3 「狂気のための愛と死」(5)
静まり返った敷地内をぐるりと偵察してまわり、表に立つ見張りを労って、資料と机のある事務室へ入る。明かりがついていたが人気はなく、ナルオミは安っぽい回転椅子に腰をおろした。
机に積み重ねた書類や資料の束を一瞥して、ため息をつく。思考がまとまらず、何から片付けるべきなのかがわからなかった。壁際のボードに置かれたウイスキーが目に留まる。ナルオミは締めたばかりのタイを弛めて、椅子から立った。
蛍光灯の白けた明かりの中にあっても、脳裏にアキの涙がちらついた。なぜと訊けなかった自分を今さら責める。
「浮かない顔だなあ」
突然、背後から声が上がり、ナルオミはウイスキーに伸ばしかけていた手をとめた。声はサカキのものだった。
おもむろに振り返ると、ボードの手前に置かれた対のソファに、サカキが寝転がっていた。
「いたのか」
「子守りをしながらは忙しいだろう。手伝ってやろうか」
「遠慮しておく」
ナルオミはグラスを二つとって、ソファの間にある卓へ置いた。
「久しぶりに巡回してきたが、どこも盛況だな」
「総統の戦略勝ちだ。堅気の客も増えたと聞いている」
部屋の角にある年代物の冷蔵庫から氷を出し、ウイスキーとともにグラスの横に並べた。ナルオミは自分のグラスにだけ氷を入れてウイスキーを注ぐ。サカキはなんだとこぼして起き上がり、グラスに氷を投げ込んだ。勢いよくウイスキーをついだせいで、飛沫が周りに散った。一応と断って、グラスを合わせる。
「龍征会のじじいが来ていた。随分機嫌よく帰ったぜ。総統によろしく言ってな」
「補佐役をいただいた。先代も望んでいた役職だ」
「どんな根回しをしたんだ」
「根回し? 総統の力に決まってる」
氷に沿ってゆらゆらとウイスキーの表面に波紋ができる。まるで生きているようにも見える。
サカキは鼻で笑って、煙草に火をつけた。
「しゃあしゃあとよく言う。誰も坊ちゃんの手腕だなんて思ってないぜ。なあ、影の総統さんよ」
機嫌よくそう口にしたサカキだったが、ナルオミの顔を見上げて呆れたように苦笑した。
「そう睨むなよ」
まだほとんど灰のない煙草を灰皿で弾いて、首を鳴らす。
「なんだかな。どうもおままごとみたいでな。あんな乳臭い坊やの指示を、ありがたく聞く気にもなれねえ」
「サカキ、口が過ぎる」
「なあナルオミ、いっそあんたが座ったらどうだ、あの椅子に。血こそ繋がっていないが、あんたは一応親父さんの養子なんだろ」
それは組織内の誰もが知る禁句だった。ナルオミは目をあげてサカキを一瞥した。
「それがどうした」
「あんたにだって立派に総統の資格があるって話さ」
「養子縁組は先代からの慈悲だ。道具にしていいものじゃない。それに必要なのは血筋だ。見た目の系譜に意味はない」
「どうせカイトに言いくるめられたんだろう。あいつぁ、口だけは達者だったからなあ」
「おまえほどじゃないさ」
それもそうかと、サカキは膝を叩いた。
「おれぁ、あんたのことは嫌いだが、あんたの能力は買ってるんだ」
「そうか。おれもおまえのことは嫌いだが、能力は認めている」
「気が合うねえ。なんならここをぶっ壊して、新しく組織を作ってもいい。そうすりゃ養子縁組を道具にはしないぜ。おれとあんたが組めば、そんじょそこらの組織には負けない、どこの派閥にも屈しない、独立組織が作れる」
サカキはへらへらと笑っていたが、目の奥はひどく冷めていた。彼は本気だ。ナルオミはサカキから目を逸らさず、彼の続く言葉を待った。サカキは少し思案する素振りを見せて、身を乗り出した。
「ハセさんの動きが怪しい。こないだの襲撃についても、あんまり追及したくない、いや、されたくないみたいだし。実際あの人が狙撃手と絡んでから、なあなあになっちまった。ハセさんがただ抜けるだけならまだしも、あのおっさんは多分それだけじゃ済まない。あとのことを考えて、取り込めなかった人間は生かしておかない。やるなら、あの人が行動を起こす前にどうにかしねえと、無駄死にすることになる。どのみち、ここは長くないぜ」
グラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干して、サカキはソファから腰をあげた。最後の一口を大きく吸って、煙草を灰皿に押しつける。
ナルオミはサカキの口から洩れる煙を見上げて、首をかしげた。
「なぜハセベさんにつかない。乳臭い総統につこうとする。そこまで言うからには、おまえのところに声はかかってるんだろう」
問いに、サカキはにやりと笑うだけだった。それが彼の忠誠ということか。
「ああ、そういえば、坊やに伝えといてくれよ。夜は音量に気をつけろってな」
「え」
ナルオミは思わず間の抜けた声を出した。サカキは頭を掻いて、ため息をつく。
「あのレコード、いい加減聴き飽きてきたからな」
「レコードか。わかった、伝えておく」
「よろしく頼むぜ。離れだからって、何も聞こえないわけじゃないんだからさ」
部屋から出ていくサカキの背中に、彼の真意を見出すことはできなかった。
アキが女であることと、アキとナルオミが関係を持っていること、はたしてどちらの露見が厄介か。
それは、アキの正体が明るみに出ることだ。
ナルオミはグラスを揺らして、アキの声に似た氷の音を聞いていた。
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