2.迷宮突入準備
◆
ゲロトラップダンジョン――その恐るべき迷宮に、
数多の冒険者、酒呑み、町内会の人、引っ越しの挨拶に来た人、大学生、
そして、アルコールでなければ日々のストレスを忘れられない者が挑んだが、
誰一人として嘔吐しない者はいなかった。
そして悪辣たるゲロトラップダンジョンは、嘔吐に対し罰金を設けることによって、
挑戦者の財を吸い上げ、より巨大に、そして醜悪に、成長を続けていった。
女騎士ノミホ・ディモ・ジュースノーム(20)の使命は、
恐るべきゲロトラップダンジョンを攻略し、
買い占められた酒とつまみを支配から解放することである。
◆
「ノミホよ、スマートフォンを出せ」
「はい」
女騎士ノミホと騎士団長ルナは会議室を利用し、作戦会議を行っていた。
恐るべきゲロトラップダンジョンは、
強大なる酒の力によって理性も策謀も呑み込んでしまう。
であるからこそ、その酒の魔力に負けぬ強靭なる理性を作らねばならぬのだ。
今、ノミホの手の中には銀色のスマートフォンが握られている。
剥き出しのスマートフォンの数多の凹み傷から、
彼女の激しい戦いを想像することは難しいことではない。
「ノミホよ、ツイッターはやっているか?」
「やっていませんけど……?」
ツイッターとはインターネットの生み出した堕落の権化である。
誰もがアカウントを作成することが可能であり、
一度に140文字程度の文章を投稿することが出来るSNSである。
このツイッターと呼ばれるサービスの恐るべきところは、
書く上でも見る上でも、異常な手軽さがある点が挙げられる。
少し待っているだけで、餌が放られるかのように新しい文章が投稿されている、
あるいは、RTという機能によって、知らぬ人間の文章が流れてくる。
人間をスマートフォンの画面に釘付けにせんとする、
人間が生み出した悪意の結晶、形を変えた悪魔信仰と言っても過言ではないだろう。
勿論、このツイッターというものは異世界の文化なので、
現代日本とは一切関係のないことをここに断っておく。
「では、今すぐアカウントを作成し、
ゲロトラップダンジョンの公式アカウントをフォローしろ」
「……SNSをやっているんですか?」
「ゲロトラップダンジョンの主、邪悪なる魔術師エメトは、
ただ酒とつまみを奪うだけではない、
各種SNSを用いて、集客のための宣伝活動を怠らぬ恐るべき悪意の持ち主だ。
ゲロトラップダンジョン攻略のために、情報収集は決して欠かすなよ」
「……はい」
ノミホは何か腑に落ちないものを感じたが、
それを言わない程度の社会性は有している。
彼女はもう女子高生ではない、2年目の女騎士であるのだ。
ルナの指示の元、ノミホは器用にスマートフォンを操作し、
ツイッターのアカウントを作成する。
インスタグラムやLINEよりは手軽であった。
「7290フォロワー……あー、結構行ってますね」
「ゲロトラップダンジョン公式アカウントを運用する邪悪なる魔術師エメトは、
ゲロトラップダンジョンの情報だけでなく、
姑息なる大喜利や、姑息なるペット画像、
姑息なるRT&フォローで景品が貰えるキャンペーン等で、
こつこつとフォロワーを稼いできた男だ。重ねて言うが油断するなよ」
「…………はい」
このようなアカウントをフォローして、どうしろと言うのだ。
女騎士ノミホはその言葉を飲み干し、一応は上司の指示に従った。
このような強靭的な精神力こそが、彼女を女騎士の鑑たらしめているのである。
「公式アカウントのプロフィール欄から飛べるホームページから、
ゲロトラップダンジョンの所在地が確認できる。
あと電話だけでなく、ホームページからの予約も出来るからな。
ホームページもよくチェックしておけよ、ノミホよ」
「……予約出来るんですか」
「おそらく予約の必要はないが、必要があれば予約しておくと良い」
「辞めておきます、一応あの……戦いに行くつもりなので」
「そうか」
「はい……」
ノミホは作りがシンプルなホームページから、
ゲロトラップダンジョンのアクセス方法を確認する。
イェーマグチケンチョウ城から微妙に距離があるイェーマグチ駅の隣駅、
飲み屋街と大学生がひしめくイェーダ温泉街駅から徒歩5分の距離。
「交通費出ますか?」
祈るような気持ちを込めて、ノミホは尋ねた。
ゲロトラップダンジョンに挑む以上、当然社用車は使えないだろう。
だからといって、自転車を使うというのも酒酔い運転に引っかかる。
だがイェーマグチケンチョウ城からイェーマグチ駅に行くためには、
徒歩で30分ほどかかり、そこから更に電車に乗ることになる。
せめて、タクシーぐらいは使わせてもらいたい。
「電車代は出る」
残酷なる裁判官のように、ルナは言った。
「送迎……いや、行きだけでもお願いできませんか」
「私、免許持ってないし、
他の騎士も今日はゴブリンとか殺しに行かなきゃならないから……」
照れくさそうに、最強の騎士団長が弱点を告白する。
その様は、同僚に介抱された後の酔っぱらいによく似ていた。
頬を桜色に染めた、そのかんばせが芸術品のように美しいことなど、
ノミホにとっては何の救いにもならなかった。
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