ひとりの人生にひとつの体なんてもったいない!
ちびまるフォイ
心クラウドのヘビーユーザー
『心クラウドに精神がアップロードされました』
「ほんとにあっという間だったなぁ」
自分の心がクラウドに入ったらしいが体にはなんの変化もない。
5分もかからなかった。
クラウド化を終えた帰り道のこと。
「あぶない!!」
「え?」
声に反応したときにはすでに遅く、車が自分の体を跳ね飛ばしていた。
「うう……痛ってぇ……」
地面に叩きつけられて体はバキバキ。
どんな名医でも治せないほどのケガであることは自分でもわかった。
「OK、ゴーグル。俺の体を……別のに差し替えてくれ……」
『承知しました。新しい体を手配します』
次に目を開けたときには路上に横たわる自分を見下ろしていた。
「痛く……ない。はは、すごい! 体が新しくなったんだ!」
古い体の目からはすでに光が消えている。
ガラスに映る自分は高身長のイケメンになっていた。
「うーーん、これは良い体をあてがわれたなぁ」
自画自賛しているとふたたび声が聞こえた。
「そこの人あぶない!!」
「またかよ!?」
ふたたび体は車に跳ね飛ばされて、また新しい体にクラウドの心を入れ直すことになった。
不幸中の幸いだったのは次の体もイケメンだったことくらい。
もし、人生で自分の体がひとつしかなかったらと思うとゾッとする。
どんなに幸せで、どんなに素敵な人生を送っていたとしても
ある日突然に寝たきりになってしまう可能性だってある。
クラウド化すれば病気もケガも、体を入れ替えればすぐに解決。
「いやぁーーやってよかった!」
新しい体になった影響からか憧れだった彼女もできて、
まさに自分の人生は勝ち組のレールに乗って快速運転を実行中。
そんなある日のおうちデートで彼女は重々しく口を開いた。
「……クラウドやめてほしいの」
「どうしたんだよ急に?」
「クラウド化した前の体がどうなるか知ってる?
ゴミ処理場で燃えるゴミとして燃やされるのよ。人の体なのに。
やっぱり人間の体を使い捨てるなんておかしいよ」
「おいおいおい。そりゃ君がクラウド化してないからそう思うんだよ」
「……クラウド化をやめてなにか問題でもあるの?」
「お……おおありだよ。ほら、病気とかケガとかしたときに入れ替えれないし……」
出張だとか仕事だとかウソをついたあと、
自分の精神を別の体にいれて浮気していることだけはけして言えなかった。
いっときの火遊びを済ませてからまた自分の体に心を入れ直せばなんら証拠は残らない。
もちろん、そんな使い方をしているのはお尻が裂けても言えない。
「これ以上クラウド化するなら私別れるから」
「なんでそんなことになるんだよ!?
付き合ったときはそんなこと気にしてなかったのに!」
「そっちだって、付き合ったはじめのころはもっと優しかった!!」
付き合って初めての大喧嘩は仲直りの方法がわからないままで終わった。
彼女はへそを曲げてそっぽ向いたまま。
かといって、ここで折れてしまえばせっかくクラウド化で手に入れた快適性を失う。
電気やガスを手に入れた人間が、ふたたび石斧の狩猟生活に戻らされるようなものだ。
「クラウド化のよさをわかってもらえれば……」
彼女が寝静まった夜のこと、こっそり心をクラウド化させるアプリを起動させた。
『心クラウドに精神が更新されました』
「これでよし、と」
その音に彼女が目をさます。
「起こしちゃった? ごめんごめん。今ちょうど君の心をクラウド化したよ。
やっぱり実際に体験してみると良さに気づけると思って」
「なんで!? なんでそんな勝手なことするの!?」
「君にもクラウド化の便利さを知ってもらいたいんだよ!
良さも知らないのに頭ごなしに拒否してただろう?」
「私も心クラウド知ってるわよ! だからいやだったのに!!」
良さをわかってもらおうとやったことが裏目に出てしまった。
彼女はふさぎ込んでしまい、同期設定しているためクラウドの心も連動して暗く沈む。
せめて新しい体に入れ直せば、フレッシュな体が心に作用してポジティブに戻してくれる。
そう思ったが効果はなかった。
「もう死にたい……私の心けがされちゃった……」
口を開けば気が滅入るような暗いことしか話さなくなった。
自分が傷つけた手前、別れにくく困ってしまう。
また前みたいにお互いに笑い合える日が来るのか。
「……そうだ。クラウドの心をこっちでいじればなんとかなるかもしれない」
自分の心をアクセスできるのは自分しかいない。
体に入っている心を治そうとしてもうまくいかないのなら、
抜き身で置かれているクラウドの心を矯正すればもとに戻るかもしれない。
空き巣同然で彼女の部屋に入ると、彼女のスマホから心クラウドへのアクセスキーを手に入れる。
あとは、クラウドにアップされている心をいじればいいだけ。
心クラウドにアクセスすると、彼女の個人フォルダにはすでにたくさんの心が並んでいた。
・彼氏_付き合いたての頃
・彼氏_ラブラブ期
・彼氏_まじめモード
・彼氏_テンション高いとき
・彼氏_テンション低いとき
・彼氏_甘えさせてくれるとき
・彼氏_予備
・彼氏_予備(1)
・
・
・
彼女の個人クラウドにアップされていたのは、俺自身のさまざまな状態の心だった。
「こんなのいつのまに……」
大量に用意されている差分の最後に目が入った。
・彼氏_初期化用
『心をダウンロードします』
電子音声に気づいて振り返ると、彼女は2台目のスマホで心を落としていた。
「彼氏_初期化用」の心がぐんぐん自分の体に入ってきた。
目が覚めたときには、やっとできた素敵な彼女が目に入った。
「おはよう。飲みすぎて倒れてたみたいね。なにか覚えてる?」
「ううん? なにも。でも君を好きなことだけは忘れてないよ」
「嬉しい! もっと言って! 付き合いたての頃みたいに!」
彼女は嬉しそうに笑った。
ひとりの人生にひとつの体なんてもったいない! ちびまるフォイ @firestorage
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