アニヤ、その目を見せて
鍋島小骨
一 鎮守の森、朝まだき
「第四の
――新約聖書『ヨハネの黙示録』第八章十節)
* * *
改元し数百年ぶりの上皇が生まれ、何とかという呼吸器感染症が猛威を振るい始めてガチの物忌みが全国民に求められ、寺社仏閣は祈祷を行ったが甲斐なく疫病は広がり続け、そしてこの春からは正体不明の流星があちこちで観測されるようになり、続いて記憶喪失の人間が各地で傷害事件を起こしては逮捕されるという訳の分からない報道が続いていた。世も末の祭りである。世界は終わらない非日常と不安に満ちていた。
しかし、それは俺とは特に関係のないことだった。関係があるとすれば疫病で人々の行動様式が多少変わったことだけ。その点だけは俺の狩りに影響する。
俺は、人殺しだ。
今は疲れ果てて神社裏の森を歩いている。身体が鉛のように重く、慢性の頭痛が波のように頭を締め付けていた。
夜明け前の青みがかった影の中を歩く。社殿の裏側を通過すると長い石階段があり、降りて鳥居を出れば住宅街だ。地図によれば。
始発で逃げよう、と思う。次はどこに行くのか。多分どうでもいいのだろう。どこに行っても自分は、殺すのだと思う。理由もなく。
疲れた。
いつまで続くのだろうか。
いつから自分は気が狂っているんだろう。
もう終わりにしたい。早く。
……そう思いながら歩いていくと、行く手に人影を見つけた。
溜め息が出る。あれも殺してしまうのだろうか。何でこんな夜明け前に神社なんかに来ているのだろう。流星を見に? 確かにここは高台で、鎮守の森の切れたところから空がよく見える。
夜の影が払われ明るくなり始めた社殿の隣で、変な服を着た女が膝をついて東を見ているのだった。近くに人が来たのにも気付いていないのか、じっと遠くを見て。
「大丈夫?」
声をかけると、女はびくりと跳ね上がるように身体を震わせて飛びのき、社殿の壁に肩を打って小さく声を上げた。
「おい、」
「いつからそこに」
「今だけど」
「この世界にもこんな
地面に膝をついたまま女は、自分の鎖骨の下あたりをくるりと指で示した。
「……銀の紋章のある者を、ご存知ありませんか」
「は?」
俺はジャンパーのポケットに手を入れた。ナイフの束を握る。この女、何者だ?
見たところ二十歳にはなっていないか。現代風の袴みたいな見慣れない服を着て、両手首にたくさんのブレスレット。大振りのペンダントとピアス、茶と金の混じった髪は見たこともないような編み上げ方をして小さな飾りをいくつもつけている。目には、茶色だが虹彩がみかん色にも見える珍しい色のカラコンをしていた。目尻に珍しい金色のアイライン。そしてノーマスク。全体に、変わっている。
……この格好、どこかで見た気がする。コスプレなのかな。そう思ったが、それにしては質問がおかしかった。
「銀の紋章……」
「ご存知ですか?」
ポケットの中でナイフを握り直す。鞘はついているが払うのは一瞬で済む。
「ご存知っていうか、多分、」
ああ、もう明るいのに返り血を浴びるのはうまくないな。それでも俺は殺してしまうのだろうな。
何か期待したような表情の女に、それは俺かも、と言いかけたとき、木立の向こうから複数の足音が駆けてくるのが聞こえた。無線の音。警棒の伸びる音。
やっと来たか、のろま共。恐らく俺は自動的に抵抗してしまうが、殺されずにちゃんと捕まえてくれないと何も終わらない。さあ頑張れ公僕、やれるものなら俺を停めてくれ。
と、思った瞬間だった。
バチバチッ、と強い火花のような音が何度か鳴って、走り寄ってきていた運動量のまま前のめりに、警官たちが木立の間に倒れ込んでいく。
二度目の「は?」が口からもれて消えた。
何が起きた?
見ると、コスプレ女が立ち上がって木立の方に差し出した手を下ろすところだった。手首のブレスレットがまだ小さく火花を散らしている。
「……おい、何した」
「あなたは何かご存知のようでしたので、邪魔を排除したまでです。あ、もしかしてお知り合いでしたか。すみません」
「お知り合い……みたいなもんではあるけど」
うち二人くらいは勘がよくて割としつこい刑事だよ。まだ顔は見られてないし、友達なんかじゃねえけど。
「じゃなくて、なに今の。気功?」
「キコ? いえ、簡単な魔法ですよ」
あれ? これはもしかして。
呆気に取られているうちに女はぐいぐい近付き、こう言った。
「さあ、教えてください。銀の紋章のある者をご存知なんですね?」
まあまあ美形なんだけど、なんかヤバい奴。ようやくそう判定することができた。判断が遅かった。
こいつ、連続殺人犯の俺よりも本質的にヤバい、本物の電波なのでは?
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