第20話 根を張れる場所
彼女が原付の免許を取りに行ったので、私もついでに免許証の住所を書き換えた。
彼女と同じ住所が記されたソレを見る度に、ひっそりと心を躍らせている。
朝日が昇る。
今日も幸せな一日の始まり。
「おはようございます。今ちょうどパンが焼けたんですけど、食べてみますか?」
パンの焼けた良い匂いが漂っている。
私のマンションに置いてあった、使ったことのないオーブン。
慣れないタブレットで夜な夜なパンの作り方を調べていた彼女が堪らなく愛しかった。
朝一番のキス。
付け合せは……顔を紅くした彼女。
「おはよ、雫。顔洗ってくるから待ってて」
照れているのか、無言で頷いている。
恋人になったからどうとか、そんなんじゃなくて……
恋人になったからこそ、抱きしめたりキスをしたり……それが幸せな事なんだと思い知らされる。
全て彼女のおかげ。
疲れ切った顔を、冷水で正し直す。
リビングに戻ると机の上にはお手本のような料理が並んでいた。
焼き立てのパン、サラダ、スープ、フルーツの盛り合わせ……
全て私の為にしてくれる。
彼女だって大学の講義が毎日あるのに、いつだって優しく微笑んで私を癒やしてくれる。
堪らずソファに押し倒した。
「ひ、日向さん……?」
「名前で呼んで」
「で、でも……その……」
「今日大変な撮影があるんだけど……雫の一言で頑張れるから」
「…………晴さん……好きです。その……頑張りすぎないで下さい。ここ最近、無理して笑ってくれてますよね……? 疲れた時は疲れたと言って下さい。精一杯おもてなししまますから。私はこの家で待ってますので」
思いがけない言葉に、つい顔が紅くなってしまう。
彼女が頬にキスをしてくれて、照れてそのまま私の胸へと顔を埋めた。
「……ありがと、雫。大好きだよ」
「…………疲れてますか?」
「うん、疲れちゃった」
「よしよし……」
優しく頭を撫でられると、自然と涙が頬を伝った。
底無しの優しさに、全てを委ねる。
「大好きですよ。ずっと……ずっと想っていますから」
「うん……好き。大好き…………ちょっとだけ愚痴聞いてくれる?」
「……何回でも聞きます。ミルク、温め直してきますね」
小さな気遣いに、胸が温かくなる。
愛されているという安心感に、つい根を張ってしまう。
このままここにいられるのなら、どれ程幸せだろうか。
そんな私の心を見透かしてか、彼女が私の手を優しく握ってくれた。
「……今日は絶対に行かなければいけないんですか?」
「うん……主演女優だからね。私がいなくなると、数え切れない人に迷惑をかけちゃう。女優日向晴は私のものじゃないから」
空笑いをしてしまう。
仕事に全てを捧げてきたけれど……文字通り、全てを捧げたい人がいる。
私を求めている人達を、私は求めていない。
でも、今更辞めるなんて出来ない。
「……今日は日中温かくなるそうなので、夜は冷やし中華にしましょうか。日向さんの好きな胡麻ダレです」
「……ふふっ、楽しみ。なるべく早く帰れると良いなぁ」
彼女が私を見つめてくる。
なにか言いたげで……瞳が揺れている。
「どうしたの?」
「……愛してます、誰よりも── 」
言い終わるよりも早く、互いにキスをした。
幸せすぎる日々に、つい理想を求めすぎてしまう。
それ程までに、私は彼女を溺愛している。
「じゃ、行ってくるよ。雫も気をつけてね」
「はい、いってらっしゃい── 」
手の甲にキスを貰った。
その意味に、つい口元が緩んでしまう。
辛くなった時、私はきっと手の甲を見つめるだろう。
その度に、彼女の顔が私を駆け巡る。
曇り空、今日はどんな天気になるのだろうか。
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