4 ラストコール
4 ラストコール(1)
照り返した太陽より、夜へ侵食する朝靄のほうが、いっそう白い。
船のない夜の海より、強い日差しに縫いつけられた影のほうが、いっそう黒い。
白と黒。朝と夜。表と裏。光と影。
それらはいつだって寄り添いながらも、絶対に染まらない関係にあった。たとえば白のあるところには黒が、黒のあるところには必ず白がある。しかし繋がりの強さとは裏腹に、どこまでも相容れない運命だ。それらは永遠に手を取りあうことのない、背中あわせの存在だった。
ナルオミは闇を深めていく東の空を眺めて、なぜ夜が更けて朝が訪れることを繰り返すのか考えた。何度越えても越えられない境界で、どうしていつまでもせめぎあうことができるのかと。
ただ繰り返すしかできないのではない。これは諦めの繰り返しではなく、手探りの繰り返しなのだ。でなければ、その繰り返しはあまりに悲しい。
背中あわせの二人は、本当はいつか混ざりあう日を待っている。欲しがりあって奪いあったその末に、二つの運命が溶けあう日を待っているのだ。だから、繰り返す。
だがはじめは互いの喉元に刃を向けるような激しさも、やがて繰り返しの中で輝きを失っていく。
もし、いつまでも鮮烈に繰り返すことができるなら、繰り返しは繰り返しでなくなるだろうか。繰り返しのひとつひとつが永遠になれるだろうか。
空には夜が濃く染み出して、闇が深まり始めた。月の輝きは奔放で、見る者の羞恥心を煽る。
ナルオミは黒く澄み切った空に、白い息を吐き出した。
龍征会補佐役の就任式が、一カ月後に迫っていた。会場の確保、警備の配置、警察への計らい、招待状の配送など、ナルオミに課せられた業務は多く、片付く日が来るのかと疑問に思うほどだった。
式次第はすべて前例を踏まえる必要がある。組織にとって式の形式は何より重んじられるものだ。違えるわけにはいかない。寝る間を惜しんで、膨大な量の資料に向かい合う。かろうじて食事はとっていたが、それもいつどんなものを食べたか思い出せない有様だった。
疲労感の頂を何度も通り越すと、どこか吹っ切れた気持ちになって、ナルオミは作業の手を一時とめた。とっくに日付は変わり、屋敷内は静まり返っていた。そばで資料を並べていた若い男に今日はもう休むよう声をかけ、ナルオミはひとり風呂へ向かった。
狭いユニットバスはすぐに湯気でけむり、壁のタイルは水滴に覆われた。熱いシャワーを頭から浴び、体中にこびりついた疲れの泥を洗い流す。だが流せば流すほど疲れが増し、ナルオミは濡れたタイルに手をついた。
アキにはもうずっと会っていなかった。遠目には何度も目があっているし、報告のために部屋も訪れている。だが以前のように肌を重ねることは、もうなかった。就任式の準備で忙しいナルオミを気遣うように見せながら、完全に避けられていた。
不満がないわけではない。だがそれがアキの選ぶ道ならば、仕方がないと思えた。それよりもナルオミが気にしているのは、むしろアキのあのひび割れそうな孤独だ。アキが望み、アキが選んだことであっても、それがすべてアキのためになるとは限らない。アキを傷つけてしまうことは往々にしてある。ナルオミはそれを怖れていた。
あの夜の、アキの涙を思い出す。
『大好きだから。おまえだけだから。それは、変わらないから』
声を殺して泣きながら、彼女は懸命にナルオミとの繋がりを求めた。たどたどしい腰つきを、ゆかしい恥じらいを、果てない渇望を、ナルオミは今でもはっきりと思い返すことができる。胸に落ちた彼女の汗と涙は、このシャワーよりずっと熱かった。
雲の上に立つような浮遊感に、シャワーをとめる。壁に手をついたまま、しばらく動けそうになかった。
白くくもった鏡に自分の姿を見つける。手で表面を撫でると、船の軌跡のように水滴が後を引いた。
『ぼくの、ぼくだけの十字架だ』
胸元の十字架が滲んで、すぐにまたくもった。
おそらくアキには何か目的がある。それはアキがここにいる理由、アキが男と偽ってまで総統になった理由にも通じるはずだ。
いくつもの言葉や思考が、とりとめなくナルオミを掠めて過ぎ去っていく。しかしどれも形にはならず、不揃いなまま、一秒前の過去に散らばっていった。答えは、すでにこの破片のなかにあるのだろう。組み合わせれば、アキに近づくことができるのだろう。それでも答えを出すことを、ナルオミは怖れた。
導き出した答えがアキになってしまうことを、嫌ったのだ。
自分の中で、自分のイメージでアキを作り出してはいけない。意図を汲むことと、深読みすることは根本的に違う。ましてや、先回りして望みを叶えるなど、自己満足でしかない。傲慢で独りよがりな情交と同じだ。
アキのためにナルオミができることは、ただひとつ。彼女が望んだことを何があっても必ず叶えるだけだ。たとえそれがナルオミの意に沿わなくとも。
ぽたぽたと水の落ちる音が気になって、きつく栓を閉める。すっかり冷えた水滴が前髪から垂れ、足の指で弾けた。
体を拭いて服に手を伸ばすと、そこには見慣れたネックレスがあった。アキの鎖骨でいつも煌めいていたものだ。扉を開けて辺りを窺うが、アキの姿はない。仕方なく服を着る。
上着にくるんであったホルダーを手に取ると、いつもと重さが違った。見ると、自分の銃ではなかった。弾倉に弾丸が入っているのを確認して、ホルダーに戻す。ナルオミはすぐにアキの部屋へ向かった。
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