第19話 バロンの散歩
暑くもなく寒くもない、王国人でも過ごしやすい季節、タルールに冬がやって来た。
その短い冬の間は、リゼットが犬のバロンの散歩係だ。
長い夏の間、横笛を吹いてアレクシスたちの帰りを待っていたリゼットだが、冬は先に帰る。
そんなに遠くない一本道だし、リゼットは一人で帰っていたのだが、転校生男子に懐かれたりしてからは、アレクシスが侍女たちに迎えに来させるようになっていた。
リゼットは
それから部屋に上がって荷物を置いてから、一階の食事室でおやつを食べ、トイレに行くのが、リゼットのルーティーン。
この家の元の住人の古代エアデーン人は、家族で住んでいるわけではなかったらしく、プライバシー確保のためか、各個人の部屋にトイレとバスルームがある。
バロンは再び自分の部屋に戻るリゼットに付いてきて、トイレの扉の前でお座りして、彼女を待つ。
その後、リゼットが一階に再び降りてきて、モタモタしていると、バロンはソワソワする。
リードを収納している引き出しや、玄関の扉、そしてリゼットと、ウロウロしながら視線で「散歩に行かないの?」と忙しく訴えてくるのだ。
リゼットがいよいよリードの入っている引き出しを開け、リードを取り出すと、バロンはリゼットに向かってぴょんぴょん跳ねる。
興奮するバロンにリゼットが合図を出すと、バロンはハウスに急いで入り、トイレシーツの上でオシッコをする。なくてもひねり出してくれる。
……このトイレの躾(だけ)は完璧なのが、リゼットの自慢である。
ところがリゼットがバロンにリードを着けようとすると、バロンは何故か逃げる。
以前、そんなバロンを追いかけ回してリードを着けたことがあり、そのやり取りは遊びのひとつだと思っているようだ。
なので最近は、リゼットは玄関にしゃがみ、しつこく「おいで」を言い続けることにしている。
バロンの脳が残念な具合に出来ているせいか、それとも、自分の意思に反する命令だからか、バロンはなかなかリゼットの元にやって来ない。
しばらくして、何度目かの「おいで」が、やっとバロンの脳に届いたらしく、バロンがスタスタスタと玄関にやってきた。
……走るでもなく、歩くでもなく、その中間のスタスタスタ。
「ホントにバロンはお散歩に行きたいと思ってるのかしら?」
〈しっぽがゆれてるからよろこんでる〉
と、今日の付き添いの侍女のンケイラが伝えてくる。
タルール人たちは声を出さずに思念でコミュニケーションする。
犬も声を出さずに色々訴えてくるが、タルール人にも犬の思念は判らないらしい。
だから、ンケイラもリゼットと同じく、バロンの気持ちを何となく察しているだけなんだそうだ。……残念!
家を出ると、すぐにもよおすバロン。
キッチリ拾うのは飼い主として当然である。
出すもの出して、スッキリしたバロンといつも通り、坂道を上っていく。ジンシャーン居住区は、上に行くほど豪邸になり、見晴らしもよくなる。
リゼットの家は古代エアデーン人の建てた無機質な建物なので、ステキなレンガ作りの家を眺めるだけで、リゼットはうっとりしてしまう。大好きなエドウィンおじ様の設計だと聞いてからは、眺めるのがますます好きになった。
ンケイラはスーよりも若い侍女で、リゼットとアレクシスを何かとくっつけたがっている。アレクシスに言われたことを話すと身もだえたり、リゼットの受け答えを聞いては、〈おじょうさま、それはかわいくない〉とか、ダメ出しをしてくる。
そんな話をしながら、坂道をゆっくり上っていると、ジンシャーン内をランニングする中等部ペールチームの集団が下って来た。ヴィクトルが先頭、オリガやアレクシスが続く。
リゼットに気づいたヴィクトルが手をあげ『よぅ』と言ってくる。リゼットは立ち止まって、集団をやり過ごす。
オリガや他のみんなも手を振って挨拶をしてくれたので、リゼットもバロンのリードを持っていない方の手を振って応えた。
〈アレクシスさまは、てをふらなかった。おじょうさま、けんかしてます?〉
「してないよ?」
〈じゃあ、なにかつたえてきた?〉
「何も伝えてこなかったよ?」
ンケイラは何故かがっかりしている。
ヴィクトルの家の前あたりで折り返し、道は下り坂になる。
今度は公園で遊び帰りの小さい子どもたちに会う。子どもたちが犬を触りたがるので、リゼットはしゃがんで撫で方を教える。
……頭の上に手を出すのではなく、下から手を伸ばして、まずは匂わせてから、優しく撫でて、と。
子どもはまずは頭を撫でたいだろうけど、バロンは叩かれるのではないかと怖がる。
子どもは下から手を出すのは、バロンに噛まれるのではないかと、やはり怖がる。
バロン vs 子ども ビビり対決である。
今回も、勝者は子ども。
勝負は子どもたちがバロンを撫で回し、バロンが尻尾を隠し、ひたすら耐えている感じで終了した。
……バロンがもっと人懐っこい犬だったら、もっと人気者になれたのに。
***
坂道を下りきった頃には、すっかり陽が落ちて、あたりは薄暗くなっていた。
二人と一匹は、学校のそばの公園のベンチで時間を潰す。バロンは、公園に生えている草を匂うのが好きだ。
ンケイラにタルールのことを色々教えてもらっていると、学校の方から人影が近づいて来た。
〈アレクシスさまだわ〉
「ふふ。バロンはいつ気がつくかしら?」
犬は鼻が良いとか、耳が良いとか言うけど、ダメ犬バロンはアレクシスの気配になかなか気がつかない。伸縮性のあるリードなので、バロンが一番アレクシスに近い位置にいるのに……。
「おかえり~、アレクシス」
そのリゼットの声で、ようやく顔をあげたバロンがアレクシスに気付き、尻尾を振りながら、二本脚でアレクシスに飛びつき、足元で細かくジャンプする。
〈相変わらずニブイな、バロン〉
アレクシスはしゃがみ、バロンを撫でて落ち着かせる。
そして、首輪の辺りに手を当て、何かを考え込んでいる。アレクシスがよくやる仕草。いつも掻いてあげたら良いのにって思う。でもバロンも何だかうっとりした顔をするので、嫌なわけではなさそう。
そうして、二人とお付きの侍女は、犬の散歩を再開させ、家路に向かうのだった。
***
わたくし、ンケイラは、リゼットおじょうさまの、ジジョでございます。
アレクシスさまは、タルールじんとおなじように「おハナシ」できます。
こえにださないと、「おハナシ」できない、おじょうさまや、ロナルドさまよりも、スゴイひとです。
いまも、おじょうさまは、こえにだして「おハナシ」しており、ンケイラにも「つたわる」のですが、アレクシスさまの「おハナシ」は、おじょうさまにしか「つたえていない」のです。
さらに、アレクシスさまは、とおくから「おハナシ」をすることもできます。
こんなこと、タルールじんの「おうさま」にしか、できません。
アレクシスさまは「おうさまレベル」だと、ンケイラはおもいます。
その「おうさまレベル」なアレクシスさまに、「ひどい!」とか「意地悪!」とか、おじょうさまは、いつものもんくをいっています。
たぶんアレクシスさまは、おじょうさまを、からかっているのでしょう。
でも、ふゆのあいだは、まいにちバロンのさんぽで、アレクシスさまを、こうえんでまつ、おじょうさま。
そんなおじょうさまを、やさしくみつめる、アレクシスさま。
……おじょうさまがなんといおうと、ふたりはもう「デキテ」いるのですわ。
ンケイラは、そんなごしゅじんたちを「ニヨニヨ」ながめるのが、だいすきです!
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