第一章 アレクシス14才、リゼット12才

第1話 外交官の娘

「バロン、おいで!」


 窓の外を見ていたリゼットは、飼い犬のバロンに呼びかける。茶色のモフモフとした小型の室内犬だ。部屋の角に床置きされている大きなクッションで寝そべる犬の耳が、ピクピクッと動く。聞こえてはいるようだ。


「さんぽ! もう夕方だし、暑さもだいぶマシだって! それに暗くなってからはダメなんだってばー」

 

 

 星の原住民、タルール人は星の赤道付近に広がる密林に暮らしている。

 大小あるらしい藩王国のひとつ、タルール・シェグファ藩国にあるバオアン平原は、亜熱帯に属し、タルールにおいては珍しく、農耕に適した湿潤な平地だ。

 

 バオアン平原は、「神々」とも呼ばれる古代エアデーン人が拓いた、とされている。だが、密林で暮らすタルール人たちには、放置されていた土地だった。

 

 四年前に、ジーラント帝国人は、タルール・シェグファ藩国を開国させ、このバオアン平原を租借地とした。

 リゼットの住むジンシャーン外国人居住区は、ジーラント帝国からの開拓民が拓いた港町、シーグーの中にある。

 エアデーン王国人は今のところ、リゼットとその父ロナルド・グレーンフィーン伯爵しかいない。

 


〈おじょうさま、バロンいやがってます〉


 タルール人の侍女、スーがリゼットに伝える。

 

「でも私は今行きたいの~!」


 スーは、タルール人の思念通話で話しているのだが、リゼットはエアデーン語で構わず駄々をこねる。


 

 エアデーン王国人には「祝福レーン」と呼ばれる、神々から与えられた特殊な力を持つ者がいる。それは貴族の家系によく現れるが、グレーンフィーン家の場合、星の原住生物とのコミュニケーション能力に特化されている。

 

 グレーンフィーン家に受け継がれる「祝福」は、星の原住民のタルール人の思念が、エアデーン語に訳され、直接、脳に語りかけているように「聞こえる」。

 そしてグレーンフィーン家の者が発した言葉は、全くエアデーン語を理解していないはずのタルール人に「伝わる」。

 

 その家名に「祝福レーン」を含む特別な貴族名らしいが、その能力は、王国にいる時は使う機会がなく、全く役に立たない祝福だ。

 

 グレーンフィーン領は、エアデーン王国のタルールに最も近い位置にあり、グレーンフィーン伯ロナルドは、以前からこの祝福を使って、時々タルールに出入りしていた。

 

 それを知った国王陛下は、グレーンフィーン家の祝福を生かし、駐タルールのエアデーン王国大使として、ジーラント帝国人の開拓を支援するよう、ロナルドに命じた。

 

 

 タルール入植から三年。

 家族帯同の希望がようやく叶い、ロナルドが一人娘のリゼットを呼び寄せることが出来たのは、一年前のことだった。

 

 

 ***

 


「はぁ~、私の祝福はどうして、ジーラント帝国語やバロンには使えないのかなぁ~」


 ──おかげで帝国語は勉強しなきゃ話せないし、話したら発音が違うってクスクス笑われちゃうし、バロンは私のいうこと聞かないし……。


〈おじょうさまとだんなさま、タルールのことばわかる。タルールのみんな、たすかってます。バロンのさんぽは、あさにヤオバがいったからだいじょうぶです〉


 執事として大使公邸に雇われているタルール人のヤオバは、スーの恋人だ。

 

 タルール人は、成年男子でも十二才のリゼットより少し大きいぐらいの身長しかない。

 落ち着いて控えているスーも、リゼットとほぼ同じ身長だが、中身は二十才の立派な成人女性である。

 

 ……とはいえリゼットには、タルール人の年齢はいまいちピンと来ない。


 大きくつぶらな瞳と、三角形の鼻、小さくかわいい唇。大人も子どもも年寄りですら、庇護欲をそそる顔立ち、いわゆる童顔で、かわいらしく見えるからだ。

 ……加えて頭頂部に位置するとがった耳と、表情豊かなふさふさのしっぽ、ふさふさの毛並みと首を振って歩く愛くるしい動き……。


 エアデーン王国人の子どもであるリゼットが、このかわいらしい種族に惹かれるのは当然で、父もまた、幼いころよりそうであったようだ。

 

 

 リゼットはバロンが寝ている大きなクッションに、飛び込むように座った。

 バロンのおでこに、自分のおでこを当ててグリグリした後、両手の親指の腹でバロンの耳を掻いてあげた。

 

「今日は王国から船が来るってお父様がおっしゃってたから、港まで行ってみたかったんだけどな~」

 

 バロンは近すぎるリゼットの顔を避けるように目を背けていたが、掻いてもらううちに気持ち良さそうな顔に変わり、お礼にリゼットの口許をペロッと舐めた。

 顔を舐められるのはリゼットが嫌がることを知っているから、一回だけ。

 ロナルドはバロンの好きにさせるから、バロンはロナルドの顔中をベロベロと舐め回す。……リゼットがバロンのことを、ホントは賢い犬だと信じて疑わない理由はそれだ。


 そのホントは賢い犬がビクッと急に顔を玄関の方に向け、ワンワン! と興奮状態で吠えながら、部屋から飛び出した。


「お父様のお帰りね!」


 リゼットも犬の後に続く。

 

 ロナルドは、大使に就任してから、どんどん恰幅がよくなった。外気温の変化に弱いエアデーン人が活動するために作られた、断熱素材で出来たマントを着ていても、それは一目瞭然だ。

 

「お父様おかえりなさ……」


 そこまで言って、父以外の人影に気づいた。

 父の隣に同じく断熱マントを着た背の高い紳士と、まだ少年らしき身長の客人が立っていた。





 ***

この物語の会話文では、複数の言語(伝達方法)が登場します。

以下の鍵括弧の種類で表しています。


「」:エアデーン王国語

『』:ジーラント帝国語

〈〉:思念通話(通信)

《》:特殊能力

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