悪役令嬢との恋に、この英雄の息子は邪魔である

二上圭@じたこよ発売中

00 プロローグ

 クリスティーナ・フォン・ラインフェルト。


 蝶よ花よと大切に育てられた、お人形のように愛らしい子爵令嬢である。


 いずれは名家へ嫁ぐ日が来てしまうだろう。彼女を取り巻く誰もが、いずれは自分の手から離れてしまうその寂しさと、幸せな家庭を築くだろうその未来に胸を膨らませながら、その成長を見守っていた。


 同時に、黒絹のように美しい髪と共に母より受け継いだ、病弱なその身体。クリスティーナが生まれ一年後にこの世を去ってしまった母親を重ねてしまい、そればかりが誰もが覚える気がかりであった。


 だが、そんな不安を他所にクリスティーナは病弱を克服し、健やかな成長という形で周りの願いに応えたのだ。


 そう……奇特な結果を持って、期待に応えすぎたのである。


 同年代が貴族の嗜みとして剣術を学ぶ中、クリスティーナは己の肉体を武器とした格闘術を磨いていた。


 周囲が炎を生み出し、水を支配し、風を操っている中、クリスティーナは殴り、蹴り、投げ飛ばす術をより凶悪にさせる魔法だけを極めていた。


 百歩譲って、同じ貴族でも男がこのような道へ辿り着いたのなら誰もが納得できよう。


 しかし子爵令嬢。それも可憐で、愛らしく、そして麗しいクリスティーナが何故このような道へ至ってしまったのか。


 彼女を育てた周りも気づけばこの通りであり、どこが分岐点だったのかはわからない。


 わかるのはクリスティーナただ一人。


 子爵令嬢としてわかりやすい未来から逸れた分水嶺は九年前。


 そう。私がクリスティーナとして目覚めたのは、六歳の時である。


 それを戻ったと言えばいいのかはわからない。


 前世の記憶に目覚め、クリスティーナとしての記憶に混ざりあったのだ。


 自我はどちらよりかと問われれば、当然二十年分の記憶である。


 生前の私は、男でありいわゆる格闘技オタクだった。


 あらゆる格闘技の知識を蓄え、実践し、日々身体を鍛え続けた大学生。


 一つの格闘技を極めるのではなく、自身の武術体系を作り上げようと青春の全てを傾けていた。


 なぜか。


 ハゲ、チビ、ブサイク。


 その全てを兼ね備えながら、ワキガまで発症していた。


 彼女どころか友人一人できやしない。


 中学に上がった時は、何かが変わるのではないかと期待したものだが、


「あいつって顔がセクハラよね」


 一日目にして、心が折れた。


 陰口のつもりだったろうが、しっかりこの耳に届いていた。


 一つの世界にだけのめり込む十分すぎるこの境遇。それが趣味であった格闘技である。


 本格的に格闘技をやろうというつもりは最初から頭にない。なぜなら、集団の中に身を置かなければならないのだ。


 人間不信を極めていた私が、そんな危険を犯す度胸などあるわけがなかった。


 活用する場所などどこにもなく。


 試す機会すらも一度もない。


 これからの人生に役に立たない格闘術。


 文字通り私は、自己満足のためだけに己を磨いてきた。


 全ては無駄なこととは言わない。鍛えられた身体は健康的であり、ムキムキではあったのだ。それでもハゲ、チビ、ブサイクは治らない。むしろイカツクなり、ワキガの猛威が増した分、より人を寄せ付けなくなった。


 どれだけの人混みにその身を置こうとも、人混みの海は割れ、道ができる。モーゼの奇跡の再現だった。むしろ手を挙げなくても勝手に道ができる分、モーゼに勝っているかもしれない。


 しかし奇跡には代償がつきものだ。


 『野生のオークが現れた!』と盗撮動画をアップロードされ、一躍有名人になるほど流行した。どれだけ通報し、元の動画が消えたところで流行った事実はなくならない。むしろ面白おかしい編集動画が日毎に増していき、すっかり私はネットの玩具となっていたのだ。 


 奇跡を起こし通報する毎日を送っていたそんなある日、私は銀行強盗に出会った。


 今まで一度たりとも人に振るうことのなかったこの拳。


 大義名分を得た今、この格闘術を発揮するチャンスなのではないか?


 そう思った私は、二人の銀行強盗に立ち向かい、あっさりと強盗に刺されてしまった。


 銃を持った強盗を制圧できたまでは良かったのだが、うん、どれだけ身体を鍛えようがナイフには勝てない。


 実戦経験不足を思い知りながら、私は意識を手放し、誰にも惜しまれることなく生涯を遂げ、次の瞬間には可憐な幼女へと変わっていたのである。

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