第6話 涙

〈父上、今のうちにグレーンフィーン伯には説明しておいて下さい〉


 アレクシスは、父エドウィンにのみ伝えるチャネルを開いて、思念を送った。グレーンフィーン家の二人には伝わらないよう、暗号化の上で……。


「ハイハイ、了解。仲良くな」


 そういうとエドウィンは手をヒラヒラさせた。アレクシスは、リゼットに腕を取られ、二階への階段を上った。


〈そこでどんな会話がされているか、聞いていますので。あまり余計なことは話さないで下さいよ〉


 アレクシスが、思念通話で警告しておくと、


〈だが、ロナルドは私が急いで戻った理由までは知っている〉


 と、父エドウィンから思念での返答があった。アレクシスはため息をつき、


〈なら仕方ないですね。まぁ、伯には事情を全部、知っておいてもらった方が良いかもしれない〉

 

 今後のことを考えれば、父親たちの会話の内容を把握しておく方がよいだろう。……だから食事室の音を拾うよう、「星屑」と呼ばれる特殊加工された金属で出来た父の指輪を、「耳」として利用することにした。

 そうしておいて、この少女の前ではその相手をして、子どもらしく振る舞っておく。


 リゼットには、初対面で「暗示支配」を試みてみた。自分に興味を持つなと。要らぬ詮索は避けたかった。

 だが、その瞬間にリゼットは何かを感じたようだったので、すぐにやめた。

 タルールには、エアデーン人を暗示支配するのに必要な、王国の「星の塔」の魔力が届かないせいかもしれない。


 柔らかな腰まである金の巻き毛は、その半分を軽く編み込み、水色のレースのリボンで止めてある。顔立ちは間違いなく美少女の部類に入るだろう。少し垂れた灰青色の瞳は、長い睫毛に覆われ、くるくるとよく動き、愛嬌がある。

 

 だが先程の食卓での、一人でずっとベラベラ喋っている様子と内容からすると、「美少女」の前に「残念な」がつくタイプの美少女だな、と思った。


 そんな失礼なことを考えていると、部屋の前でリゼットは不意に振り返り、灰青色の瞳でアレクシスを下から覗きこんだ。

 二才年下の十二才だと聞いていたが、リゼットは他の王国人女子の平均身長より低いのではないだろうか。

 何か問いたげな目をする。思念通信に気づいたのか?


「そういえば男の子を部屋にあげるのは初めてだけど、いいのかしら?」


 ──え、今ソコか?


〈いいんじゃない?〉


 リゼットに「暗示支配」が効かないからと、ちょっと買い被っていたかもしれない。天然ぶりにあきれる。



 リゼットは部屋に入るなり、床に置いた大きなクッションの上でワフワフと犬と戯れだした。犬の尻尾も、千切れんばかりに揺れている。


「あ、私ばっかりごめんなさい。バロン、アレクシス様よ。しばらく一緒に暮らすんですって」


 そう言って、犬を抱え、ソファーに座っていたアレクシスの方向を向かせた。アレクシスは、


〈『様』はいらない。ここでは『アレクシス・レーン・レナード』と名乗るつもりだ〉

 

 と伝えた。

 現在アレクシスが持つ聖名「セイレーン」は、ジーラント人にとって暗示支配されてしまう畏怖の対象だし、「セントレナード」は王位継承権第三位の意味の儀礼称号だからだ。

 

 リゼットは戸惑いもなく「わかった!」と了承し、脈絡なく


「じゃあ、アレクシスも抱っこしてみる?」


 と言って、アレクシスが「ウン」とも「ウウン」とも言ってないのに、無理矢理アレクシスの膝の上に、犬をおこうとした。

 

 リゼットは、人見知りのバロンが尻尾を振りながら、素直に抱かれに行くのが珍しい、と喜んだ。手の置き場がどうの、ここを持って支えてやれだの、彼女から注意事項が飛ぶ。

 

 そうして犬が落ち着くと、さらにどこを掻いてやれと指示が来る。

 先程、リゼットが掻きまくっていたからもういいじゃないか、と思ったが、言われた通りやってみる。

 犬は、人に撫でられるのを好む動物らしい。慣れてきたので、首から背中にかけて、ゆっくり撫でてやる。


「首輪のあたりも痒そうで、よく後ろ足で掻いてるの。だからそこも掻いてあげて。喜ぶわ」


 そう言うので、首輪を少しずらして、掻いてやろうと、触れた瞬間、アレクシスの「神の指先」は、この犬の首輪の下、皮膚の中に埋め込まれている、普通の人間には気がつかない「神の遺物」に触れた。

 父の持つ指輪と同じ、通称「星屑」と呼ばれる情報端末だ。

 

 さらに「指先」で探る。

 ハイラーレーンの力で、この「星屑」を通して犬の現在地を特定したり、また犬の記憶野を補完し、犬の過去の行動や見聞きした映像を引き出すことが出来そうだ。


〈この犬は王国から連れてきたの?〉

「そうよ。エドウィン様が去年お別れに下さったの」


 父が自身の代わりにグレーンフィーン家に与えた「星屑」を付与した犬……。

 エレオノーラ伯母上がそんなことをするはずがないから、実際に仕込んだのは祖父のアンドリュー国王陛下か……。祖父はこの犬に何を託したのだろう。


 思考は下の階の会話に引きずられる。

 ……ジーラント人を従える「星の制御者:セイレーン」の力。

 その力は母にすら、死を命じ、その命令は絶対である。この強すぎる力は、王族でも限られた者が持つ。

 エレオノーラ伯母上が救ってくれなければ、この呪いとも言うべき力を身の内に飼う恐怖に耐えかね、あのまま死を選んでいただろう。

 

「ねぇ、アレクシス、さっきから声に出して話さないけど、喉を痛めてるの?」

〈ああ〉

 

 思考に沈みながら、目の前の少女の質問に、適当に応える。

 

 下の階の会話を聞くと、アレクシスが塔の「神の石」で何をしようとしていたのか、そこまで父は知らないようだった。


 ……「神の石」には、神代の恐ろしいまでの記憶が閉じ込められていた。

 恐らく何千年とかけて、発展と進化を遂げ、ついに創造の神としてこの地に降り立った古代エアデーン人、今では「神々」と呼ばれる者たちの記憶であった。

 

 アレクシスは昼夜も分かたず、塔に閉じ籠り、来る日も来る日も「神の石」の記憶に接続アクセスし、その情報を脳内に転記ダウンロードした。

 

「それは治るの?」

〈さあ〉

 

 と、アレクシスはまた適当な返事をした。

 

 

 アレクシスが「神の石」の記憶から、引き出したいのはただひとつ……。


 ……セイレーンの呪いからの解放……


 祝福レーンの力を極限まで引き出し、利用しながら、その力を無くしたいと願う。誰もアレクシスの考えには、気がついていなかった。


 そんな日々が続き、極度の寝不足で食事に薬を盛られているのに気づかず、目が覚めると、アレクシスの身には「神の指先」が付与されており、「ハイラーレーン」という、さらに呪われた体となっていた。


 

 ふと、思考の海から戻り、犬から目の前の少女に視線を移すと、その頬に一筋の涙が伝っていた。……ひょっとして、泣かせたのか?


〈なんで泣いてるんだ?〉

「……分からない」


リゼットの目からは、あとからあとから涙が溢れる。


〈ごめん。喉が痛いんじゃない。声は出せるよ。出さないだけで〉

「そうなの? ならよかった」

〈適当に返事して悪かった。だからもう泣かないでよ〉

「うん」


 そう言って、フニャリと笑って鼻をすする。

 バロンはアレクシスの膝から降りると、リゼットの膝に飛び乗り、彼女の涙をペロペロ舐め出す。


「ぎゃあー、バロン、やめてー! 顔舐めるのはダメー! バロンさっき、自分のお○ん○んについたオシッコ舐めてたでしょー!」


 貴族子女が絶対に口にしないであろう言葉を聞いて、アレクシスは「ブッ」と噴き出したあと、逃げ回るリゼットを見て、声を出して笑った。

 

 ──何故だろう、さっきの食事室でもそうだったが、自分の顔が緩んでる。


 

 

 アレクシスは、初対面のリゼットを「暗示支配」しようとしたように、ハイラーレーンとなってからは、その力を使うのに躊躇することがなくなっていった。

 

 ──思い通りにならないことは、思い通りにすればいい。

 

 ハイラーレーンというさらに強力になった呪いの力は、アレクシスの体に完全に馴染み、恐れすらなくなってしまっていた。

 そんな自分が、こんな風に笑っていることに戸惑いを覚えた。



 この時リゼットが流した涙は、アレクシスがもう何も感じないと思っていたはずの感情につられて、アレクシスの代わりに流した涙だった。

 リゼットは、アレクシスの思考の淵を感じ取ってしまった。彼の絶望と孤独は、悩みもなく、愛されて育ったリゼットには説明出来なかった。

 

 

 グレーンフィーン家の祝福は、気まぐれに相手の心情との共感力を高めてしまうことがある。「グレーンフィーン」の家名自体が「星の理解者」という意味を持つ、特殊な祝福だった。

 それを知り、この時の涙の理由が分かるのは、もうずっと先の、未来のことになる……。

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