キサラギジャック

川住河住

第1話 『共犯者求ム』

 高校に入学して一週間。

 そろそろアルバイトを始めようと思って校内の掲示板を見にきたら、ひどく悪目立ちした求人募集のチラシがあった。




『共犯者求ム』




「なんだこれ?」

 どこの誰が貼ったのか知らないが、校則が厳しいこの学校でこんなことをしたらどうなるかわかっているのだろうか。

「ねぇ、悪に手を染める覚悟はある?」

 急に声をかけられて驚いた。

 おそるおそる振り返るとそこには、小柄な女の子が立っていた。

 学校指定の黒いセーラー服に朱色のスカーフを巻き、襟元には真っ赤なもみじを模した校章バッジが付いている。肩まで伸びた髪は癖があるのか毛先が少しはねているけれど、金色や茶色に染められていない。スカート丈もひざ下で問題なさそうだ。

 しかし、その口ぶりからするとこのチラシを貼ったのは彼女なのだろう。

「急にごめんね。私、一年三組の神代朝日かみしろあさひ。あなた、同じクラスの人だよね?」

「あ、うん。僕は真木野和輝まきのかずき……」

「真木野くん。ここにいるってことは部活動か、アルバイトを探してる?」

「同級生だから呼び捨てでいいよ。うん、ちょっとアルバイトをしようと思って。でも、求人情報誌だとあんまりないんだよね。それで校内の掲示板にも求人があると聞いたから」

「わかるー。この街は田舎だから高校生の求人って少ないんだよね。時給もすごく安いし」

「ところで神代さん。これを貼ったのって……」

「神代でいいよ。そう、私だよ。ねぇ、上手く書けてると思わない?」

 神代は、掲示板に貼られた共犯者募集のチラシをはがしてこちらに見せてくる。

「えーと、なんというか、黒くて太くて大きくて……勢いがある、かな」

「そうでしょ? そう思うでしょ? だから、悪に手を染める覚悟はある?」

「……知らないみたいだから教えるけど、秋功学園しゅうこうがくえんって校則が厳しいんだよ。去年卒業した姉が言ってた。許可なく掲示板にチラシを貼ったことがバレたら停学になってもおかしくない」

「知ってるよ。私のお母さんと……お父さんはこの学校の出身だから」

 神代は、うつむきながら弱々しい声で言った。

 その危険性を知っているのに、なぜこんなことをしているんだろう。

「私のことを、いきなり変なこと言い出すおかしい奴だって思ってるでしょ?」

 神代は真剣な表情でこちらを見ている。

 僕は無言という形で返事する。

「そう思って当然だよ。だけど、話だけでもいいから聞いてほしい。ダメかな?」

 その瞬間、神代の目つきが変わった。その鋭い視線からは強い覚悟や意志が感じられた。

 また、はっきりとした口調で告げる声からは、なぜか必死さが伝わってきた。

「まあ、話を聞くだけでいいなら……」

「本当? ありがとう。じゃあ、ここじゃなくて教室に行こっか」




 一年三組の教室には幸い誰もいなかった。僕と神代は黒板の前に並んで立つ。

 彼女は白いチョークを持ち、大きな文字で『秋葉市あきはし』と黒板に書いた。

「真木野は、この街でなにが起こっているのか知ってる?」

「ここ最近、秋葉市内で犯罪や事故が多くなったよね。酒に酔った人が駅前で暴れたり自動車の運転手が人をはねる事故を起こしたりしているけど……そういうこと?」

「うん、そういうこと。じゃあ、それらの犯罪や事故の原因がなにかわかる?」

「それは、酒に酔ったからとかスピードを出しすぎたからじゃないの?」

 僕の答えを聞いてすぐに神代は首を横に振る。それから赤いチョークで黒板に書きだす。

 太く大きく【魔】という一字を。

「魔が刺したから」

「魔が……刺した……?」

「ここ最近の事件や事故のほとんどは魔が刺したせい。普通の人には見えないけど、この世には魔という化物がいるんだよ。そいつらが人間の【悪玉あくだま】を刺したせいなんだよ」

 僕は顔をしかめる。話だけなら聞くつもりだったが、こんなふざけた内容とは思わなかった。

「また変なことを言ってると思ってるでしょ。でも、信じてほしい。この街は今、危険なの。このままだと犯罪はもっと起きるし、化物もどんどん増えていくし、今より大変なことになる」

 化物だか怪物だか知らないが、漫画やアニメの世界じゃあるまいし、現実世界にそんなものがいるとは思えない。しかし、彼女の真剣な眼差しと必死な口ぶりからは嘘が一切感じられない。

「私の家は、昔から秋葉市を守る特別な仕事を担ってる。だから私は化物が見えるし、化物を倒すための特殊な力も持っている。でも、この力は誰かと手をつないでないと使えないの」

 神代の話は、どんどん現実味を失っていく。それでも、嘘をついているようには見えない。むしろ彼女の話がすべて事実だと思えてくるから不思議だ。

「そのために貼り紙を貼ってみたんだけど、いろんな人に何度も破られちゃった。でも、あなただけは違った。ずっと眺めていたよね?」

「あの、神代。僕はただの人間だよ? 特殊な能力なんて持ってないよ?」

「大丈夫。どんなに強い化物が相手でも私が倒すから。真木野は手を貸してくれるだけでいい。私のそばにいて手を握ってるだけでいい。だからお願い。悪に手を染める覚悟はある?」

 神代は僕に手を差し出している。

 握手を求められているのは見ればわかる。

 しかし、一つだけわからないことがある。

「もしも本当に特殊な能力があるというのなら今この場で見せてくれる?」

 この話が嘘とは思っていない。

 だからといって、神代の話を全て信じるというのもまた違う。

「ごめん……。それはできない。さっきも言ったけど、私の力は誰かと手をつないだ状態でないと能力が使えないの。だけど、もしあなたが【悪手】してくれるなら……」

「その仕事というのは化物に殺される危険性もあるんだよね? 僕もこの街が好きだから守りたいし手を貸したい気持ちはある。でも、さすがに命はかけられないよ……」

「だ、大丈夫。私が倒すから。絶対に、倒すから。だから、お願いできない……かな?」

 神代の声と手足が震えている。残念ながらその言葉を信じることはできない。

 その時、セーラー服の袖口からのぞく彼女の手首が見えた。

 そこには真っ黒なあざが一周していた。もう片方の手首にもまったく同じものがある。

「その手首どうしたの? 大丈夫?」

 神代は差し出していた手をすぐに引っ込めて教室から出ていってしまう。

「どうしてあんなこと言っちゃうかなぁ……」

 一人でいると悩みすぎてしまうのが僕の悪い癖だ。

 どんなことでも悲観的に考えてしまい、どんどん気分が落ち込んでいく。

 思えば祖父が亡くなった時もそうだ。

 どうして死んだのか、なぜ死ななければならなかったのか、と考えても仕方ないことで悩み続けた。

 そして未だに悩み続けているからどうしようもない。

 右目から涙が出そうだったので両手で顔を叩く。

 遠くで警察のパトカーのサイレンが聞こえてくる。またどこかで事件か事故が起きたのだ。

 今までは月に数回聞く程度だったのに、最近は毎日のように昼も夜も鳴り響いている。

「この街で悪事が起こっているのは……すべて化物のせいだよ」

 サイレンの音が神代朝日の声と錯覚する。

 同級生の女の子から「いっしょに街を守ってほしい」と頼まれる。アニメや漫画のような話だ。

 小学生の頃なら信じたかもしれないが、僕はもう高校生だから苦笑するしかない。けれど、あれが嘘とも思えない。明日もう少しだけ話を聞いてみようか。それに、黒いあざのことも気になる。

「おっ! 真木野! なにしてんだ? 逮捕していいか?」

 その直後、自転車が急ブレーキをかけた音がすぐそばで聞こえる。

 現れたのは、秋葉駅前の交番に勤務する横田よこただった。

「なんでなにもしてないのに逮捕されなきゃいけないんだよ……」

 昨年の春に赴任したばかりの頃、不良に絡まれていたところを助けてもらったことをきっかけに知り合った。それから街中で会うたびにこうして声をかけてくれる。最初は『横田さん』と呼んでいたのに、今ではあだ名で呼ぶようになっている。

「よっさんこそなにしてんの? サボり?」

「バカか。さっきのサイレン聞こえなかったのか? 事件だよ事件。現場に向かうんだ」

「よっさんは刑事じゃなくて交番勤務のおまわりさんでしょ? なにすんの?」

「バカか。おまわりさんと呼ぶな。よっさんと呼べ。交番勤務も手伝うことがあんだよ」

 横田は疲れた顔で笑う。




 三月の終わり頃、同じ交番勤務の上司が秋葉市内の河川敷で暴行されたうえ殺されるという事件が起きている。

 犯人はまだ捕まっていない。横田は口には出さないが、その犯人を見つけようと必死なのではないか。

「しかし、この一年で0番街も変わったよなぁ。事件や事故がほとんど起きない街だったのに、最近は何件も起きてるから大変だぜ。この街の犯罪者は全員俺が逮捕してやるからな!」

 ここは秋葉駅前から市内の中心まで伸びている『0番線商店街ぜろばんせんしょうてんがい』、通称『0番街ぜろばんがい』。

 秋葉市は鉄道の街として発展してきた歴史がある。0番線というのは秋葉駅にかつて存在した鉄道路線で現在は廃止されている。だが、名前だけでも残したいという地元住民の想いから商店街の名称として使われることになった。

 0番線という名称を残そうと最初に言い出したのは僕の祖父だ。祖父は定年まで鉄道会社に勤務し、退職後は地元にある鉄道博物館で働いていた。0番線がなくなると知った時、すぐに商店街と鉄道会社、それから秋葉市役所に呼びかけた。その後、何度も話し合いを重ねて残すことができたと聞いている。

 僕はそんな祖父を誇りに思っているし、0番線商店街も愛している。

 しかし祖父は、僕が高校に入学する直前に亡くなってしまった。僕の家では毎日神棚に手を合わせる習慣があったけれど、家族みんなが健康で長生きできますように、という願いは神様に通じなかったらしい。

「あの、よっさん。もしもここ最近の事件や事故が……」

「おっと。早く来いって無線が入った。じゃあ真木野。暗くなる前に早く帰れよ。じゃあな!」

 僕がすべて話す前に、横田は自転車のペダルを力強くこいで走り去ってしまった。




 ため息をついて西の方角を見ると、日が完全に落ちそうになっていた。

 昔の人の言葉を借りるなら『逢魔時おうまがとき』というやつだ。

 またどこかでパトカーのサイレンが鳴っている。祖父が愛したこの街でこれ以上事故や事件が起きてほしくない。

 祖父は自動車事故で亡くなった。それも信号無視、速度超過、飲酒運転という最低最悪の運転手にひき逃げされた。

 僕たち家族が病院にかけつけた時、祖父はすでに息を引きとっていた。

 医者は、もう少し早ければ、と辛そうな表情で話してくれた。

 みんなが泣いている時、僕だけは涙を流さなかった。

 いや、流せなかった。悲しみよりも怒りの感情が勝っていたから。

 もし人通りの多い道路だったら……。

 もし運転手が救急車をすぐに呼んでいたら……。

 そんなことを考えても意味がないということはわかっている。

 しかし、考えずにはいられなかった。

 そうでもしないと怒りでどうにかなりそうだったから。

 それこそ、祖父をはねた車の運転手を殺していたかもしれない。

 それほどの殺意が僕の心を支配しているのだ。

 祖父をはね飛ばした犯人はすでに捕まっている。

 だが、意味不明な供述で警察の取り調べを引き延ばしているらしい。

 それもまた僕の怒りを助長させた。

 ただ、その供述というのが……。



 心身喪失による無罪を狙っているとしか思えない。

 しかし神代の話を聞いた今は……いや関係ない。 

 あの運転手は祖父を殺した。

 その事実だけで十分だ。

 これ以上余計なことを考えたくないし悩みたくない。

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