絶対に明日死ぬ男。

絶対に明日死ぬ男

　マリク、という壮年の男がいた。

　魔王を倒したせいで、『明日必ず死ぬ』という呪いを受けた伝説の勇者。

　エルフの秘薬であるエリクサーも、聖女の解呪魔法も。

　魔王が己の生命、最期の力を全て費やして掛けたその強力な呪いは、どんな手段を用いても解くことが出来なかった。

　マリクは誰にも悟られないよう自前の転移魔法を使い、仲間たちの前から姿を消した。

　長年連れ添い、命を預け合った、仲間たちの辛（つら）そうな顔。

　己の命よりも大切な彼らが悲しむ姿を、どうしても見たくなかったのだ。

　マリクはせめて死ぬ前の思い出にと、単身でと（・）あ（・）る（・）地下遺跡にある“邪神の迷宮”に潜っていく。

　それは誰も最深部まで到達したことも、無事に脱出した者もいない伝説の最難関ダンジョンだった。

「――さて。この呪われた体で、何処までいけるのやら……楽しみだ」

　魔王に臨んだ時とは違い、その呟きに返してくれる仲間はいない。

　最低限の軽装備で独り黙々とモンスターを倒し、罠を潰し、飲食も寝ることも惜しんでひたすら奥へ奥へと進んでいくマリク。

　だがこんな状況でも、彼は笑っていた。

　冒険者なら誰しもが憧れる、邪神の迷宮の完全踏破。

　こんな中年になってから、幼き頃の夢に挑戦できるなんて。なにしろ、魔王討伐の旅をしていた頃は、生きて帰れるとは思っていなかったから。

　浮かれたマリクは、己の体に起きている異常に気付いていなかった。否、いつその身が果てようとも、彼は気にしていなかったのかもしれない。理由はともかく、彼はモンスターからどれだけダメージを喰らっても、みるみるうちに傷が塞がっていたのだ。聖女の回復も無いのに、である。

　ただ、ひたすらに突き進む。

　歩みを止めることなく。

　実はこの呪い。明日には必ずマリクの息の根を止めるが、裏を返せば明日まで何が起きようとも絶対に死ぬことができないという呪いだったのだ。

　体を木っ端微塵にされようが、骨まで溶かされようが、時間が巻き戻ったかのように再生する。

　これはなにも、魔王の優しさなどではない。自死すら認めないことで、確実に訪れる『死（明日）』に恐怖させるためだ。

　明日（未来）という希望の為に戦ってきた彼らを嘲笑う、実に魔王らしい呪いだった。

　そんな悪逆非道な魔王だったが、一つだけ予想外の事態が起きた。この“邪神の迷宮”ダンジョンの中は、地上と次元が異なるせいか、時間が経過しない。つまり、彼はこのダンジョンにいる限り『死なない』し『死ねない』のだ。

　そうして破壊と再生を繰り返しながら、マリクは遂に最深部に辿り着いた。

　意を決して分厚い鉄の扉を開ける。すると部屋の中には、醜悪なモンスターがマリクを待ち受けていた。

　おどろおどろしい紫色の巨躯を這いずるように動かし、体中にある口からはドロドロとした溶解液を吐き出す。いたるところから生えた無数の触手をウネウネと蠢かせ、マリクのことを挑発していた。

　それは魔王を打ち倒した勇者でさえ思わず慄くような、恐ろしい力を持った異界の神、邪神だった。

　だが、死を恐れぬマリクは逃げ出したりなどしない。いや、むしろこの状況を楽しんですらいた。

「いいね。コイツを倒したら、心置きなくあの世に行けるぜ」

　マリクと同じように決して折れず、錆びず、いつまでも強くあり続けた大剣（相棒）を右手に構え、心まで凍てつく雄叫びを放つ邪神へと果敢に挑む。

　初手（ファーストコンタクト）。マリクは邪神の触手を薙ぎ払い、代わりに自分の右手を吹き飛ばされた。

　――ははは、俺にはまだ左手があるぜ。

　無数にある目玉を、神速の突きで破壊していく。衝撃で左手が破裂した。

　――だったら、口で。

　今度は右足が喰われたが、引き換えに邪神の左脚を切断する。

　――ま、まだだ。

　……バランスを崩した拍子に、残る左足がやられた。

　しかしそれでも、マリクは絶対に諦めない。

　芋虫のように床を這う彼を、邪神が嘲笑う。

　――ククッ。クククク……ギャハハヒャハヒャハヒャ！！！！

　部屋の中で二重に響く笑い声。

　そう、嗤っていたのはマリクも同じだった。

　ここにはマトモな人間なんて、いない。存在するのは、闘争に狂う二つのモンスターのみ。

　民から勇者と尊敬され、気難しいエルフから友と呼ばれた。そして聖女からは――。

　誰からも愛されていた男とは思えない、邪神すらも後退るほどに狂った笑い声をあげるマリク。

　彼の状況は、誰がどう見ても最悪である。

　だが彼は今まで感じたことの無い、自身の奥底から湧いてくる奇妙な力を自覚していた。

　絶頂に近い快楽。

　英雄に登り詰めた時でさえ得なかった高揚感に今、彼は襲われていた。

　はた目から見れば、もはやどちらが化け物かも分からないだろう。

　失われたはずのマリクの四肢からはボコボコと肉が沸き立ち、あっという間に元の手足が生え揃った。そして狂った英雄が笑みを浮かべる。

「さぁ……もっと遊ぼうぜ、邪神サマよぉ……」

　最後の戦いが始まってから、どれだけの時間が経ったのだろう。尤も、地上では時間など経ってはいないが。どちらも異様な再生力を見せ、このまま戦闘は延々に続くとも思えたが――遂に変化が訪れた。

　バタリ、と地面に倒れ伏すマリク。力尽きたのか、もうピクリとも動かない。だが敗者は彼ではなかった――。

「は、はは……マジで勝っちまったよ。あの伝説の邪神に……」

　そう、邪神は討ち果たされ、前人未到だった“邪神の迷宮”はとうとう攻略された。それも、戦士としてピークを過ぎたはずの男の手によって。

「あの世でアイツらに自慢できるネタができたぜ。――ははっ。もう指一本動かせねぇや。あとはこのまま目を閉じて、眠るように逝きてぇなぁ」

　もはや思い残すことも無いのか、満足そうに地面で横たわるマリク。

　だが彼はダンジョン内で死ぬことは無い。

　そんなことは露知らず、マリクは重くなった瞼をゆっくりと下していく。

「――おい！　寝るなっ！」

「ん？　なんだ、あの世からのお迎えか？」

　突然、マリクの耳に誰かの声が入る。しかし眠りを妨げないでほしい。その声を無視して、再び最期の時を待つ。

「おい！　お前じゃ、お前っ！！　何を気持ち良さそうに寝てるのじゃあ～！」

「あぁ！？　なんだよ、せっかくの余韻が台無しじゃねぇか！　……って誰だお前！？」

　仕方なく目を開ける。するとそこには、艶やかな紫色の髪をした、背の小さな女の子が立っていた。

「誰だ……？　って、なぜこんなところに子どもが？？」

　不思議に思うマリクの台詞を聞いた少女は、小さな体を最大限に動かして抗議した。

「だぁれが子どもじゃ！　それになんてことをしてくれたんじゃお主！　妾の大事な守護神を倒しおって！！」

「……は？　守護神？」

　マリクは「そんな奴いたか？」と首を傾げる。この少女の言っていることがまるで理解できない。そもそも今まで、邪神と命懸けの戦いをしていたのだ。守護神なんて奴は一度も目にしていない。

「なにを惚（とぼ）けておるのじゃ！　守護神とは、お前がたった今まで殺り合っておったジェシーちゃんのことじゃ！」

「ジェシーちゃん？　……待て。それってもしかして、あの邪神のことか？」

　というか、もはやそいつしかいないだろう。

　いったい何を守護していたのかは知らないが。

「じゃから邪神じゃなくってジェシーちゃんなのじゃ！　あの子は妾の迷宮のダンジョンコアを守護する、可愛いペットじゃったのに！　それを！　お主はぁぁあっ！！」

「ダンジョンコア？　守護……？」

　彼女いわく、自分はこの迷宮の主なのだそうだ。そしてダンジョンを維持するためのコアを、モンスターの中に埋め込んで守っていたらしい。なんでもコアは生命体の中にないとエネルギーが枯渇し、すぐに消滅してしまうのだとか。

「つまりあのジェシーちゃんは、このダンジョンを守るのに必要なモンスターだったと。そしてアイツを倒した今、このダンジョンが崩壊の危機を迎えている。そういうことなのか？」

「そうなのじゃぁあ！！　はやく責任を取れ！！　このお馬鹿ジジイ！！」

「ジジイって……まだそんな歳じゃねぇぞ俺ァ」

　彼女の言い分は理解した。そしてこのままではマズイということも。

　一刻も早く新しい守護神を生み出さないと、少女もマリクもダンジョンに飲み込まれて消滅してしまう。“邪神の迷宮”改め“ジェシーの迷宮”の裏事情を知らなかったとはいえ、マリクの心にもさすがに罪悪感が湧いてきた。

「悪かったよ……ならそのダンジョンコア。ソイツを俺に埋め込んでくれ」

「当然じゃ！！　早くお主の中に埋め……えっ？」

　マリクの突然の申し出に、少女はポカンと口を開けた。そして焦ったようにマリクの胸元を両手で掴みだした。

「お主、頭は正気なのか？　脆弱な人間に神の産物であるコアを埋め込んだりなんかすれば、肉体はおろか、魂まで耐え切れずにその場で爆散するのじゃぞ？」

　さっきまでの強気な態度はどこへやら。今度はマリクを気遣う様子が垣間見えた。マリクはそんな彼女の頭を優しく撫でながら、笑いながらこう答えた。

「おう、俺はもうこの人生に満足したしな。それに今回のコレは俺が招いちまったんだろ？」

「じゃ、じゃが……」

「気にするなって。それに俺は『明日必ず死ぬ』っつう、タチの悪い呪いがあってな。どっちにしろ、残された命はもう少ないんだ」

「そ、そうだったのか。『明日必ず死ぬ』呪いとは難儀な……っておいっ！　まさかお主――」

「あぁ、もう時間がないんだろ！？」

　マリクは会話の途中で彼女からコアを奪い取ると、自身の心臓がある胸の上に押し当てた。

「うぐっ！？」

「ああっ、待てお主！！　ど、どどどうじようっ！？」

　自分ではないナニカに、己のすべてを塗り潰されるかのような感覚がマリクを襲う。

　慌てふためく少女に構う余裕などなく、彼の意識は朦朧としていく。

「あぁ、これで俺も終わりか。もし次の人生があったら、俺は――」

　仲間たちとの思い出を脳裏に浮かべながら、マリクの意識は途絶えた。

「――で、なんで俺はまだ生きているんだ？」

　マリクが再び目を覚まし、最初に口から出た言葉がコレであった。

　傍（かたわ）らでは、目元を真っ赤に腫らした紫髪の少女が心配そうに彼を見下ろしていた。

　上半身を起き上がらせて周囲を見渡すと、そこはすでに“邪神の迷宮”ではなくなっていた。その代わり、辺りには一面の草原が広がっていた。

「どうやら、俺はまた死ねなかったみたいだな」

「当たり前じゃ。ダンジョンコアはダンジョンそのもの。次元から切り離され、時の法則が変わる。お主、妾の説明を聞いておらんかったのか？　まさか『明日まで死ねない』呪いに掛かっておったなんて……今のお主、おそらく永遠に死ねない体になっとるぞ？」

「へぇ、死ねない体に……って、はあああっ！？」

　もう死んでもいいと思っていたのに、魔王の呪いとダンジョンの仕様で死ねなくなってしまうとは……。

「コアを埋め込んだことで、いわば歩くダンジョンになってしもうたし……これからどうするつもりなのじゃ？」

「歩くダンジョンって……どうするつったってもなぁ？」

　果たすべき使命も、夢も叶えてしまった。

　もはや思い残すことなんて何も……。

「あぁ、いや。そうだな……だったら、俺は――」

　仲間たちと、もう一度。

　平和になったこの世界で、自由気ままな旅がしたいんだ。

　気持ちの良い風が吹く草原で、屈託のない笑顔でそう語る元勇者。

　そんな少年みたいな彼を見た少女は――。

「そうか、なら妾もついていくぞ！」

「うげっ、どうしてだよ！？」

　コイツが傍にいたら、どう考えても面倒事が起きる未来しか見えない。

　しかし少女は頬っぺたをぷくーっと膨らませると、逃がすまいと彼の体に抱き着いた。

「妾はダンジョンのマスターじゃ！　ダンジョンであるお主が旅をするというのなら、マスターである妾がついていくのは当然であろう！？」

　普通なら主であるマスターに配下がお供するのでは？　湧いた疑問はこみ上げてくる笑いと共に押し殺しながら、マリクはニッと口角を上げて彼女の頭に右手を乗せた。

「あぁ、そういうことなら喜んで。それでは俺のマスター。空を舞う自由な風のように、広がる大地のようにどこまでも。俺と共に、悠久なる旅に出掛けよう！」

「おう、なのじゃ！」

　こうして『訪れることのない明日に必ず死ぬ』元勇者と、やかましいダンジョンマスターの新たな人生の旅路が今、始まるのであった――。