長めのタイマーをセットして、彼女の元へ戻る。

 髪の毛を直している仕草が愛くるしくて、カメラを忘れてキスをした。



 撮れた写真を確認すると、思わず口元が緩んでしまう。


「ホントだ……ふふっ、幸せの魔法だね」

 

 幸せな顔をして交わる私達の隙間からは、小さな窓が淡く七色に彩づいていた。

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