彼の朝、あるいは深夜

静暦3987年4月5日。


月が神秘的な光をたたえる深夜2時。

まだ朝と呼ぶには早すぎるこの時間から、少年の一日は始まる。

少年の名は闇乃影人やみのかげひと。今日から高校一年生になる15歳の少年だ。


影人がいるのは、小学校の教室ほどの大きさの部屋だった。

人一人が使うには不必要に広い部屋にあるベッドは、部屋同様に不必要に大きいキングサイズだ。

しかも童話のお姫様が使うような天蓋つきのベッドである。


そんな御伽噺のようなベッドに入っている少年は、そのイメージを裏切らない容姿をしていた。


いかつさなど微塵も感じさせない線の細い輪郭。

神秘的というよりは病的に白い肌に、それと相反するような漆黒の髪と瞳。

ともすれば少女と見間違うような整った顔立ち。


一言で言うならば、何処か浮世離れした少年。それが闇乃影人という人物だった。


「ん・・・。もう朝か・・・」


と影人は窓の外を見ながら呟いた。

繰り返すが、まだ『深夜』2時である。断じて朝ではない。


影人はベッドから降り部屋から出る。

その廊下もまた不必要に長い。その上明かりがほとんど無く、薄暗い。


10m間隔で古風なろうそくが立てられているだけで、足元などほとんど見えない。

明かりの中間地点など暗闇とほとんどかわらないほどだ。


そんな廊下を見た影人はため息を吐くと、小さく呟いた。


「はあ・・・『影中旅行シャドートリップ』」


その言葉と共に。

影人の姿は消えていた。



~同刻 闇乃家大広間~


闇乃家の大広間は、そこだけで家が1軒入りそうなほど広い。


そんなサイズの大広間には、なぜか一人も人がいない。

警備員もいなければ、この大きさの家ならば確実にいるであろう使用人の姿も無い。

その上この部屋も明かりは古風な蝋燭だけだ。


薄暗い大広間。そこには言葉にできない怪しい雰囲気が漂っていた。


―――突然。部屋の中央のもっとも暗い場所に人が現れた。

暗さ故に見えなかったのではない。本当に突如、その場に出現したのである。


「・・・廊下まであんな暗さにする必要あるのかな。」


現れたのは、ちょうど一瞬前に部屋から出たばかりの影人であった。

影人はその白い肌にほんのり汗をにじませていた。


「朝からまた無駄に能力使っちゃった。そろそろ本当につるぎさんに文句言おうかな・・・」

「私がどうかされましたかな?」

「うわっ!」


部屋の中央にいた影人の背後から突如声がして、彼は思わず飛び上がる。

とっさに後ろを振り向いた影人の前にいたのは、温厚そうな初老の男性だった。


「何をそんなに驚かれているのです?私は普通にドアを開けて入ってきましたぞ。」

「そりゃ驚きますよ、剣さん。何で無意味に気配を消して背後に立つんですか。」

「ほっほっほ・・・若もまだ修行が足りませぬな。」


そう愉快そうに笑う剣とは対照的に、影人の表情は不満げだ。


「もう・・・剣さん、『若』はやめてっていってるじゃないですか。」

「おお、これは失礼しました影人様。」


影人『様』という言い方に、彼は少し顔をしかめたが何も言わずに話を進める。


「で、剣さん。廊下の明かりの件なんですけど・・・」

「ほう・・・廊下の明かりがどうかされましたかな?」

「どうもこうも、明かりが暗すぎますよ。あれじゃ足元もろくに見えませんよ。」

「そう言われましても、あの暗さでないと影人様の能力は使えないのでは?」

「それはそうなんですけど、別に家の中で能力使いたくないんですけど・・・」


と、影人は髪をかきあげながら嘆息する。

それを見た剣はまた愉快そうに笑う。


「ほっほっほ・・・まあ明かりの件はどうにかしておきますが。ですがそもそも、影人様はあの程度の暗闇は問題ないはずでは?」

「それはそうなんですが・・・でもこの家、無駄に壺とか置いてあるじゃないですか。」

「私の力作を無駄とは失礼な・・・」

「あれ剣さんが作ったんですか・・・じゃあ割っても問題無しですね。」

「若、それは流石に酷いのでは!?」


小声で叫ぶという器用な真似をする剣に・・・またしても影人は嘆息する。


「はあ・・・まあ明かりの件はお願いします。・・・では剣さん、報告を。」


そう影人が言った瞬間、場の空気が一変する。さきほどまでの和やかな空気は消え去り、張り詰めた空気が流れる。剣の表情は先ほどと変わらないが、纏う雰囲気はまるで別人だ。


影人は部屋のソファーに腰掛け、そこにあったノートパソコンを開く。

そしてそれを見た剣は話を始める。


「それでは・・・まず例の要人警護ですが、滞りなく完遂しました。」

「ああ、あれですか。あれは結局、誰に頼んだんですか?」

時逆ときさか家の者に依頼しました。特にトラブルや襲撃も無かったそうです。」

「まあこの平和なご時勢に、そんなに襲撃なんてあったら困りますけどね。では次を。」


そう興味も無さげな声と顔でそういうと、影人は先を促す。


「はい。では、創成機関ですが、また一部で動き始めたようです。」

「あー、また面倒なことになりそうな気がしますね・・・」

「分家の方に対処をさせますか?」

「・・・いえ、やめておきましょう。なんというか、そうするまでもなく関わることになる気がします。」

「影人さまのお心のままに」

「やめてくださいよその感じ・・・」

「ほっほっほ、慣れてくだされ。では、次の報告に参りましょう。」


薄暗い部屋で行われた『報告会』。それは、外が明るくなるまで行われた。




―朝7時―


「以上で本日の報告を終わります。お疲れ様でした。」


そう剣が言った時には、もう外は完全に明るくなっていた。


影人は一度大きな背伸びとあくびをすると、剣に向き直る。


「ふう・・・今日は随分多かったですね。」

「ええ、まあ。影人様の言いつけどおり可能な限り多くの予定を消化しましたからね。」

「すいません、僕の都合で・・・」

「かまいません。影人様の意思は闇乃家の意思。それに高校生活が始まるのだから憂いをなくしたくなるのは当然です。」

「・・・そうですね、有難うございます。とりあえずこれで要人警護などの特殊なものを除いて3ヶ月分位ですかね。」

「はい。しばらく要人警護もありませんし、依頼も受けない方針ですのでご安心を。」


それを聞いた影人は、今までのようなため息ではなく、安心したようにほっと息を吐いた。


「しかし・・・今日から影人様も高校生ですか。」

「ええ。まあ僕が行くのは小学校から大学部まで一貫の学園なので、高校というか高等部ですけどね。」

「『私立 命強めいきょう学園』・・・戦闘に特化した能力を持つ子供たちに倫理を教え、世界を守る意思を持たせることを理念としているのでしたか。」

「はい。一貫なので僕は新入生ではなく編入生って扱いになります。」


そういうと影人はふと何かを思い出したように手を叩く。


「そういえば、剣さんの今日の予定聞いていませんでしたね。剣さん、今日予定無ければ学校まで送ってほしいんですが・・・。」


それを聞いた剣は手帳を確認する。


「少々お待ちください。・・・申し訳ありません、この後は私少し出る用事があります。送ることはできないかと・・・」

「そうですか・・・。しかたありませんね、できれば初日は普通に登校したかったのですが・・・」

「命強学園まではどれほどの距離があるのですか?」

「大体3キロほどですね。」


それは別に長い距離でもない。確かに影人は体も細く肌も白いが、それも過剰というわけではない。

本来ならば別に徒歩でもなんら問題はない距離だ。

しかしそれを聞いた剣は難しい顔をする。


「さようですか・・・。失礼ですが影人様には少々厳しいかと・・・」


と、男に対して本当に失礼なことを言う。

しかし影人は怒るわけでも無く神妙な顔でうなずく。


「はい・・・僕も初日から保健室に担ぎこまれたくはありません。」

「では多少予定変更にはなりますが、やはり私が送っていきましょうか?」

「・・・いえ、それならそれで構いません。『彼ら』に助けて貰いますから。」


と影人が言うと、剣はその手があったか、という顔をする。


「ふむ・・・わかりました、学園側には私が許可を取っておきましょう。それに彼らは、随分と影人様を信頼しているようですから、頼めば快く助けてくれるでしょう。」

「あはは・・・まあ、暇さえあれば戯れてましたからね。」


影人はそう言って笑うと、大広間の窓を開ける。彼は差し込んでくる日光に目を細め、

そしておもむろに指笛を吹く。


「『くろ』『白』『銀』おいで!」


そう影人が言うと、音もなく三匹の獣が窓から入ってきた。

それは、それぞれ黒と白と銀色の毛皮を持つ大中小の狼。


その三匹を見た影人は顔をほころばせる。


「よしよし・・・急に呼び出してごめんね。ちょっと君たちに頼みがあってさ。」


そう影人が言うと、狼たちはまるで影人の言ったことが分かったかのように嬉しそうに尻尾を振る。

一番小柄な白はまるで自分の存在を誇示するように大きく。次に大きい銀は小さくすばやく。そして一番大きな玄はゆっくりと緩慢に。


振り方はさまざまではあるが、どれもとても嬉しそうである。

そんな三匹を愛おしそうに見つめると、影人は笑いながら話す。


「経緯は省くけど・・・実は僕を学校まで乗せていってほしいんだ。道は行きながら教えるから。」


と影人は当然のように言う。このままでは狼に乗りながら学校に行く、という極めて特異な状況になるというのに、だ。

しかしその場にいるものは誰も何も言わない。というか剣は朝食の準備を始めたためこの場に居すらしない。


「白は小さすぎかな。銀も、まだちょっと僕を送るのは難しそうだし・・・玄、お願いできる?」


そう影人に言われた玄は、感激のあまりか彼に飛びつき顔をなめる。


言葉だけ聴くとほのぼのしているが、見た目は完全に狼に襲われている少年である。

というか今完全に玄は影人の言葉を理解していた。


そんな嬉しそうな玄とは対照的に、白と銀は意気消沈していた。

先ほどまで振っていた尻尾が力なくたれている。

それを見た影人は心を痛めたが、流石に三匹もつれていくわけにはいかない。

しかしこのまま帰れというのもかわいそうだ。と影人が悩んでいると・・・


「影人様、朝食の準備が整いました。白葉しらは様を起こしてきてくださいますか?」


と言いながら剣は厨房から顔を出す。そしてそれを見た影人に名案が浮かぶ。


「そうだ!銀は白葉を起こして、それで今日は一日、白葉についてあげて。

白は剣さんについて仕事の手伝いをしてくれる?」


と影人が言うと、二匹は嬉しそうに一声鳴くと、それぞれに与えられた任務を遂行するために大広間から出て行った。


「よしっ。じゃあ玄、出発になったらまた呼ぶから、それまで待っててね。」


それを聞いた玄は一言鳴くと部屋の隅に丸まった。


「・・・あ、勝手に白に言っちゃいましたけど大丈夫でしたか、剣さん。」

「ええ、構いませんよ。この後お会いする方は動物好きらしいので。」

「そうですか、良かった・・・。じゃあ白葉が来たら朝食にしましょう。」


影人はそういうと、朝食の席に着いた。

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