第41話

 彼女は嵐のようにやってきた。

 島々を周る船に少し多めに料金を払うと無人島にも立ち寄ってくれる。それを利用して彼女はやってきた。

 黒地に大輪の薔薇の描かれた着物の裾を濡らし、バシャバシャと飛沫を上げながらこちらへと向かって来る。右手には茶色い木箱を下げ、反対の腕では布づつみを抱えている。少し遅れて、何か大きな荷物を抱えた少年が彼女を追う。羽織っている白衣だけが、彼女の職業を感じさせた。

 ……すごい美人……

 はるかは思わず溜息ためいきを漏らす。

 濡烏ぬれがらすのような艷やかな黒髪とべにの塗られた唇。ぱっちりとした瞳の色は杳も見慣れた深い青だ。派手な着物だが、本人もそれに負けていない。

「呼んだ?」

 凛とした声が響く。

「呼んだ、巴がな」

 問答無用で渡される布づつみと木箱を受け取り、藍は苦笑いしながら答える。後をついてきた少年は、藍の顔を見てペコリと頭を下げた。緩い癖のある黒髪と星のように輝く黒い瞳に小麦色の肌。

 ナユタだ。どうやら無事にべにについて医者になるための勉強を始めているようだ。

「どっちでも良いわよ。患者は?」

 あっさりと言いながらスタスタと歩き始める彼女のあとを追いながら藍は続ける。その後を杳とナユタも小走りで追う。

「案内する。場所わからないだろ?」

「……わからないけど、わかるわよ。どうせこの先でしょ?」

 紅の言う通りだ。この島には道らしい道は一本しかなく、それは彼女の歩いているこの道だけだ。彼女のあとを早足で追いながら藍がコソコソと杳に耳打ちする。

「あんなだけど、腕は確かだから」

 あんなとは、どこか女王様然とした彼女のことだろうか。そういう藍の表情は、申し訳無さそうな、呆れているような、色んな感情の混じった複雑な表情で杳は少し笑ってしまう。

「どういうご関係の方なの?」

 軍の関係者だろうか。それとも別の繋がりか……

 黙っていると少しとっつきにくさのある二枚目だが、口を開くと途端にフレンドリーな雰囲気になるのが藍の良いところの一つだ。美人の知り合いの一人や二人はいるだろう。

「……姉貴だよ」

「お姉さん……?」

 藍のきょうだいは、家業を継いでいるのではなかったか……。とは言え、言われてみるとその瞳は藍と同じ色を持っているし、顔立ちも似ている。

「三人きょうだいの一番上。家を継いでるのは二番目の兄貴なんだ」

「へーー……」

 あまり語られることのない藍の家族の話。語る話題のない自分たちにとっては、ひどく新鮮なものに感じる。

「仲が良いんだね」

 衣装を提供してくれたり、呼んだら飛んできてくれたり……そういう関係は、一般的に言うととても仲が良いと言えるのではないだろうか。

「……そうかもな」

 杳の言葉に、藍は少し困ったように眉を寄せて答えた。

 そうこうしているうちに家にたどり着いた三人を巴はニコニコと笑顔で迎えた。

「おかえり、藍、杳。あと、いらっしゃい、べに……と、見習いくん?」

 パンッ!

 ……え?

 スラリと伸びた日に焼けていない細い手が、鋭く巴の頬を打った。いっそ清々しいくらいにキレイな軌道を描いて。

「……なかなかの歓迎かんげいぶりだねぇ」

 少し赤くなった頬を抑えて、巴は紅に苦笑を返す。

「これくらい覚悟してたでしょ?言ったわよね?無理すんなって」

 キッと鋭い瞳を向けられて、巴はさらに苦笑の色を濃くする。覚悟をしていたとは言え、手厳しい。

「藍も。言ったはずよね?無理させるなって」

 リビングまでたどり着いた紅は、長い髪をバサリと振り回しながら振り返り、藍にも鋭い目線を向ける。

「わかってんの?死ぬわよ?」

 藍は降参というように両手を挙げて、何度も頷く。その顔を冷や汗が伝う。

「わかってる。わかってるから……」

 そんな人を殺しそうな目で見ないでほしい。

フォースを使ってないだけマシだけど、とりあえず寝てくれる?」

 紅は木箱の中から小さな紙包みをいくつか取り出す。それを見たナユタは小さく頭を下げて戸棚を開け、キッチンから水の入ったグラスを持ってきてテーブルの上に置く。慌てて持ってきたせいで、水がほんの少しテーブルへとこぼれた。

 やっぱりバレちゃうか……

 そろそろ紅が着く頃だと思って、昨夜は普段より一時間ほど多く寝たつもりだったのだけれど、そんな付け焼き刃では紅の目はごまかされてくれないようだ。

 巴が大人しく出された粉薬を飲むと紅は満足そうに微笑んでリビングの外を指差す。

「寝ろ」

「はい……」

 藍にあとは任せたよと声をかけ、巴は自身の部屋へと引っ込んだ。それを見送った紅は、藍の方へと向き直る。

「で?患者は?」

「部屋で寝てるよ。案内する」


「……それで、燁の状態は?」

 紅に処方された薬を飲み、一眠りしてかなり顔色の良くなった巴は、燁の診療を終えてリビングでくつろぐ紅に尋ねる。ナユタは紅に言われて、島の植生を調べに出かけている。小さな島だ。一人で出歩いてもそう危険はないだろう、との判断だった。

「体は問題ないわ。いつ目覚めてもおかしくないくらい。でも……」

 一度言葉を切った紅は、まっすぐに巴の金色の瞳を見つめて言う。

「結論から言うと、今のままでは目を覚ますことはないと思うわ。彼の目が覚めないのは、体の問題というよりも心とエネルギーの問題ね」

 心とエネルギーの問題……

 それを聞いて藍の頭によぎるのは、何も言わずに島を出たこの場にいないもう一人の仲間の存在だ。彼が……あおいがいないことに、燁は気付いているのだろうか。

(燁を置いていくことに後ろ髪を引かれなかったわけではなさそうだけど……)

 藍が起きて燁の様子を見に行ったときには、すでに蒼の姿はなかった。けれど、眠る燁の枕元には蒼の額当ては置いてあった。

(蒼は……もう帰って来ないつもりなのかもしれない……)

 杳によると、あの日流れていたニュースは蒼の養父に関するものだったらしい。蒼は養父母とも良い関係を築いていたらしく、この一件が片付いたら二人の元に戻るつもりだったという。

 もちろん、蒼のその選択を藍は責めるつもりはない。けれど、蒼がいない上に燁の意識も戻らないとなると、正直この先の戦いを乗り切るのは難しくなるだろう。

「……はぁ」

 藍の口から思わず溜め息が漏れてしまうけれど、許してほしい。

「心とエネルギーの問題……か。エネルギーの件は、どうにかなるかもしれないけれど……心の問題はねぇ……」

 燁の目が覚めない理由の一端が蒼にあることは、巴も薄々わかっていた。……というか、多分そうだと思っていた。

「蒼くんを呼び戻す?」

 多分蒼は養父母の元へと帰ったのだろう。彼らの家を知っているのは、この中では杳だけだ。面識があるのも、杳だけだ。話をしに行くのであれば、杳が行くのが早いだろう。

 杳の言葉に、巴は小さく首を振る。

「蒼がそれを選んだのであれば、それはそれで仕方ないよ。僕たちを選んでほしいなんて言えないからね」

 それはもちろん、蒼だけでなく杳や藍にも言えることだ。自分自身で決めたことであるのであれば、巴は口出しをするつもりはない。

「とりあえず、エネルギーの問題は、心当たりがあるから当たってみるよ。紅、遠くまで来てくれてありがとう」

 紅を見る巴は、少し疲れて見えて藍はちょっと心配になる。

 もう少し休ませとくべきか……

「仕事よ。求めてくれる患者がいるなら、どこにだって行くわ」

 長い黒髪をバサッと後ろに流しながら紅は言う。

「で。医者の立場から言うと、巴あんた働きすぎよ。もう少し藍でも何でも使いなさい。藍も、働かせるなら寝かせなさい。それがあんたの仕事でしょ?」

 ガラス玉のような青い瞳で、キッと鋭く睨まれた二人は内心戦々恐々せんせんきょうきょうとしながら曖昧に微笑む。

 ……オレが言ったところで、巴は聞きゃーしないよ

「聞きゃーしないんじゃなくって、聞かせるのよ」

 心を読んだような紅の口ぶりに藍は苦笑を浮かべる。

「安心なさい。迎えが来るまでの間にしっかり仕込んであげるから」

 にっこり微笑む紅は、まるで女王様のようだった。

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