第13話

 待っている人……それが、らんようを探していた理由で、燁がここまでやってくることになったきっかけでもある。

 一体誰が……

 そう思うけれど、それが誰なのか燁は何となくわかっている。

「そうだ。こんなことしてる場合じゃないんだった。ゆかり、こっちがナユタとマナ。仕事したいって言うから連れてきた」

 藍は一歩下がったところにいたナユタとマナを紫の前に立たせる。

「君たちのことは藍からの手紙で聞いてるよ。ナユタくんは医者になりたいんだよね?それだったらここに来たのは間違いじゃないよ。あとで姉を紹介するね」

 にこにこと笑む紫の差し出した手を、ナユタはおずおずと握る。

「さあ行こう」

 紫は反対側の手でマナの手を握ると二人の手を引いて、屋敷の中へと消えていった。

「燁はこっち」

 言われて、燁は藍の後を追う。中庭を抜けると、広い母屋とは打って変わってこじんまりとした離れが見えた。藍はそちらの方に向かって足早に歩いていく。

 夕暮れ時。空は茜色から薄紫、濃紺へと色を変える。太陽とバトンタッチをした月が、姿を表し始める。

 満月だ……

 満月を見ると思い出す。みんなと別れて、初めて一人で過ごした夜も満月だった。明るい月が、少し寂しくてほんのちょっと心細い夜を励ましてくれた。

 またいつか。

 そう言って笑って別れた仲間たちのこともきっと見守ってくれているんだと思うと寂しさも少しだけ和らいだ。あれから、何度も見た満月。見るたびに仲間たちを思い出して、きゅっと胸が切なくなったけれど、それでも「いつか」の約束があったから一人でもがんばった。

「ただいまー」

 カラカラと引き戸を開けて、藍は離れの中に入っていく。燁もその後に続く。

 靴を脱ぎ、上がりかまちを上がり廊下を進む。いくつか角を曲がると、藍はある部屋の前で立ち止まった。

「戻ったぞー」

 言いながら開けたふすまの向こうには、こじんまりとした部屋があった。蝋燭ろうそくの灯された行灯あんどんの光が、部屋の真ん中に敷かれた布団を優しく照らしていた。窓際には部屋の主が使うのだろうか、文机と小さな本棚がある。

 その奥。

 庭の見える縁側に、彼はいた。

 燁たちが通ってきた中庭とは違うこの離れのための庭だろうか。小さな池のある小さな庭を見ていた彼が藍の声にこちらに振り向いた。

「……ともえ……」

 金色の瞳が行灯の光を受けてキラキラ輝く。濃紺の髪は、闇に溶けるように流れ、巴が動くとさらりと揺れる。

「おかえり、藍。燁も、遠いとこよく来てくれたねぇ」

 ふうわりと微笑む姿は、燁の記憶の通りに優しくて、でも記憶にあるよりずっと儚い。あの頃の……自分も含めたくさんの人を率いていた巴は、優しいけれど同時に力強さと人を引きつける強い輝きがあった。でも、今の巴は……

「寝てろって言われてるだろ?」

 藍は少し眉根を寄せて、ズカズカと巴に近づくと羽織っていた薄手の羽織の前をキュッと集めて、夜風が巴に当たらないようにする。

「大丈夫だよ。。最近はすごく調子が良いんだ。今日なんて最高の気分だよ?藍が帰ってきて、燁が来てくれたんだから」

 その言葉に、藍はさらに眉間の皺を深くする。

「それは気分の問題だろ?オレが言ってるのは体調のこと」

 そう言うと藍は巴の体をそのまま横抱きで抱え上げ、布団の上へと運ぶ。もちろん藍が巴を持ち上げることができるくらいの力があるということもあるが、それだけではない。

 薄紫の着物の袖から伸びる腕は細い……というより、細すぎる。薄暗くてわかりにくいが、その顔色も決して良いとは言えないだろう。

 それを見た燁が思わず眉を八の字にしてしまったのに気付いたのだろう。布団の上に上体を起こして座った巴は小さく苦笑する。

「ごめんね、こんな格好で。これでもだいぶ良くなった方なんだ」

 一時期は、布団から起き上がるのもやっとの状態だったそうだ。

「どこか悪いの?」

 心配そうな表情で聞く燁に巴は笑いながら言う。

「そうだねぇ……いっそどこか悪いなら治療のしようもあるんだけど」

 元々虚弱体質きょじゃくだったのに加えて、激務が続いたせいでぶっ倒れてしまった……というのが簡単な説明だ。

「……仕事忙しいの?」

「まぁね。気が休まるときがなかなかなくって……」

 元来、やり始めると根を詰めてしまう性質なのが祟り、ちょっと無理をしすぎてしまったようだ。

「それだけじゃないだろ」

 会話を遮るように言う藍は、ちょっと怒っているようにも思えた。

「あはは……怒んないでよ。まぁ、ホントに……それだけじゃないんだけどね。だから、藍に燁を探してもらったんだ」

 巴の金色の瞳がキラリと輝く。その光の強さに、燁は心の中でホッと息を吐いた。

 良かった……瞳の光の強さはあの頃と変わらない

 あの頃の巴は、燁や藍が所属する部隊の総隊長として部隊を率いていた。あんなふうに絶大な力とカリスマ性を持ち合わせたリーダーを燁は今のところ巴以外は知らない。

「燁は、軍属学校にいたんだよね?」

 まぁ座りなよと差し出された座布団に、燁と藍が腰を下ろすのを確認して、巴は問う。その巴の問いに燁は大きく頷いた。

 どうすれば入学できるかなんかもわからなかったけれど、それだけは決めていたから、別れる前に巴には告げていた。こうして再び出会えたのは、そのお陰かもしれない。

「学校ではどんなことを勉強してるの?」

「一般教養と軍関連の座学とあと実技」

「授業は難しい?」

「うーーん。実技は簡単だけど、座学はちょっと苦手かも」

 そもそも、おとなしく椅子に座ってじっとしているのが性に合わない。

「あはは。燁らしいねぇ。実技が簡単だっていうのは……まぁ、仕方ないよね。実戦とはやっぱり違うし」

 声を出して笑う巴に燁は何だか嬉しい気分になる。

 目の前に巴がいて、話をしているという事実だけで嬉しくって……

「巴……そんな世間話するために読んだわけじゃないだろ……」

 横から藍が苦々しい口調で口を挟む。

「わかってるよ。でも、久しぶりにあったんだから少しくらいいいだろ?」

 巴の意見には燁も激しく同意する。

「お前が言いにくいなら、オレが説明するぞ?」

 藍の言葉に巴が緩く首を振る。

「大丈夫。ちゃんと僕が……僕から説明するよ」

 そう言うと巴は、視線を燁へと移した。輝く金色の瞳の中には、燁の姿が映っている。

「燁は、学校で最近の我が国と外国との情勢は習ってるかな?」

 巴の言葉に、燁は頷く。

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