諦めの気持ちが湧き上がった

島尾

「すべて」というワードについて

 履歴書に空欄をつくったことで、親に怒られた。


 もし俺が高卒の人間なら、それは仕方ないことだ、と諦められただろう。


 しかし俺は。現在25歳。


 バイトの履歴書。


 

 高校生の時は、怒られたら反発する気持ちだけが湧いた。厳密には反論めいた思考にふけったけれど、「自分の考え」と言える、いしずえのような考えは持ち合わせていなかった。


 今日親が怒った時、「すべて」というワードを強調していた。


 俺はピンと来た。


 自分には現在、礎と言えるだけの考えがある。簡単に「すべて」「全部」というワードを使えるシチュエーションなどない、というものだ。考えに考え抜いた結果であったり、あるいは論理的に自明であったり、それ以外にパッと思いつかないけれど、決して安易に「すべて」を使うべきではない。


 

 俺は、一切反論しなかった。すれば、ケンカになるからだ。そんなものはストレスを生むだけだ。

 と、ここで「~なだけだ」と安易に書くのは間違っていた。現にこうして「エッセイを書く気分」を与えられたからである。それは自分にとって得だと思う。


 



 きっと、世の中でも「すべて」という言葉が頻繁に使われている。それが本当に「すべて」と言えるくらい一般性を持つのか、これからも考えていく。

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諦めの気持ちが湧き上がった 島尾 @shimaoshimao

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