第28話

 ふわり……と体が浮くような感覚を感じて、ともえは目を開く。

 本格的に仕事を始める前に、四隊長たちと地軍の隊員たちで楽しく夕飯を食べ、穏やかな夜を過ごして、充実感いっぱいでベッドに潜り込んだ。……はずだったのだけれども。

 誰かが、夢を渡って来てる?

 周囲は真っ白で、白いもやの中にいるようだ。どちらが上で下がどちらかわからないような空間は間違いなく夢の中だ。

 一体誰が……?

 夢渡ゆめわたりは、才能が物を言う能力だ。そのため、夢を渡ることができるの人物はそう多くない。巴が知っている限りでもはるかと自分と……あとは片手で足りるくらいしか知らない。

 少し警戒しながら様子をうかがっていると、目の前の空間がほんの少しグニャリと歪む。その歪みから姿を現したのは……

 綺麗だ……

 背中まで長く伸びた白い髪と宝石のような赤い瞳。白い簡素なワンピースを着た少女だった。いや、少女と言うには大人びているかもしれない。

 一瞬白子アルビノかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。肌は白いけれど、血管が透けて見えるほどではない。その眉は悲しそうに顰められている。

「君は誰?」

 巴の言葉に少女は小さく首を振る。

「ごめんね……なんて言える立場じゃないんだけど……」

 言葉を紡ぐ声は涼やかで、鈴の音ようだ。

「ごめんね」

 なぜ?

 どうして謝るのか?

 聞きたいことは次々と浮かんで来るけれど、どれも言葉にならない。言葉にならない……というか、声が出ない。

 喉が張り付いて、舌が固まってしまったかのように動かない。

 赤い瞳が、儚く揺れる。


 ドクン……と心臓が不穏に動き、感じたことのない気配を感じてらんは飛び起きた。と、同時に部屋を飛び出して音もなく駆けて気配の発信源へと向かう。

 ……何だ?

 その気配は悪意ではないけれど、この場……彼らがホームと呼ぶこの場所では感じたことのないものだった。

「……!」

 発信源に到着すると、そこにはすでに人影が一つあった。暗闇でよく見えないけれど、地軍の三つ子の誰かのようだ。

「お前も感じたのか?」

 その口調は、深緑の瞳を持つ青年・りくのものだった。

「あぁ……」

 小さく頷いて、藍は小声で返す。

 妙な気配の発信源は、二人の立つ扉の向こう……巴の部屋だ。藍は、陸と目を合わせると音を立てないように静かにドアを押し開けた。

 ……

 カーテンを閉めていない大きな窓から差し込む月の光。その中で、巴は静かに寝息を立てていた。

 ……なんともなさそう……?

 眠る巴の顔を覗き込んだ陸は、顔の前にそっと手をかざして呼吸の状態を確認する。

 ……が。

 問題なさそうだな……

 陸は目だけで巴の状態を藍に伝えた。

 ……と、モゾっと小さく体を動かした巴がすっと目を開いた。金色の瞳に月明かりが差し込んで、猫科の動物を思わせるように輝く。一瞬ふわっと遠くを見たあとに、その瞳は焦点を結んで藍と陸の姿を映した。

「……あれ?二人ともどうしたの?」

 巴の口調は少しぼんやりしていて、子どものように聞こえる。

「『どうしたの?』じゃねぇよ。それは、こっちのセリフだ」

 口調は荒いけれど、優しい手付きで巴の肩に布団をかけながら陸は言う。

「ちょっと妙な気配がしたから、来てみたんだよ。何もなかったか?」

 小さく苦笑しながら言う藍に巴は少し微笑んで返す。

「ん。大丈夫だよ。ちょっと、知らない子が夢を渡って来ただけだから」

 それだよ……

 二人の様子をわかっているのかいないのか、寝起きのぼんやりした口調で巴は続ける。

「知らない子……なんだけど、知ってる気がするんだよね……」

 夢の中に出てきた少女は、これまでに出会ったことのない色彩を持っていた。けれど、その顔を巴は知っている気がする。どこかで見たことのある顔のような気がする。

 長い白い髪と真紅の瞳。悲しげに顰められた眉と揺れる瞳。白いワンピースは、何かの実験着のようにも見えた。

「……また、会えるかな……」

 巴の呟きは、月の光に溶けて消える。


 一方に大きな窓が嵌め殺しの窓がある部屋に彼女はいた。

 白い長い髪をシーツに広げ、赤い瞳で天井を見つめているが、その瞳には何も映っていないようだ。

 窓の反対側にあるドアが静かに開き、外の光が差し込むとともに人が入ってくる気配がする。……と、少女の瞳は、フッと目蓋の裏に隠れた。その様子をみると、まるでずっとこの場で眠っていたかのようだ。あまりに静かで、少女の胸が僅かに上下する様だけが、彼女が生きていることを示していた。

コウ……」

 愛しい者をみるような、甘い瞳で彼女を見つめ、部屋に入ってきた男は小さくその名を呟く。

 そっと頬にかかる髪を避け、その長い髪を撫で、優しく頬に触れる。

「……今日はどこに行って来たんだい?」

 彼の問い答える者はいない。

 雲に隠れていた月が顔を出し、その光が彼を夜の闇から浮かび上がらせる。ハニーブラウンの瞳とプラチナブロンドの髪がキラキラと輝いた。

『ごめんね……』

 煌の声は、彼には聞こえない。

 煌の瞳は、彼を映さない。

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