第4話

 内線電話の音がする。


ことりちゃんだな。表示からことりちゃんの部屋だと分かった。


「はい、店長です。どうかしましたか?」


「お客様、お上がりです。店長、お客様が店長と話したいって言ってます」


クレームか……


「わかりました。事務所までお連れしてください」


あいつ、充希か。ことりちゃんが初めてで不慣れだって説明しなかったな。


俺は、クレーム処理フォーマットにのっとって対応するまでだ。大概、上がった後にクレーム付けてくる奴は金がらみだ。やる事やってから気にいらなかったとかいう奴が年に一人ぐらいは現れる。


「失礼しますよ」


ことりちゃんが連れてきた男は50代後半の白髪交じりの頭髪をオールバックにし、小奇麗なブラックスーツを身にまとったスマートな印象を受ける紳士だった。


俺は事務所のソファーに紳士を座らせて、紳士の座るソファーの後ろで不安げに俺を見ることりちゃんから視線を移し、


「ことりが何か」


「いやいや、そう言うことでは無くて、あなたに用事があるんですよ」


「私にですか?」


「覚えていますか? 佐藤君。私は忘れた事は一日もありませんでしたよ」


俺を見つめて、眉間にしわを寄せ少し俯いた紳士に、


「すいません、物覚えが悪くて」


何故かは、知らないが習慣で謝った。


「それも、仕方がない事でしょうね。あなたは、一日も学校に来なかったんですから」


俺は、その言葉で思い出した。脳の奥からその時の光景がよみがえった。


「先生ですか? 満島先生……ですね」


毎夕、俺の家に宿題を届けてくれていた先生がいた。ずっと、ずっと前の事、16年前の事。俺が一度も登校しなかった小学校六年生の時の担任の満島先生。


先生は、雨の日も、風の日も、台風の日も、雷の日も、雪の日も、暑い日も、寒い日も、一日も休まず宿題を届け続けて、俺に手渡してくれていた。そして、一回も学校へ来いとは言わなかった。ただ、


「いつでもいいですよ。遊びたくなったら、ふらっと来てみてください。僕はいつまでも待っていますからね」


そう言って、笑顔で宿題を俺に手渡すといつも帰って行った。


でも、俺は、先生の希望に答える事はなかった。


どの程度、その言葉を真剣に受け止めていたかすら、今となっては定かではないが、間違いなく俺はその後、学校へ行く事は無かった。


「思い出してくれましたか。嬉しいですね。

佐藤君もお忙しそうなので、手短にお話ししたいのですがお時間はよろしいでしょうか?」


先生はそう言って少し笑みをこぼして、


「僕は今、そこの小学校で校長をしているんですよ」


「ああ、そうなんですか」


「それでね、僕の最後のお願いをしたくてね。図々しいとは思ったんですが、こうして押しかけてしまいました」


「はい」


先生は、俺をまっすぐに見て、


「佐藤君、学校に来ませんか? 君の無くした小学六年生を始めませんか?」


何を言いだすんだ、先生。


「僕の、君と僕の無くした一年を取り戻しませんか? 僕は今度の一年で定年になるんです。僕の為に学校に来てくれませんか? 一緒に六年生をやりましょう。お願いします」


先生はソファから立ち上がり、正面に座る俺に深々と頭を下げている。


「先生、先生、やめてください。そんな事。俺はこの通りの大人ですよ。小学校なんて通えるわけないじゃないですか」


「それは、大丈夫ですよ。僕は校長なんですから、そんな事はたやすいです。安心してください。僕の唯一の心残りは君の事なのです。なぜ、あの時、学校に来るように言わなかったのか、もっと、ちゃんと話をしなかったのか、日々、後悔しています。僕の教師人生は次の一年間で終わるのです。だから、あなたには悪いと思いますが、僕のわがままを通させてください。お願いします、佐藤君4/6が始業式です。学校に来てください」


先生がまたしても俺の前で頭を下げた。

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