窓際
只の葦
窓際
今この食堂には私しか居ない。行儀よく並んだテーブル達の1番後ろの席で茶を啜っている。それが私だ。
窓際には、一体いつからあるのだろう、シルバーのブラウン管テレビ。その後ろから差し込む日差しが、それ以上見るなと私の視界を遮る。
背後でドアの開く音がする。経理部のウエノさんだ。そろそろ昼時だから、昼食を取りに続々と他の従業員も来るだろう。
ウエノさんと目が合う。
「ウエノさん。茶でも一杯どうですか。」
ウエノさんは私の声など聞こえなかったかのように、素知らぬ顔で脇をすり抜けていった。
私の今日の仕事は白い紙を前にしてペンを握ったり置いたり、茶を啜ったりする事だ。昨日もそうであったし一昨日もそうだった。明日もきっとそうであるが、明後日は休日だ。
そう、私はいわゆる窓際社員と言うやつだ。この場所が窓際部署。「営業企画推進部」、別名「食堂」だ。
私のようなものには専用の机も椅子もありはしない。横長の白いテーブルにパイプ椅子、再利用の為に破棄されずにいた裏紙と、事務員の発注ミスで大量に余っているボールペン、これが私の仕事道具だ。ただ私と同じように、そこにあるだけの何の役もしない仕事道具だ。何も生み出さないし、何を生み出せとも言われない。
朝には白かった紙が、夕方にも変わらずに白い紙であるかどうか、それを確認しているだけだ。一時期はパラパラ漫画を描いて遊んでいた。いや、今に比べれば余程生産的なことをしていた。それにもいつしか飽き始め、折り紙を折り、それにも飽きた。日がな一日ペンを握っては置き、茶を啜る。本当にこれだけなのだ。
一体全体いつからこんなことになってしまったのだろうか。
私の部署では当然のように昼食を購入することができるので、焼きサバ定食を頬張りながらそんなことを考えていた。周りでは、他の従業員達の談笑する声が重なり合い、私は益々1人であることを思い知らされる。これも今日の仕事だ。
もう勤続30年になる。共に未来を語り合った同期たちはもう雲の上だ。私のことなど忘れてしまっているのだろうな。
何もかも懐かしい。
唯一変わらずにいてくれるのは、傍らのブラウン管テレビだけ。こいつだけは入社当時からここにいる。この営業企画推進部の大先輩だ。先輩も毎日ここにいる。だからといって何も映し出したりはしない。誰にも見向きもされない。ただそこにいるだけだ。ただそこにいるだけということに耐え続けている。流石この部署に長年いるだけのことはある。先輩に習い、私も座り続ける。
これでいいんだ。昔のように欲望のままに生きることには疲れた。仲間たちと切磋琢磨し合い、出世欲にまみれ、貪欲に会社のために働いた時期もあった。だが頭上を気にするあまり、足元が疎かになった。些細なミスだと決めつけて気が付かないふりをし、他人のトラブルにはなるべく関わらないようにし、挙句の果ては手柄を横取りするような真似をした。その報いを受けたのだ。
これでいい、これでいいんだ。
人はいつだってやり直せると言うが、私にはその必要は無い。やり直そうとしても今更誰も喜ばないし、寧ろ煙たがられるだけだろう。
これでいい…………これでいいんだ。これで……。
いや…………私にはまだ…………………………
定時を知らせるアラームが携帯から鳴った。それが私一人になった食堂に、虚しく響き渡っていた。
翌朝、私はいつも通り自分の席に着く。横長の白いテーブルにパイプ椅子。白い紙とボールペン。そして窓際にはシルバーの……
先輩がいないではないか。私よりも長くこの部署に鎮座し、ここでの振舞い方を言葉なくして教えてくれた先輩、もといブラウン管テレビが無い。そう言えば確か廃品回収が来るとかなんとか、昨日、従業員たちが話していたような気がするが、それと何か関係でもあるのだろうか。
わかりきった自問自答だった。
さすが先輩だ。いつだって私に先立って手本を示してくれている。その思いに報いなければなるまい。この数年間で忘れ去られていた、私の心の奥底にたぎる熱が、もう一度チャンスをくれと言っている。さあ私の仕事道具たちよ、ついにその役目を果たす時が来たぞ。私はどっしりとパイプ椅子に座り直し、テーブルの上に新しい白い紙を置く。そして力強くペンを握りしめ、ここに配属された時から唯一与えられていた仕事に取り掛かった。
「私、タカダ ユウイチロウは 一身上の都合により…………」
窓際 只の葦 @tadanoasi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます