思わぬ話

 オフィスのバイトも終わって、無事、無事だよ、バイト代をもらえた。ちゃんと銀行に預金できたから、あれは子ども銀行券でも、どこぞの外国の紙幣でも、偽札でも、木の葉でもない。次は振り込みにしてもらう。バイトが終了して家に帰る時に、六階の七号室のカギを麻吹先生に返しに行ったのだけど、


「あの部屋が気に入らなかったのか。だったら八号室に変わるか。だがあそこも西日がきついから、あんまり代わり映えすると思わんぞ」


 驚いたけど、あの部屋はミサトの専用だって言うのよね。


「見てないのか、ドアにプレートが貼ってあったろう」

「紙付いてるやつですか」

「なんだ剥がしてないのか」


 なんか貼ってあるとはおもったけど、触ったらダメと思ってたんだ。言われて剥がしてみると、


『Misato Ozaki』


 真鍮製の立派なプレートでビックリした。


「今回で尾崎の実力は証明されたから、またバイトに来てもらう。部屋が無いと不便だろう」


 今回みたいな三週間は困るけど、チョコチョコなら嬉しい。とにかくバイト代に関しては日本一、いや世界一かもしれないもの。



 そうそう芸能人相手の仕事もしたし、これからも多いはずなのよね。食事に誘われた事もあるけど、芸能人と今後どう付きあったら良いのか、麻吹先生に教えてもらった。


「男なら九九・九%、下心の塊と思えば良い。あいつらにしたら食事イコールOKぐらいだから、かなり強引に連れ込まれるぐらいと考えるぐらいでちょうど良い」


 たしかに。そんな雰囲気プンプンするものね。どう聞いても『誘ってやった』としか思えない時が多いし。


「割り切ってやってもイイが、尾崎はまだバージンだろう。芸能人相手に捨てたいならともかく、そうじゃないなら、やめておく方が無難だろう」


 やだよ、初物楽しまれてポイなんて。積極的に守っていた訳じゃなくて、単に相手がいなかっただけだけど、やっぱり初めてはロマンチックにしたいじゃない。まだ二十歳だから焦るほどの事はないと思うし。


「ありがとうござました。岩鉄さんから誘われたのですが断っておきます」


 岩鉄さんは定期的に関西で仕事があるみたいで、来るたびに声を掛けてくれてるんだよね。一緒に夕食でもどうだぐらいだけど、一応断ってる。でも断る度に本当に残念そうだから、一度ぐらい行っても良い気になってたんだ。


「なんだって岩鉄がミサトを誘ったのか!」


 麻吹先生が豆鉄砲喰らった鳩みたいな顔になってた。


「明日は西から太陽が上がるのじゃないか。尾崎さえ嫌でなければ行って来い。良い勉強になるはずだ」

「でもさっき、九九・九%って」

「岩鉄が信用できなければ、この世に信用できる人間など存在せん」


 岩鉄さんはいわゆる芸能人同士の付き合いを殆どしないみたいで、プライベートで会う人も本当に限られてるんだって。そう言えばサインさえ滅多にしないのでも有名らしい。じゃあ、嫌われ者かと言えばそうじゃなく、大袈裟に言えば芸能人なら食事に誘われるのが夢だってさ。


 そんな岩鉄さんが何度も断られてもミサトを誘うのは、よほど気に入られているって麻吹先生は言うのよね。たしかに、そうかもしれない。そんな話を聞かされてから会いに行ったけど、ミサトが恐縮しまくるぐらいだった。


 だってだよ、岩鉄さんの仕事は京都なんだよ。なのに神戸にわざわざ出て来てくれて、御馳走してくれたんだ。それもさ、ミサトがわざわざ時間を作ってくれた事を何度も、何度も感謝してくれたんだよ。


「悪いね。こんなジジイとメシじゃ、不味くなるだろうが、ここの食事は悪くないよ」


 不味いはずないじゃないか。三ツ星だよ、三ツ星。ミサトも名前だけは聞いたことがあるけど、とにかく予約を取るだけでも大変な店で有名。まさかと思うけど、ミサトが断った時も毎回予約を抑えていたとか。


「そこまではしてないが、この店との付き合いも長いから、ちょっと融通が利くだけ」


 この店が出来た頃からの付き合いみたいで、開店した頃にちょうど神戸で映画の撮影があったみたい。この店のシェフを気に入った岩鉄さんは、撮影スタッフを引き連れて、何度も訪れたみたい。シェフも挨拶に来てくれたけど、


「岩田さんが大きくしてくれたようなものです」


 だから岩鉄さんからの予約は別扱いどころか、このテーブルは岩鉄さん専用だって言うんだもの。


「シェフ、話を膨らませ過ぎや」


 岩鉄さんは笑ってたけど、シェフが張り切っているのはミサトでもわかったもの。岩鉄さんってそんな人らしい。食事をしながら芸能界の裏話みたいなものをいっぱい聞かせてくれた。



 三度目に誘われた時に店に行ったら、もう一人いたんだよね。見覚えの無い人だったんだけどいきなり、


「岩田さんの仰る通りドンピシャです」

「滝川君にそう言ってもらえて嬉しいよ」


 なんだ、なんの話かと思ってたら名刺を頂いて、


「滝川漣です」


 名刺には映画監督って書いてあるけど・・・まさか、あの滝川監督だって言うの、


「もしかして、暁はただ銀色とか、その花を見るな!とか、夕焼けの回転木馬とかの滝川監督ですか?」


 そしたらそうだって言うから、ビックリした、ビックリした。青春映画が中心だけど、撮った作品が次々にヒットしている売れっ子監督。青春映画だけじゃなく、夕焼けの回転木馬はミサトも見たけど、切なすぎるラブ・ストーリーでウルウルしちゃったもの。


「滝川君に次回作のキャスティングを相談されてね。聞いていると尾崎さんのイメージにピッタリと思ったんだよ」

「ええ、これほどツボに嵌るとはボクも驚きです」


 へぇ、ミサトがね。どんな話か聞いてみたんだけど、タイトルは、


『幻の写真小町』


 まだ仮題だそうだけど、写真小町と呼ばれる美少女が撮った写真を巡って、不思議な話が展開するぐらいでイイみたい。滝川監督が言うには、出演者の設定年齢的には青春映画だけど。


「青春映画と言う枠がボクは嫌いでね。その枠をだよ・・・」


 映画が本当に好きみたいで、様々な映画論をミサトみたいな小娘を相手に熱心に話してくれたんだ。難しい話もあったけど、さすがは時の人だけあって勢いに乗ったオーラを感じちゃった。


「それはそうと尾崎君はOKで良いかい」

「なんの話ですか」


 次回作のカギになるのが写真小町なんだって。


「是非出演をお願いしたい」

「ちょっと待って下さい」


 ミサトの演劇経験なんて、保育所の生活発表会のその他大勢役しかないんだよ。つまりはズブの素人。そんな大事な役が務まるわけないじゃない。


「そんな事はありません。ボクがちゃんと演出しますから」


 滝川監督が言うには、写真小町役は作品の中のイメージ役としては重要な部分を占めるけど、実際の出演シーンはそんなに多くないって言うのよね。セリフもほぼなくて、幻想的なイメージの中で写真を撮るだけだって。


 岩鉄さんも出演するらしく、二人がかりで口説き落としにかかられて参っちゃった。滝川監督なんて、


「尾崎君を知ってしまうと、他の写真小町は考えられない。尾崎君が出演してくれないのなら、この映画を撮るのはやめる」


 それじゃ、出演を断ったミサトが悪者になっちゃうじゃない。なんとか、かんとか返事を、


「考えさせて下さい」


 これで振り切って帰らせてもらった。

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