第15話

 青い海と空。浮かぶ白い雲と波。

 海を切り裂くように白い波を立てながら、ようの乗る小型高速船ムーンリル号は進む。甲板に立って、風を浴びながら見上げると海鳥たちがのんびりと大きな翼を広げて飛んでいるのが見えた。

 ……暇だ。

 ついこの間まで、狭苦しい教室の中で大して面白くもない授業を受けたり、鬼のように厳しい教官の元で訓練を受けたりしていたのが嘘みたいに思えてくる。……むしろ、今の状況の方が、夢か幻か何かの可能性はないとは言い切れない。

 目をやった先には、日を避けたひさしの下で、少しむずかしい顔をして書類に目をやっているらんがいる。

 ……幻ではない……か。

 つい先週までは、軍人を目指して学校に通う勤労学生だったのに、ここ数日でその立場はだいぶ変わってしまったように思う。休学届を提出し、その足で教室に挨拶に行ったら、クラスメイトたちは随分と心配そうな表情を浮かべていたっけ……。グウィン校長だけが、何だか少し嬉しそうな顔だった気がする。バイト先のオーナーにも一応事情を話せる範囲で伝えると、いつものようにそっけなく「そうか」と言われた。でも、別れ際に渡してくれた餞別という名の弁当には、燁が好きなメニューがぎゅうぎゅうに詰められていた。

 ツンデレなんだよな……あのじーさん……

 藍に再会したのは、ついこの間のはずなのに、ずっと前から一緒に過ごしている気がする。それくらい、藍は燁の知っている藍と変わらない。

 思わずじっと藍を見つめていると、視線を感じたのかふっと藍が顔を上げた。

「どうした?腹減ったのか?」

 ふうわりと微笑むその笑顔は、きっと世の多くの女性達を虜にする魔性の笑顔なのだろう。だが、しかし。燁は女性ではないし、何なら藍のその笑顔を見慣れているし、彼に他意がないことを知っている。要するに、藍は燁にとって一緒に育ってきたきょうだい……兄のようなものなのだ。

「減ってねーよ。……どこに行くのかなって思っただけ」

 ともえに頼みたいことがあると言われて、二つ返事で請け負ったものの、その行く先や行った先でやることは全て藍に任されている。昔から巴はかなり藍に頼っていると思っていたけれど、もしかしたら燁が思っている以上に二人の繋がりは強いのかもしれない。

「どこって……あー、まぁ……お前は覚えてないかもな」

 海風を浴びて藍の金糸のような髪がなびく。その視線は遠く海の向こうにわずかに見える島の影に向いている。

 燁と藍の乗っているムーンリル号は、西ノ島ウエストアィルと周辺の島々を結ぶ連絡船だ。西ノ島の港を出発し、五日ほどかけて島々をぐるりと回って、また港へと戻ってくる。基本的に回る島は決まっているが、いくらか料金を上乗せすれば、ルート外の島にも寄ってくれる。燁たちの目的地は、そのような名もなき島だという。

「オレも行ったことある島?」

「もちろん……つーか、当然つーか。まぁ……着けばわかるよ」

 そう言うと藍は再び手元の書類へと向かった。

 着けばわかると言われても……

あとどのくらい乗っていれば、あの米粒ほどの大きさの島のどれかに着くのかわからない。暇をつぶそうにも、つぶすためのモノを燁は持っていない。

 あーあー……なんか持ってくれば良かったな

 せめても……と思い、燁はそんなに広くもない甲板で軽く体を動かすことにする。先日から長距離移動の連続で、ほとんど運動をしていない。日頃授業や何やで体を動かしていた身としては何だか落ち着かないのも事実だ。

 ちょっとした出っ張りに指を引っ掛けて、懸垂けんすいをして体を上げていると、背後からクスクスという声が聞こえてきた。懸垂をしながら振り返ると、燁と同じくらいの年頃かもう少し年長だろうか。青年が口元を隠しながら楽しそうに笑みを浮かべていた。

「何か用?」

 眉を寄せ怪訝けげんな表情で聞く燁に、彼はにこにこしながら言葉を返す。

「ごめんねー。船で筋トレしてる人なんて初めて見たからつい……」

 申し訳無さそうにそう言うが、笑いを収める気はないらしい。目尻にはうっすら涙すら浮かべている。その瞳は、深い海の底のような濃いブルーだった。

「いや、でも暇じゃん」

「暇でも。海見たり、空見たりしてゆっくり過ごしたらいいんじゃない?」

 ……そう言われても、どちらかと言えば落ち着きのないほうの燁にはちょっと難しい。空や海が綺麗だということはわかるけれど、この船に乗っている限り、海に飛び込んで泳ぐこともできないし、ましてや空に向かって木登りだってできるわけがない。妥協しての筋トレだったんだけど……それを説明したところで、相手に伝わる気はしない。

 ふぅっと息を吐くと、燁は手を離してぴょんと甲板に足をつける。

「じゃあ、あんたが相手してくれんの?」

 そう言うと、一瞬驚いたような表情を浮かべた後に、にっこりと満面の笑顔を浮かべた。

「喜んで♪僕はうみだよ。よろしくね」

 人懐っこい顔で差し出された手を握って燁も笑顔を浮かべる。

「燁くんは、盤遊戯ボードゲームは好き?」

 言いながら海がガサゴソと自分の荷物の中から取り出したのは、携帯型の遊技盤だった。西方のものらしく、燁の見知っている遊びとは少しルールも違うようだ。

「将棋ならたま〜にやることもあるけど……」

 主にじーさんたち相手にやらされているので、同年代に比べるとそこそこの実力があると自負している。

「じゃあ、大丈夫だね。基本的には将棋と同じで、王様を取られた方が負けだよ。この駒が動けるのは上下左右で、これはこの方向だけ。こっちはこの方向ね。将棋と違うのは、取った相手の駒を自分のものとして使うことはできないところかな。これは携帯版だから駒は平面だけど、ちゃんとしたやつの駒は、立体なんだよ」

 ざっくりと説明をしたところで、海はニヤリと少し人の悪い笑みを浮かべる。

「燁くん、習うより慣れろだよ。やってみよ〜♪燁くんが先攻ね」

 促された燁は、少し考えてパチリと音を立てて駒を動かす。

「なるほど……燁くん筋が良さそうだね」

 一手で何がわかったのか、楽しそうに笑って海も駒を動かす。

 これは……ちょっと……

 面白いかもしれない。そう思いながら、交互にパチパチと駒を動かして数分……

「あ……負けた」

 海がパチリと駒を動かした瞬間に、思わず声が漏れた。数手先まで考えてみたけれど、どう動かしても負けしか見えない。

「お〜。燁くんなかなかやるねぇ。初めての人とは思えないよ」

 ありがとうございましたとペコリと頭を下げて、海は言う。

「もう一勝負する?」

「いや……そろそろ……」

 燁は海の後ろからやってくる藍の姿に目をやる。どうやら目的地に到着するらしい。いつのまにか、遠くにあった島影がすぐ側まで来ていた。

「そっか。ありがとう、楽しかったよ」

「オレの方こそ。次は負けねぇ」

「ふふふ……楽しみにしてるね」

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