61 エピローグ 4

 テレーシアからもたらされる祝いの言葉。


 魔導学院の特進クラス。異例の六人目となる話を。


「あら……お話を知っていたのですか?」


 私もハーニッシュ先生より、一昨日この話をされたばかりだ。テレーシアは学院に来ていなかったのに、どうやら既に耳にしたようだ。


 テレーシアは王に近いから、確かに聞いていてもおかしくはない。


 トールとギルベルトは、そんなテレーシアの話に驚いてはいない。トールには今日話すつもりだったのに、彼もまた知っていたようだ。


「父さん経由で、僕の耳にも入ってきた。今回の功績として、過去の伝統を何もかも捻じ曲げて、僕らの教室に君を迎え入れるってね」


「俺もさっきテレーシアから聞いた。ま、当然だな。何せ魔王ををねじ伏せるほどの力だ。文句が出るようなら、俺が代わりに手袋でも投げてやるよ」


 学院の上から三人が、自らの教室に来る話を祝福してくれている。


 嬉しいことだ。彼ら三人とも、私は好きだ。そんな彼らと同じ教室で学べるのは、どれだけ楽しいことだろう。


 そうならないことに、少し寂しく思った。


「そのお話ですが、辞退させてもらうつもりです」


「えっ!」


「へ?」


「はっ!?」


 三人一様の驚き方を見せてくれる。


「そもそも今回私が使った魔法は、肉体の強化、保護、そして苦痛を克服する魔法だけ。そこそこの物だという自負はありますが、どれも汎用化には至っていません」


 魔法の術式にも色々とある。理論的に汎用化されたものから、感覚をなによりも大事にする一代限りで終わってしまうようなものまで。肉体強化は良い所まで研究が進んでいるのだが、保護はまだまださっぱりだ。脳内麻薬の分泌はそれこそ感覚に頼りすぎて、一代限りで終わってしまいそうである。


「学院が求めているのは、独占ではなく汎用化。一番求められてそうなのは感覚便り。一般学院生としての環境も持て余しているんです。特待生として例外的に迎えてもらえたところで、期待だけが重くのしかかってくるだけですよ」


 私らしさを期待されて応えるのはよくても、こういった期待はダメだ。正直重さで潰れてしまう。


「折角の話じゃないか。誰よりも努力を大事にする君にしては弱気な言葉だ」


 私が来ることを誰よりも喜んでくれたであろう親友は、今にも肩を落としそう。


「努力をする環境に、看板の大きさは関係ないわよ。身の丈に合わない服を着た所で、今より得られるのは大きな拍手だけ。やれることが微々たるものしか変わらないなら、伸び伸びとできる環境を選ばしてもらうわ」


「凄いなラインフェルトは。そこまで物事を割り切って考えられる奴なんて、そうはいないぞ」


 ギルベルトは素直に感心している。


 一方、そんな隣でテレーシアが大きなため息をついていた。


「全く、貴女という人は……伯父様が頑張って貴女のために考えた、邪魔にならない褒美だと言うのに。貴女のことだから、城に呼ばれても困るだけだろうと思った、伯父様なりの気遣いなのですよ?」


「では、代わりに謝ってもらえませんか? 前と同じで、功績はラインフェルトの物として扱って欲しいと」


「伯父様はこうも言ってらしたわ。もしこれを断られ、また同じようなことを言われようものなら、爵位を一つ上げるしかなくなるって」


 爵位が一つ上がる。


 子爵家である我が家が、伯爵家となるわけか。


 とても素晴らしい褒美であるが、これはこれで困る。


「止めるよう説得してください。いくら相手が魔王とはいえ、入れ物はアーレンスさんなのですよ。あの日のアーレンスさんの身体の有様は、聖騎士団から世に出回っています」


「ボロ雑巾でももうちょっと綺麗だったろうな」


 そのボロ雑巾以下になったのが自分の身体だというのに、ギルベルトはおかしそうだ。


 主にマルティナによって、あの時のギルベルトの身体の有様を、積極的に世間へ吹聴されている。可愛い顔してやることのえげつなさに、貴族社会ではその話題で持ちきり。お父様は日々肩身の狭い思いをしてらっしゃる。


「娘がただでさえあんなことをしでかしたのです。その結果で爵位が上がろうものなら、お父様の胃に穴が空いてしまいます」


「そう言われると、とんでもない話ですわね。……わかりましたわ、今回の件はわたくしに責任があります。貴女を困らせないよう、伯父様との折衝役は任されました」


 大役を仰せつかったとばかりのテレーシアは、誇らしげに胸を張る。


 一ヶ月前と比べて、信じられないくらいの変わりよう。私を忌々しく思うテレーシアは、やっぱり帰ってこないようだ。


 よく考えれば、これが当時私が目指したもの。私を憎いと思い続けてきた彼女を、私の愛へ落とすのだ。その高低差こそ達成感の満足度に繋がる。


 ついに私とテレーシアの関係は次の段階へと進んだ。ただし彼女はもう、ギルベルトの物になってしまった。これ以上のステップアップは無理だろうし、横恋慕のような真似はするつもりはない。


 諦めよう。彼女との恋はもう終わった。


 しばらくは未練たらしく遠巻きで、彼女たちの幸せを願おうか。


「本当、貴女にはどんな贈り物をしたらいいか困ってしまいますわ」


「仕方ないことだよ。なにせクリスへの贈り物は、ラインフェルト家でも一番難しい問題らしい」


「父さんも礼がしたいってさ。ラインフェルトの家で頭を地面に付けたいが、いきなり押しかけても迷惑なるからな。そこは自重しているよ」


 その通りだ。我が家にいきなり英雄が現れようものなら騒ぎになる。それで土下座をされようものなら、お父様の心労がまた一つ増えてしまう。


「ひとまずは何を贈ればいいか、偵察してこいってさ」


「それなら、魔王を倒した剣に名前でも書いて贈ってください。『魔王を討ちし剣。英雄オスヴァルト・アーレンスより、ライフェルトへこれを贈る』という具合に。そしたら屋敷のどこかに飾っておきます」


「了解だ。そう伝えておくよ」


 おかしそうにギルベルトは了承する。


 ギルベルトも本当に私がそれを欲しがっているとも思っていないだろう。彼は諦めよく、とんでもない要求を持ち帰ることに決めたようだ。


 何せあの剣は、平和をもたらした証として城に飾られている。一種の国宝だ。そんな願い気軽に叶えられる訳がない。


 後になんでこんな軽口を叩いてしまったのかと後悔するが、それはまた別の話である。


「ギルベルトさんは簡単に決まって羨ましいですわ。トールヴァルトさん、何か良い案はありませんか?」


「クリスに何か贈りたいなら、美味しい物を与えておけばいい」


「頼りになりませんわね。猫に餌付けする訳ではないのですよ」


「母さんと同じことを言わないでくれ。これでも僕は、贈り物でクリスを一番喜ばしている自信があるんだ」


 冗談っぽく、かつ本気でトールはテレーシアにそう言った。悪いが僕が一番だ、と言わんばかりだ。


「ミス・ラインフェルトには、何か望みはないのですか? 伯父様だけではなく、わたくしができることであるのなら、何でも願いを聞くつもりですよ」


「望みと言われても――ん? 今、何でも、と言いましたか?」


 気軽に吐いてはならないような言葉が、テレーシアからもたらされたような気がした。


「ええ、何でもです。ここで貴女が椅子になれと言うのなら、喜んで椅子になりますわ」


 さあ、望みを言えどんと来い、とばかりなテレーシア。


 椅子だというのなら、むしろ私の方が椅子になりたいが……いや、大事なところはそこではない。あのテレーシアが私のために喜んで何でもすると言ったのだ。


 じゃあその身体、今晩にでも喜んで差し出してもらおう。


 やったー、ついに私の夢は叶うのだ!


「では、テレーシアさん。是非貴女にお願いしたいことがあります」


「あら、本当にわたくしに叶えられるお願いがありましたの? 直接御恩を返せるのなら嬉しいですわ」


「これは私の一番の願いです。

 ――テレーシアさん、どうか私のことを、名前で呼んでもらえませんか?」


 なんて……彼女の恋や愛を捻じ曲げてまで、そんな願いは叶えたくはない。


 私は決めたのだ。彼女たちの幸せを願うと。でもせめて、恋や愛はなくてもその隣にはこれからもいたい。


 違う形での、彼女の一番として。


「名前を……?」


「私はテレーシアさんのことが大好きです。今よりもっと、貴女と仲良くなりたかった。それこそアデリナ様とヒルデ様のお二人方のように」


 本当はその先に進みたかったが、仕方ない。この辺りで妥協しよう。


「だからその新しい一歩として、まずはクリスと貴女に呼んでもらいたい。私が誰かに乞うほどの願いがあるのなら、これが今一番の願いです」


 真っ直ぐと私は彼女の目を見据える。


 そんな私の目から逃げるように、テレーシアはパッとその顔を俯かせた。


「国が貴女のために、何でも願いを聞くと言っているのですよ。それなのに貴女は特進クラスへ編入するのでもなく、爵位を求めるのでもなく、その全てをいらないと言って一番叶えて欲しい願いが、わたくしに名前で呼んでもらいたい? どこまで貴女は、わたくしを呆れさせるのですか」


 再び上げられた顔は、恥じらいを帯びながらも、あの時よりももっともっと美しく、眩しいものだった。


「本当、貴女には敵いませんわ、クリスさん」

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