第39話

 あおいはベッドで眠るようの顔を覗くと、頬にかかる髪をそっとよけてやる。

 あの日。アルフレッド・アーベットと再会した日以来、燁は深い眠りについている。理由は……精神的なショックだろうか。これまでに、人を殺めた経験がなかったわけではない。今回だって、必要があればそうしただろう。けれど、ターゼのあれは……

「……」

 辛い思いをさせてしまったと思う。もちろん、そのことを蒼が気に病む必要はないと、普段の燁なら言うだろう。けれど、目の前で家族を連れ去られ、意図せず人に手をかけてしまった。それはどんなに辛い経験だろうか。

 久しぶりの実戦で、覚悟が足りなかったと言われればそうなのかもしれない。この数年、戦場に出ることのなかった自分たちだ。かつての感覚と全く同じでいられるとは思っていなかったけれど……

 息を吐くと、蒼は燁の形の良い額に軽く口付ける。

「……ごめん……」

 蒼がしようとしていることは、燁をさらに傷付けてしまうだろう。それでも、蒼は行かなければならない。

 もう……会えないかもしれない……

 そう思うと、心臓をギュッと掴まれたように胸が痛む。ヒュッと喉の奥が狭まって、呼吸をするのも苦しい。でも……

「……」

 もう一度燁の頬を撫でると、蒼は羽織っていた呪布を翻して眠る燁に背を向けた。


 時は少しだけ遡る。

「わぁお。結構派手にやったんだねぇ」

 どこか間延びした口調でうみが言う。

 リビングの壁に映し出されているのは、先日火群ほむら四隊長よんたいりちょうが飛んだ先……アーベットのビルだった。映像では、爆発で崩れるビルと工場に合わせて女性のキャスターが喋っているが音声は切っているので何と言っているのかはわからない。

「念のため……だ。二度と同じものが作れないようにしておかないと……」

 言うらんの視線の先には、例のオモチャがある。テーブルの上に置かれたソレは、藍たちがホームに戻ってきたら動かなくなってしまった。アーベットの言う『時期が来た』ということなのだろうか。

 増幅器の置かれたテーブルを囲うのは、ともえ地軍ちぐんの三人、それに燁を除いた火群隊長の面々だ。

「これで、増幅器によって起こされていた災害は減るはずだ。ひとまず……お疲れ様。一つクリアだね」

 明るい声で巴は言うが、その表情は声ほど明るくはない。

 無理もない。災害は減っても、抱える案件は増えた。こうの奪還とアーベットの目的調査、それに燁の容態も気になるところだ。

 ふーーっと息を吐いて、座っている揺り椅子に背を預けると重みで椅子が振り子のように大きく揺れる。

「煌の件とアーベットの件に関しては、地軍で少し調べてもらえるかい?潜伏先と彼の背景がわかるといい」

 巴の言葉に地軍の三人は大きく頷いて部屋を出た。

「それと……燁のことなんだけど、医者を呼ぼうと思う。ていうか、もう呼んでる。早かったら明日には来ると思う」

「……医者?」

「呼ぶってホームに??」

 蒼とはるかがよく似た顔をして、首を傾げる。絶海の孤島であるこの島に、一体どんな医者が来てくれると言うのだろうか。というか、この島に来ることができるような人間が一般人にいるのだろうか。疑うような表情を浮かべる蒼と杳の隣で、藍は大きく溜め息を吐いた。

「……呼んだのか?」

「呼んじゃったねぇ……」

「……来るのか?」

「すぐ来てくれるってーー」

 珍しく眉間に皺を寄せて難しい表情をする藍と苦笑いを浮かべる巴。二人の顔を蒼と杳はきょとんとした表情で交互に見つめる。

「まぁ、二人で怒られようよ……」

 その言葉に、藍の顔色が若干悪くなる。椅子から立ち上がった巴にポンッと軽く肩を叩かれて、藍はもう一度大きく息を吐いた。

「……僕と藍が怒られる話は横に置いておいて。信頼できる医者だから、燁のことも安心して任せられるよ」

 緩く微笑む巴の様子から、そのことがきっと真実であろうことがうかがえる。それがわかって、ホッと小さく息を吐いて一瞬安心したような表情を浮かべた蒼の顔色が変わった。

 視線の先には、流しっぱなしになっていたニュース映像がある。音声を切っているので詳細はわからないが、映像と流れるテロップからどこかの企業の不正な取引が明らかになり、社長が逮捕される……という内容のようだ。

「……蒼くん、これ……」

 蒼と同じように画面に目を奪われたまま、杳が呟く。画面に映し出されていたのは、蒼の養父であるフュード氏だった。

「……ありえない」

 蒼は、ギュッと眉根を寄せ強く唇を噛むように口を引き結ぶ。

 そう、養父ちちに限って、不正な取引をするようなことはあり得ない。続けて裏社会との付き合いもあるようだと流れるが、それこそあり得ない。

 蒼の様子を見て、巴は切っていた音声が流れるようにリモコンのボタンを押す。

『……調べによると、代表取締役社長のフュード氏は現在のところ黙秘を続けています。妻であるフュード夫人の関係も疑われいますが、夫人は体調を崩し自宅で療養中とのことです。なお、付き合いのあるとされる組織は、現在の政府が樹立する際、戦いにも参加していた組織だということです。また、数年前に跡継ぎとして養子縁組をした少年が行方不明になっているようで、事件との関連も捜査を続けるとのことです。では、次のニュースです……』

 話題が次に移ったところで、巴は映像を止めた。

「……これは、二日前のニュースだよ」

 静かに言う巴の声に蒼の肩が少し震える。

 二日前……

 ということは、もしかするとすでに養父は身柄を拘束されているかもしれない。養母はははどうだろう……優しい人だから、寝込んでしまっているかもしれない。

 落ち着こうと、飲み物の入ったグラスに手を伸ばす蒼の指先が震えている。

 優しい養父母りょうしん。彼らが、犯罪に手を染めるなんて考えられない。

「……付き合いがあるとされている組織って火群のことかしら?」

 自分たちのしてきたことを必ずしも正しいとは思っていないけれど、裏社会と関わったり悪に手を染めたりしたつもりはない。

「……まぁ、立場が変われば見方も変わるからね……僕らが悪の組織だというのであれば、違うとは言い切れないよ」

 実際多くの地を焼き、少なくない人の命を奪った。それは、見る人が見れば、悪行と取られることもあるだろう。

「蒼、これは間違いなく君が今お世話になっている人たちかい?」

 巴の言葉に蒼は小さく頷く。

「君が出て来るときに、何か言ってなかったかい?」

 蒼はフルフルと首を横に振る。

「蒼くんがフュードのお屋敷を出るとき、わたしも一緒にいたけど、お二人とも裏社会とは無縁な方に見えたわよ」

 屋敷を出る少し前のパーティーに出席していた招待客もそんなふうに見える者はいなかった。そんな怪しい人間が出入りするところで、杳のいた一座がショーをすることはまずない。その辺りは、あの女座長はしっかりとしているのだ。

 ふむ……と少し考える仕草を見せて、巴は蒼に言った。

「このことも、地軍に調べるように伝えておくね。だから、蒼は心配しないで」

 その言葉に、蒼はコクンと頷いた。

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