時はあっという間に流れ、友幸は小学生になった。とはいえ、近所はもちろん、幼稚園ですらろくな友達を作れなかった友幸は、困りに困りはてて、ふと目についた学級文庫を手にとって時間を紛らした。偉人の伝記、江戸川乱歩の少年探偵、理科関係の学習本、はだしのゲン。比較的古めなラインナップのうち、手近なものを無秩序に選んで、目を通した。とはいっても、最初の頃はひらがなやカタカナすら読むのもおぼつかず、意味がわからないままパラパラと捲るのみであったが、幼年期の長い長い体感時間を紛らわすいい暇潰し程度にはなった。というよりも、何も考えないでいい暇潰しになる分、比較的ましだったといっていい。

 最悪なのは、クラスの連中にドッジボールに連れて行かれる時。やる気もなければ、たいした運動神経もない友幸が連れられていく理由は、ひとえに面白いほどボールが当たる的としての役割にほかならない。とりわけ、普段的に甘んじているものたちの飢えを満たすために召喚されたと言っていい。ボールを取るのも投げるのもままならない友幸は、内野にいれば的にされ、外野にいれば体ごとぶつかられたりもした。ほんのたまにボールを投げるタイミングが訪れても、やまなりの軌道で弾速は遅く、簡単にキャッチされた。その際、酷い時には投げたボールを相手がボールを掴んだ瞬間に、なにをやってるんだ、と殴打されることもあった。当然、殴られて痛いだとか、クラスメートたちと顔を合わせるのが嫌だとかいう気持ちはあるものの、友幸としては、できるだけクラスメートを避ける、という選択肢以外、頭にない。仮に怒りくるって抵抗したところで、教室にいる同年代の子供たちはほとんどが友幸より体が大きく、逆にぼこぼこにされるのは明らかに思えた。とりわけ、自分より体の大きな人間に勝てないのは、姉の綿子との数かぎりない小競り合いが証明している。現に、この頃の友幸はもはや抵抗の類をやめていて、知らず知らずのうちに何かをしでかしたり、やらかしてしまった場合は、相手の罵倒や暴力に身を任せ、黙りこんで受けいれることがほとんどだった。

 体の外で起こることの全ては天災である。仮に嵐のようなものであるとするならば、人間の手でどうにかなるわけもなく、そもそもどうにかしようというのがおかしいのだろう。当時の友幸の思考と感覚が混じりあったものを敢えて言語化するのであれば、こんな具合だろうか。とにかく、よくわからないまま聞いてる授業と意味もわからないまま本を読んでいる時間以外は、誰かがやってくるのを常に恐れていた。

 もう少し、友達ができるよう、頑張ってみたらいいんじゃないかな。

 一、二年の時の担任の言葉でもっとも印象に残っているものがこれだった。一人教室に残されて言われたのか、あるいは家庭訪問の際に言われたのか。細かいところは曖昧であるが、その際の女性担任教師のどこか引き攣った笑顔は、今も脳裏に焼きついている。

 

 こんな日々が続く中、同じ学校にいる姉とも時折、すれ違った。普段は教室がある階が違うため、なかなか出会わないものの、クラスメートたちに外に連れ出される際は、相変わらず活発だった姉は大抵校庭にいるため、顔を合わせた。益々、背が高くなりすらりとした姉は、友幸を見つけると途端に嫌なものを見たとでもいうように眉を顰め、すぐさま目を逸らす。弟の方も弟の方で、また殴られたり怒鳴られたりするんじゃないかと常にびくびくしていたため、ささっと見なかったふりに徹した。共通の知り合いが話しかけないかぎり、お互いに無視するという暗黙の了解が成立していた。

 とはいえ、こうした姉弟の気持ちを知らない外野、とりわけ友幸と同じクラスかつ近所に住んでいるような子供は、校内で人気者な姉を見つけると、反射的に挨拶をすることが多かったし、場合によっては積極的に呼び止めたりした。

 今日もトモと遊んでやってるんだぜ。

 近所の子供の一部は、こんな具合に、友幸自身はちっとも望んでもいないことを姉の前でこれみよがしに主張した。その際、姉はその近所の子に、ありがとね、と人懐っこい笑みを向けたあと、その子が別の方を向いたのに合わせ、蔑むような目線を弟へと注いでみせた。

 なんでお姉ちゃんは、ぼくとあいつらとでこんなにも違う顔をするんだろう。当時の友幸にはよくわかっていなかったものの、同時にこれが日常であるため、理由はわからないながらも、そういうものだ、と受けいれていた。そして、そんな弟を見て、姉は短い髪を乱暴に掻きながら、忌々しそうな目を向けるのだった。

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